7 ブリキのきこりと茨の森 後編
ハルカは目を覚まして、あわてて起き上がる。だが、そこは自分の部屋ではなかった。
(夢……じゃなかったんだ……)
かなりがっかりしたが、ウェストがおはようと言ったので、あわてておはようと答えた。
「今、何時ぐらいなの?」
外はかなり明るい。ハルカの問いにウェストは窓辺によって空をみあげる。
「お昼時にはまだまだ時間がありそうね。とりあえず、小屋の裏に小川があるから、顔をあらってすっきりしてらっしゃいな。はい、タオル」
ハルカはそういわれて、小屋を出て裏へまわる。キラキラと綺麗な水が流れていて、小さなサワガニガがあわてて姿を隠した。
(まるで、キャンプみたい)
ハルカはくすりと笑い、顔を洗って小屋にもどると、紅茶のいい香りがした。ウェストは自分の寝ていたクッションを片づけ、かわりに四角い銀のお盆と紅茶にジャムのビンをのせて絨毯の上に座っていた。
「さあ、お茶にしましょう。ジャムはどれがいい?アプリコットに薔薇、あとはイチゴがあるけど」
ハルカは絨毯に正座して、アプリコットを食べてみたいといった。薔薇も食べてみたかったけど、珍しい名前のジャムなので気になったのである。
「なんだか杏みたい」
ハルカがジャムを一口食べると、ほのかな香りと甘みに懐かしさを覚えた。
「アンズ?……ああ、たしかゼロスがアプリコットとアンズは同じ木の実だっていってたわね」
「え?そうなの」
「そうみたいよ。彼はああみえて物知りなの。口は悪いし、意地悪だし、性格悪いけど」
ハルカは思わず吹き出しそうにになった。まるで、兄弟の悪口をいっているときの友達とよく似たくちぶりだ。
「そういえば、ハルカはアイ豆以外の食べ物には驚いてなかったわね」
「うん、紅茶も知ってるし、カリーは呼び名がちがってただけだし、市場にも知らない魚はあったし、肉とかは何の肉だか……塊だけみてもわかんないし……アイ豆ほど奇妙じゃなかったもん」
「そう、じゃあハルカの世界でも鳥とか魚、豚とかもた食べるのね」
「うん、食べるよ」
(お肉はやっぱり豚だったんだ)
ハルカはちょっとだけほっとした。そこへウェストはじゃあ、ドラゴンもすんでるのかしらとぽつりとつぶやいた。
「え?ドラゴン」
「そう、ドラゴン」
「い、いないよ!そんなのいたら、人間が滅んじゃう」
ハルカはびっくりして、紅茶をこぼしそうになった。
「じゃあ、昨日たべたサンドイッチのハムがはじめてのドラゴン食だったわけね」
ウェストはにやにやと笑った。ハルカは目を丸くした。
「豚肉じゃなかったの?」
「ちがうわ。ドラゴンは一匹捕まえれば賞金がでるし、肉もすごくおいしいから売れるの。昨日食べたハムは一番安いドラゴン肉よ」
ハルカは驚きの引きつるような笑い声をだしてしまった。そして、ここはやっぱり異世界なのだと痛感した。
「毒はないから、安心しなさい。お茶、もう一杯飲む?」
ハルカは首を横にふって、薔薇ジャムを一口だけもらった。優しい薔薇の香りに心は少し落ち着いた。紅茶を飲み終えた二人は、樵小屋をでてブリキの森に向う。ブリキの森は森の奥。呪いはゆっくり周りにひろがっているとウェストはいった。ハルカはどんな呪いだろうと、手を引かれて歩きながら考えていたら、それはすぐに目に入った。
「これが呪いよ」
ウェストが銀の葉っぱを指ではじいた。気が付くと森の奥から銀色の茨が伸びてきている。
「これってブリキでできてるの?」
「そうなの。ブリキの茨。日に数センチってところかしら。しばらくすると木々もぶりきになっちゃうの。いろんな樵たちが、何度も斧で薙ぎ払うんだけどそのたびに、斧がおれちゃうし、あたしたち魔法使いも滅びの魔法でこの茨を枯らそうとしたんだけど無理だったわ。唯一、成功したのはイーストの成長をおさえる魔法ぐらいね」
「このままだとどうなっちゃうの?」
「森全部がブリキになっちゃうわ。そうなったら、薪がとれなくてみんなが困るわね」
ハルカはそうっかと、近くのブリキの茨をじっと見つめた。
「ブリキのきこりは木がかわいそうになったんだよね」
「そうよ。木だって生きているから、切ったらいたいに違いないっていいだしたらしいわ。それで、いつも木を切らずにに森中の枝を拾ってたの。そのうち、油をさすのをわすれちゃってね。この森の一番大きな木の下で倒れたんですって。茨はそこから生えてどんどんひろがったそうよ」
「もしかして、あの大きな木の下」
ハルカは、銀色の森の奥に一本だけ普通の大きな木が見えたので、指さす。
「そう、あの木下。近づこうとすると大変なことになるの。いい、見ててね」
そういって、ウェストはハルカの手を離して鞄をあずける。ドレスの両端をつまんで、赤いヒールで茨を踏みつけると、茨はいっせいに棘を大きくした。ウェストはさっと棘から逃れるように足をひいて、ため息をつく。
「これじゃあ、木にたどり着くまで串刺しよ。ハルカはあの木が気になるの?」
ハルカはうんとうなずいた。
「だって、あれだけブリキになっていないんだもん。何か呪いをとくヒントがあるのかなって思ったの。そうだ。ねぇ、あの跳ねる魔法であの木の下にいってみようよ」
ハルカはいいアイディアだと目を輝かせたけれど、ウェストはダメなのと首を横にふった。
「イーストの魔法がかかっているから、他の魔法はつかえないのよ。どうにか串刺しにならない方法があれば、いいんだけどね」
ハルカはどうしたらいいんだろうと考えた。案山子のときは、焼野原でぶすぶすとくすぶる焦げた大地だった。ライオンの半透明な硬い墓石は、ハルカの右足にとってまるでゼリーみたいにぷるぷるになった。ハルカは、じっと自分の足をみた。履きなれたサッカーシューズ。ひざ下まである厚手の靴下。
(あたしの足に関係あるのかな?)
