4 ライオンの墓 前編
呪いが解けたと思い切りはしゃいだウェストは、ピタリと黙り込んだ。しばらく、空をみたり、地面をみたりしながら、何かを考え込んでいた。そして、ぽつりとつぶやく。
「もしかしたら……うん、たぶん、きっとそうなんだわ」
ハルカは首をかしげると、三角のとんがり帽子がずるりと落ちそうになってあわててしっかりかぶりなおす。
「ねぇ、ハルカ」
「何?」
「ためしにライオンのお墓に行ってみない?」
「ライオンって……みんなに殺されちゃった子?」
「そう。ねぇ、お願い。ライオンの勇気を取り戻して。きっと、ハルカならできるわ」
ハルカは少し悩んだ。案山子の呪いが解けたのは偶然かもしれない。それに、理由がわからない。それでもどこか必死な表情のウェストに嫌だという気にはならなかった。
「できるかどうか、試すのは大事なことだってお母さんいってたんだ。だから……やってみる」
ありがとうと言いながら、またウェストはぎゅっとハルカを抱きしめた。ハルカは、少しだけ胸のあたりがチクリとする。懐かしい匂いがしたような錯覚。それを振り払うようにハルカは元気よく言った。
「また、あのお尻がいたい車にのるのかな?」
「もちろん。カントリーの市場やシティの面白い建物もみれるわよ」
ウェストはワクワクしている子供のように弾んだ声で答えた。
(なんだろう?最初のときと雰囲気変わったみたいだ)
ハルカはそう思ったものの口にはしないで、また、二人でブリキの馬車を拾いに来た道を戻った。
お尻の痛くなるブリキの馬車にゆられて三十分ぐらいしたころ、緑の田園風景の先に街が見えた。街と言うより、テントの群れだ。白や緑、青や赤の色とりどりの布の屋根が見える。
「さあ、ついたわ。カントリーの市場よ」
ハルカはウェストにうながされて、馬車を降りた。
「ああ、やっぱりお尻痛いよぉ」
ハルカはお尻をさすりながら、あたりをぐるりと見回した。一目で市場だとわかるほどの活気でみちている。あちこちで、売り子たちの声が響いた。
「今日のおすすめは山羊のチーズだよ。濃厚でうまいよ!」
「花はいかが?ブルーローズの苗もあるよ!」
「ヤマメ三匹で五ドルだよ。今日の目玉だ。さあ、よっといで!」
チーズに花、魚に肉にとり。ハルカはウェストに手を惹かれて市場を巡る。
「すごい、なんでもありそう」
「ええ、なんでもあるわ。食べ物も洋服も。市場ではなんでもそろうの」
ウェストの声を聞きながら、ハルカは不思議に思った。自分が今している格好は、どうみてもこの市場にふさわしくないし、誰も黒い服をきていなかった。そして、別に気にもとめない。まるで透明人間になったような不思議な感覚をハルカは覚えた。
「ねぇ、ハルカ。おなかすかない?」
「あ、そういえば、ちょっと空いてる。今って何時なの?」
そう聞かれたウェストは肩をかるくすくめて答えた。
「お昼時。なのは、間違いないわ。屋台がこみはじめてるもの」
「正確な時刻はわからないの?」
「正確な時刻なんて、この世界には存在しないの。みんな、太陽を見て生活してるから、日が沈めば市場は終わり。おなかがすけば、それが丁度食事時よ」
ハルカはそんなんで生活できるのかなと首をかしげた。
「カントリーではね。みんなが歴をよく知ってるから、太陽をみればおおよその時刻がわかるの。だから、時計なんて存在しないの。みんな自分の知ってる太陽の傾きで、店じまいの時間も、開ける時間もきめるのよ。カントリーはそういう面でシティより柔軟ね」
「シティは時間がはっきりしてるの?」
「ええ、一日は二十四時間。みんな時計をもってるの。朝起きてシティの連中がすることは、時計のねじを巻くことね。市場で買い物をする人は、あまりいないわ。シティには決まった数のパン屋に肉屋、八百屋が各部署に配置してあるの。仕入れ先が市場だから、一番早い時間に商売人はここへきて必要な分だけ買っていくわ」
へぇっとハルカが小さく驚きのため息を吐く。そんなハルカをよそ目に、ウェストは一つの屋台に目を留めた。
「ねぇ、どこも込んでるから、サンドウィッチ買って公園の方で食べない。ほら、あれ」
ハルカがウェストの指さす先をみると、二十センチくらいのフランスパンを二つに切って、間に肉や野菜を次々と挟んでいるおばさんの姿が見えた。
なんか、ファストフードのサヴウェイみたいだなとハルカは思った。おいしそうだねとハルカが言うとじゃあ、あれで決まりとウェストは楽しそうにお店へ突進していき、三つの種類違いのサンドウィッチをを手に入れた。そして、市場の離れにあるちいさな公園で、ふたりでサンドウィッチをぱくついた。
ハルカは塩コショウで味付けされた厚切りベーコンの上に目玉焼き、レタス、ピクルス、パプリカがふんだんに乗ったサンドウィッチをもらう。ウェストは薄切り焼き豚とハムの上にキャベツ、薄切りのアスパラ、潰したオリーブのソースとたっぷりのマスタードのサンドウィッチを手にする。残りの一つはシンプルにゆで卵をつぶしてマヨネーズで和えた卵サンドだった。それは、ふたりではんぶんこにしてたべた。
