2 切ない話
「どうするもなにも、ひろっちまったんだから仕方がないだろ」
「けど、カンザスからだったらどうする?お前さん死ぬかもしれんぜ」
ハルカは夢見心地の中で、誰かがぶつぶつと話をしているのが聞こえたようなきがした。一人はよく通る澄んだ若い女の人で、もう一つはしゃがれた男の人の声だと、うすぼんやりと認識し始めた瞬間、ハルカは、右足に激痛を感じて飛び起きた。
「おや、お目覚めだね。お譲ちゃん」
声をかけてきたのは、長い黒髪に綺麗な赤い石のついた額飾りをした若い女の人だった。ハルカは、なんども瞬きしながら、部屋の中をきょろきょろと見回した。だが、男の人の姿はなく、黒猫が暖炉の前に丸くなってくつろいでいる。
「あんた、どっからきたんだい」
女の人は、困ったねと言う表情と腕組みで、少し威圧的に聞いてきた。戸惑うハルカは小さな声で答える。
「えっと……河原町のグランドで……」
たぶん、竜巻に巻き込まれたのだと思い出しながら、言葉をつづけようとしたが、相手に理解してもらえるかどうかわからなかった。
なにしろ、女性が着ている服は、真っ赤なドレスである。よく『夢の国』のお姫様たちが着ているような形の、あのドレスだ。襟ぐりは大きくひらき、肩が見える。意匠に、黒い唐草のようなものが裾から燃え上がるように何本か不規則に腰へ向かうように施されていた。
顔つきも髪が黒い以外は、どうみても西洋圏内の人である。白い指先にはたくさんの指輪がついていて綺麗だった。そんな姿の人にはたして日本語が通じるのだろうかとハルカは、痛む右足のことも忘れそうになるほど、相手を見つめていた。
女の人は一言、カンザスじゃないのねと言った。どうやら日本語は通じるらしい。
「カンザス?それはたぶんアメリカのどこかだと思います。アタシは日本の……」
ふとそう言いかけて、竜巻、カンザスという言葉に何かがひっかかったが、ハルカが答えにたどり着く前に女の人は、ここはウェストエンドよ、といってもわからないんでしょうけどと言った。
「はい、わかりません……」
ハルカは竜巻で外国まで飛ばされてしまったのだろうかと、考えたが衣装や部屋の内装がまったく現代的でないのだ。
(アタシ、死んじゃったの?)
ハルカは、それでも右足が痛くて死んでしまったという感覚は薄い。そんなことをぼんやりと考えているとさっきのしゃがれ声で
「やっぱり、厄介者だぜ、その小娘」
と誰かが言った。ハルカが声のするほうへ目を向けてみるが人の姿はない。いるのは毛づくろいをする毛足の長い大きな黒猫。
「ゼロス。いじわる言うんじゃないの。とりあえず、この子を元の国に速やかに戻すことが大事よね」
「さっさとそうするんだな、イーストエンドにいかねぇとなんねぇな」
女の人は口の端を少し吊り上げ、渋い顔をした。
「イーストが快く手をかしてくれるといいけどなぁ」
ゼロスと呼ばれた黒猫はチシャ猫のように、はにやりと意地悪く笑った。
「ああ、そうだ。大事なことを聞くの忘れてたわ。あんた名前は?」
「え?あ、矢萩ハルカです」
「ヤハギハルカね。アタシはウェスト。あっちの黒猫がゼロス。でヤハギハルカはどうやってこの国にきたのかしら?」
「あの、ハルカでいいです。えっと。竜巻に巻き込まれて……」
そう言った瞬間、オズの呪いだぁと言ってゼロスは毛を逆立てた
「オズって、オズの魔法使いのこと?」
「あら、知ってんの。ハルカ」
「ドロシーが主人公の児童文学でしょ?」
ウェストは、額を右手で押さえた。まるで頭痛でも起こしたみたいに。
「ああ、そうなの。児童文学……読み物になってるだなんて……」
ウェストは、よろよろとソファーに沈み込んだ。ちょうど、ハルカと対面になるひとり掛けのソファーに。
「アタシまずいこといった?」
ハルカはなんとなくゼロスに話しかけてみる。
「言ったよ。思い切り、切ないことをさ」
ゼロスは、相変わらず毛づくろいをしながら、そっけない返事を返した。それから、丁寧に顔を洗うと、むかしむかしと話し始めた。
「カンザスから竜巻にまきこまれた哀れなドロシーは、西の魔女をその家でつぶしてしまいました。ああ、あわれ、つぶれたところに東の魔女が現れて、大事な魔女の赤い靴をドロシーにやってしまいました。どうしてかわかるか、小娘」
ハルカはわからないと言いながら、素直に首を横にふった。
「答えは簡単、二人の魔女はケンカしてたのさ。そこへドロシーがふってきた。コレ幸いつぶれた西の魔女の靴を取り上げて、ドロシーにわたし、彼女を新しい魔女とした。でも、ドロシーは帰りたいという。仕方がないから、オズのことを教えた。黄色いレンガの道をあるいて、エメラルドシティへ行ってオズという偉大な魔法使いに相談なさいとやさしい微笑みをうかべたさ。あとは、小娘も知ってる通りだろうな。たぶん」
ハルカは、昔ちょっとだけ読んだオズの魔法使いを思い出す。
「えっと、脳みそのほしいわらの案山子と、ハートのほしいブリキのきこりと、勇気がほしいライオンといっしょにエメラルドシティで、オズにあったんだよね」
ゼロスは、ヒゲをなでながらうなずく。
「そのとおり、そしてドロシーはオズと一緒に自分の国にかえりましたとさ、めでたしめでたし」