「どうしたの?難しい顔して」
ウェストが不意に俯けていた顔を覗き込んだので、ハルカは思わず体をのけぞらせた。そのはずみて、体がよろけて、右足が茨を踏んだ。
すると、茨は普通の緑色に変わった。ウェストのときのように、棘は襲ってこない。ハルカは恐る恐る右足をどけると、銀色の茨の中に緑色の足跡が残った。
「ウェスト、これって……」
「そうね。ハルカなら歩いてたどり着くってことね」
「ウェストは一緒にこれないの?」
ダメでしょうねとウェストは言って、ハルカの足跡に自分の足を入れた。その瞬間、茨は容赦なく襲い掛かってきた。ハルカの足跡はあっという間に、銀の茨に包まれた。
「結構距離があるけど。ハルカなら大丈夫。あたしの鞄を持っていきなさい。何か役に立つものが入ってるかもしれないから」
「ウェストはどうするの?」
「ここで待つわ」
ハルカは唇を一文字に結んで、ぐっと歯をくいしばる。
(お母さん、勇気をちょうだい!!)
ふっと息を吐いて、大きく吸い込む。そして、決意してウェストを見た。
「行ってみる。どうなるかわからないけど……何かあったら助けてくれるよね」
「もちろんよ……といいたいけど、難しいわね」
「もう!そこは無理でも、もちろんっていってよぉ」
ハルカが拗ねると、ウェストはくすくすと笑いながら、行くわよ、もちとんと言った。ハルカはもう一度気合を入れなおして、ウェストの鞄を持つ手に力を入れる。そして、一気に茨の中へ走り込んで行った。茨はまるで疾風になぎ倒されたように、左右に分かれた。ハルカが踏みつけた茨は緑にそまり、弱々しい若木となってたゆたう。
(遠いよ……)
ハルカは懸命に走った。けれど、木に近づいていくほど、気が離れるように小さくなっているような気がした。それでもハルカは走る。怪我をした右足も痛みはない。茨も襲ってこない。けれど、木がどんどん小さくなっていく。そして、茨を抜けると地面に前のめりになって土を掘ろうとしたままの姿のブリキのきこりがいた。丁度、遠くから見ていた木は、五十センチくらいの小さな若い苗木になって、きこりの手のあいだから生えていた。
ハルカは、息を整えながら思った。きこりは木を植えていたのだ。自分が切ったたくさんの木を油がきれるのも忘れて。だから、この森はきこりに答えようと自らをブリキにかえたのだと。ハルカはきこりの側にすわり、鞄を開いた。油らしきものはないだろうか。なかなかみつからない。代わりに目がいったのは、玩具のラッパのようなものだった。
(メガフォンみたいにつかえないかな)
そう思いながら、ラッパを手にすると、ラッパから小さな声がした。
『メガフォンみたいにつかえないかな』
ハルカはびっくりして、思わず落としそうになったけど、どうやらこれは使えそうだと感じて、しっかりと手に持ち直した。それから、心の中で強く大きな声でさけぶ。
『ウェスト!油はどれ!!』
ラッパからハルカの大きな声が森に響き渡った。すると、鞄の中で貝殻がカチカチとなる。ハルカはメガフォンを手放して貝殻をてにもつと、聞こえたよとウェストの声がした。
『緑の小瓶に万能油がはいってるわ』
「わかった緑ね」
『そうよ。緑よ』
貝殻はカチカチといいながら、ウェストの声を届けてくれた。ハルカは緑の小瓶を手にして、栓を抜く。そして、まずはしっかりと苗木を包んでいるきこりの指の関節、手首にそっと油をたらす。一度、瓶に栓をして鞄にもどし、ハルカはきこりの指を一本一本外側へ開いていった。次に手首も開く。それから、しばらく様子を見ていると、苗はむくりと一回り大きくなった。
ハルカは、瓶をとって今度はきこりの腕と肩に油をたらし、両腕を万歳の形にかえてみた。すると、木はどんどん大きくなっていく。のびのびと枝葉をのばして、立派な木になった。ハルカが驚いて見上げていると、コトンと音がした。それはきこりが両手で木を抱きしめるように前のめりになり、そのはずみで首が地面に落ちた音だった。首はコロコロところがって茨の中に消えた。
ハルカが呆然とながめていると、ブリキの茨は茶色になり、黒くなり錆びてカラカラになると、一陣の風にさらわれて、跡形もなく消えていく。ブリキになっていた木も青々とした葉を茂らせて、あっという間に大きな森になった。ハルカがはっとして振り返ると、首を亡くしたきこりも姿を消していた。ただ、そこには銀色に輝く薔薇の花が一輪落ちていた。
「ハルカ!!」
突然、ウェストが飛びついてきた。どうやら呪いが解けたらしい。
「すごいわ。やったわ。ついに全部、呪いが解けたわ」
そう言って、ひとしきりはしゃいだウェストは、抱きしめていたハルカを解放すると、地面に転がったままの銀の薔薇をそっと救い上げるように手の中に持った。そして、それを大きくなった木によく見えるようにと捧げ持ってありがとうとつぶやいた。