お腹いっぱいで少し眠気を覚えたハルカにウェストは、ライオンのお墓についてぽつぽつと語り出した。
「どこまで話したかしら、ライオンのこと」
「えっと、シティとカントリーの喧嘩をとめるために、自分を殺した方が勝ちっていったんだよね」
ウェストはそうそうとうなずく。
「傷が同じ数だったから、引き分けになってライオンだけが死んじゃったんだよね?」
「その通り、ゼロスは馬鹿だっていうけど。喧嘩をやめさせるべく行動をしたことだけは、間違いなく勇気の証。もし、その場に案山子がいたら、無謀な提案はしなかっただろうけど」
「つまり、ライオンの勇気って行動する勇気だったの?」
ウェストはそうよと少し遠くに視線を向けて話した。
「ライオンは臆病だったの。だから、誰かに会うのさえ怖かった。怖くて誰にも会えなくて、寂しくて……だから、勇気が欲しかった。友達をつくる勇気、行動する勇気……ハルカの知っている物語もそうなの?」
「うん、たぶん、あたしよく読んでないからおぼえてないの。ごめんね」
ハルカは、なんとなく謝るとなんであんたがあやまるのよっとウェストは言いながら、額をはじいた。
「痛っ……デコピンとかひどいよ。ウェスト」
「デコ……なに?いまの額はじいただけなのに。ハルカの世界では名前がついてるの?」
「うん、指で額をはじくことをだいたいデコピンっていうよ」
「すごいわ!こんなささやかな行動に名前つけるなんて!」
ウェストは大笑いした。さっきまでのどこか物悲しげな口調はどこへ行ったのか。ハルカはコロコロとかわるウェストを見ていて不思議な気がした。大人はみんなこんな風に笑わない。どこか、大事な何かが足りない。そんな笑い方をするものだと、ハルカは思っていた。
「さて、それじゃあシティを見てからお墓にいくわよ」
ウェストはすっと立ち上がった。ハルカもあわててベンチから立ち上がる。
「お墓ってどこにあるの?」
「シティーのはずれにある森の中よ」
「今から行ったら、暗くならない?」
「大丈夫、シティは見るだけで、よらないわ。あそこの連中は魔女を見たら、すぐに捕まえて【エメラルドシティの復活を】っていうんだから」
ハルカはそれを聞いて、一つ思い出したことがあった。確か、エメラルドシティはすべてのモノを緑で塗りつぶし、自分たちは緑色のサングラスをつけて生活していたのだ。
(オズは魔法使いじゃなくてマジシャンで……)
「どうしたの?ハルカ?やっぱり、ライオンのお墓行きたくない?それともシティの中も見たい?」
「ううん、そうじゃなくて……エメラルドシティってただ緑色にして緑のサングラスかければ、元通りよねって思っただけで……」
「まあ、そうなんだけど。そうでもないのよね。オズがいなければ、意味がないっていうか……」
ハルカはウェストにどういう意味と尋ねたが、ウェストは曖昧に微笑んだだけだった。
「あ、そうそうここからは歩くけど。足、痛む?」
「え?……ううん、大丈夫。痛くないよ」
「そ、じゃあしゅっぱーつ」
ウェストは陽気にそう宣言して歩き始めた。つられるようにハルカも歩き出す。気が付けば、石畳の色が黄色くなっている。色はところどころ剥げて、灰色が見えていた。
「この道って……黄色いレンガ道?」
「そうよ。いえ、そうだったと言うべきね。今はただの道。ほら、あれを見て」
ウェストがすっと指差した先には、まるで蜂の巣みたいな壁が見えた。
「あれが、もとエメラルドシティ。今は【ビーハイブ】っていうの」
「ビーハイブ?」
「蜂の巣って意味よ」
ハルカはへぇと言いながら、はっと気が付く。
「もしかしてあれ、壁じゃなくて建物?人がすんでたりする?」
「もちろん、建物。一つの六角形が一人のお部屋。こっちからは見えないけど奥に回廊がついてるの。あそこの道を真っすぐ行けば、シティに入れるわ。ライオンのお墓は右に進まないといけないけど。どうする?シティに寄ってみる?」
ハルカは首を横に振った。
「やめてとく。暗くなる前にお墓には行った方がいいもん」
「暗いのは怖い?」
「怖くはないけど……お墓はあんまり好きじゃないし。誰だってそういうもんでしょ?」
ウェストは右手の人差し指を顎にあてて、小首をかしげる。
「そうかしら、みんなお墓は大好きよ。死んだ人と話しができる場所だから……ああ、でもライオンのお墓は別ね。ライオンはしゃべらないし、周りはジメジメして陰気で。シティの人間もカントリーの人間も絶対近づかないわ」
ハルカはそういうものなのかなと首を傾ける。
「あたしが行っても、だんまりだし。あのジメジメ感と暗さにうんざりさせられて長くはいられないし……」
「ウェストは、お墓によくいくの」
「いいえ、年に二回よ。花を手向けにいくわ。その花も、十分もしないで枯れてしまうけどね」
「それが、ライオンの呪い?」
「そうね。普通の人間が近づけば、風邪くらい引くかもしれないわ」
誰も近づかないから本当のことはわからないけどとウェストはつぶやいた。それから、なんとなくハルカは黙ってウェストと右の道を進んだ。