めでたいもんかいと小声で嘆き、深いため息をはくウェスト。そして、苦笑しながらハルカにその先を話して聞かせた。
「問題はそのあとでね。エメラルドシティの連中は気が狂ったのか、すべてのものを緑に塗りつぶさなければオズが帰ってこないと騒ぎ出した。小麦が小金に輝いて、収穫されるのを待っているのにそこに火をはなって、人工の芝生を張り始めたのさ。そして、シティとカントリーの戦争が始まった」
ウェストは、立ち上がりお茶を入れた。可愛い花柄のカップをハルカに、丸いお皿にはミルクを入れてゼロスに、自分は青いカップを手にしてもとのソファーに腰掛ける。
「戦争はすぐに終わったわ。勇気あるライオンのおかげでね」
ウェストは、ゆっくりと紅茶をすする。ゼロスが話をついで、語り始める。
「勇気あるライオン、ある意味バカ。というのも、シティとカントリーの代表者に自分をしとめた方がこの世界を好きにすると言ったんさ。そして、シティとカントリーの代表者たちに滅多打ちにされて、死んじまったんだよ。シティとカントリーはライオンの傷を数えて引き分けということにした。シティはすべてを緑にするなんてばかげた話しだと気がついたのさ。カントリーだって小麦をシティに売らなきゃ生活ができないってもんだ。つまり、ライオンはただたたき殺されただけってこった」
ハルカは渋い顔をする。
「そんなひどい話ってないじゃない。なんのために勇気をもらったのよ。ライオンは!」
だから切ない話なのさとゼロスは皿の中のミルクをびちゃびちゃとなめた。
「悲劇はそれでおわらないのよ。ハルカ」
ウェストは、ため息をついた。
「脳をもらった案山子は、何に対してもなぜなぜと聞いてまわるから、農夫たちにうるさがられて最後は焼かれてしまったし、ハートをもらったブリキのきこりは、木がかわいそうだといって仕事をやめてしまったから、シティの人間にスクラップにされてしまったよ」
ああ、せつないねぇとウェストはつぶやきながら、また紅茶をすすった。
ハルカは言葉も出ない。手の中で揺れている紅茶の赤い色を見つめると、心から切ない気持ちになってきた。あの物語を楽しんで読んだことが、なんだかとても悪いことのようにも思えてきて、目頭があつくなってきた。
「なに、悲しむことはないさ。小娘。本人たちが望んだからこそ、起こった悲劇だ。それに、今は平和だよ。ただし、ドロシーの教訓から竜巻に乗ってやってきたものは、必ず殺すのが掟だけどな」
ハルカは、流れそうになった涙が引っ込むくらい驚いて、ウェストを見た。
(まさか、この紅茶……)
ウェストは苦笑しながら、大丈夫よと言った。
「毒なんかはいってないから。確かに掟はあるけれど、それはシティとカントリーの掟だから魔女は関係ないの。ただ、ハルカが竜巻にのってきたことを魔女以外の人間にばれたら、何が起こるかわかりゃしない」
ウェストは肩をすくめて、紅茶を一口飲んだ。そして言う。
「ただ、あんたを元の世界に帰りてやるには、カントリーやシティーを通ってイーストのところに行かなきゃならない。あたしには、まだ時間術や異界旅行の魔法も使えない。まだ、勉強中なのさ。あたしがそれらを使えたなら、すぐに元の世界へ帰してやれるんだがねぇ」
ハルカは、カップを落としそうになった。なんてことになったんだろうと、心臓が早鐘をうつ。そして右足がうずいた。この先の不安で痛みがいっそう強くなったようなきがした。そっと、ひざ掛けをめくってみると、きちんと包帯をまいて手当てがしてあった。
「心配ないわ。そのうち痛みは消えるから。でも……」
ウェストは、少し暗い顔をした。
「まあ、傷の手当はしたから、安心おしよ。それより問題はこれからどうやってイーストのところへ行くかってことなのよね」
「そんなの、箒でひとっとびじゃねぇか?」
ゼロスは首をかしげる。
「それこそ、そんなことしたらイーストが臍を曲げるわ。あの男ときたら他人が苦労しないと手助けなんて絶対しないんだから。とりあえず、車を使ってカントリーとシティを抜ければいいことさ。いかにも旅をして疲れ果てましたって顔でいきゃあ、あの男も助けてくれるわよ。さあ、旅の支度をしよう。ハルカはもう少し休んでおいで。必要な物はあたしが用意するから」
車はいやだなぁとゼロスがぼやくと、ウェストは間髪を容れず、あんたは留守番と答えた。ゼロスはほっとしたような、残念なような複雑な表情で、あっそうと答え、ふんと鼻をならして、丸くなって目をつぶった。
ハルカはそのやり取りをみて、なんだかくすりと笑ってしまった。
「ちょっと、何笑ってんのよ」
少しむっとした声でウェストが言うので、なんだか【お笑い】みたいなやりとりだからとハルカはくすくす笑う。ウェストは、【お笑い】の意味がよくわからなかったけれど、喜劇のようなものだろうと解釈した。
「ま、なんでもいいわ。そのくらい落ち着いてるなら、旅をすることも問題ないわね」
「よくわからないけど、とにかくイーストって人に会わないと帰れないんだよね」
「まあ、そういうことね」
「じゃあ、頑張る」
ハルカはなぜこんなことになったか考えるよりも先に、帰れる可能性に希望を抱いた。今でも十分子供だが、ハルカはいつも前向きな少女だった。
ウェストは目を細めてにっこりと笑う。
(遠い昔のだれかさんみたいだわ)