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鋼の火  作者: 古代紫
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戦火を抜けて

 誰かが後ろで叫んでる。

 誰かの名前を叫んでいる。

 誰を?

 ……僕を?

 でも、ごめんね。

 もう……


 止められない。


◆◇◆◇◆◇


 手に持った銃を捨て、ラーファは走る。

 目つめる先は塔から出た光の矢。矢は戦場が近づくとゆるゆるとその速度を落とし、重力を無視しているように空中で停止した。そこはラーファたちのいた塹壕のずっと先……おそらく、敵の真上。

 

 石ころの転がる乾いた大地は足を取り、普段気にならない足場の悪さに今になって気付く。さらに、止まった空気の中に砂埃と火薬の臭いを含む生暖かい風が吹き始めた。鉄の臭いが鼻を刺激し、砂塵が頬を気持ち悪くなでる。

 大地も風もみんなラーファを止めようとする。走りにくい地面も気持ち悪い空気も不快でしかなく、走り続けるにつれてそれは増してきた。


 行くな。


 どこから声が聞こえたような。それも忘れたような。

 それでもラーファはそれに向かって走り続ける。


 やがて、少し前までいた塹壕までたどり着いた。銃弾のほとんどが光の矢に集中していたので、兵が一人しかいないラーファの方を狙うものは少なかったが、やはりいくつかは空気を引き裂いていた。

 さすがに幅のある塹壕は飛び越せないので一旦その中に身を落とす。

 そしてすぐさま反対側に這い上がり、空中に留まる光に向かおうとしたところ、


「っ!?」


 空に留まる光が一瞬その光を大きくした。悪い予感が体を貫いた。本当は今すぐ駆けだしたいのだが、反射的に塹壕の中に体を隠し、耳をふさぐ。

 直後、悪い予感は現実になった。

 頭上の灰色の空を真っ白の光が覆ったかと思うと、縦に貫く地面からの衝撃、耳をふさいでも抑えきれないほどの爆音、それに続いて砂利を含んだ爆風。

 塹壕の中に隠れたラーファは地面に体を強くぶつけたが、大したけがはなかった。

 爆風が収まるまで塹壕の中に隠れてやり過ごす。やがて、空気が落ち着き熱も引いてきた。

 ラーファは塹壕から顔を出す。光のあったところは今も土煙で見えない。さっきの爆発で小石や砂が吹き飛ばされて大地は何もない平坦な土地になっていた。

 遠くの戦場からは銃声が今もなお響いているがラーファのいるところに鉛玉は飛んでこなかった。おそらく、敵がすべて吹き飛んだのだ。


 爆発がまた来るかもしれない。

 さっきは塹壕でやり過ごしたがまともに受けたら間違いなく……。


 あの子に会うまでは死にたくない。死ぬわけにはいかない。

 でもここで止まっていても何も変わらない。


 意を決し走りだす。かすかな土煙と火薬と鉄の臭い以外を邪魔するものは何もなかった。


 ラーファは敵が居たであろう所までやって来て、足を止める。そこはまだ土煙が高く舞い上がっており、視界を遮っていた。

 目を細めて凝らしても、茶色い土煙のせいで何も見えない。先に何があるか分からないまま進むと、敵と鉢合わせになる可能性が出てくる。なににつまずくかもわからない。


 でも、煙で見えなくても……ぜったいに……この先には……


 ラーファは首に巻いたスカーフで口を覆い、煙を吸い込まないようにする。確信めいた直感を頼りに再び歩き始めた。

 先ほどまでがむしゃらに走っていた時よりは慎重に歩を進めるが、胸の鼓動は全く落ち着かない。心臓の音で煙を吹き飛ばせてしまうと思えるくらいだ。

 鳴り止まない心臓に左手を当て、ゆっくりと前に進む。周りが全く見えないので、方向なんてあてずっぽうだが、何かに引かれているように足は進む。


 不意に、つま先に何かがあたった。若干柔らかいそれは砂に覆われてよく見えない。ラーファは手に取ろうとしたが


 やめた。

 ラーファはしばらくその場に立ち尽くしてしまった。

 そして、つま先に当たったそれを避けて煙の奥へと進んでいった。


 仕方がない。どうしようもない。


 進みながら、先ほどのもののことを考えていた。


 仕方がないんだ。僕には何もできない。ここは戦場だ。

 人が死ぬなんて当たり前の事なんだ。


 たまたまその当たり前を見てしまっただけ、何も問題はない。見て怪我をするわけでも、銃で撃たれるわけでもない。

 でも、忘れたくてもしばらくは忘れられそうになかった。ラーファは地面に注意しながら歩いて行った。

 進むにつれ、鉄くずや、金属製の板が目につくようになった。おそらくさっきの爆発で吹き飛ばされたのだろう。無残に転がった元道具たちは悲しそうに砂に覆われていく。

 そして、それと同じように……元がなんなのか分からない柔らかい何かもたくさんあった。


 人が作ったものを使って人を殺して、人は人の作ったものに殺され、殺しをさせられた道具たちも同じように殺されていく。

 人を殺すことは、巡り巡って自分を殺すことにも繋がっていた。

 同じように人を殺すために作られた兵器も、結局は人に殺される。


 でも人は人を殺すことしかできない兵器とは違う。


 胸に渦巻く、生温かくてドロドロした……それでいて、どこか透明感のある気持ちがラーファを覆っていった。まるで、温かい手で優しく体をを絞められるような感じ。


 右腕の手錠がいつも以上に重く感じられた。それにつながる鎖も、ラーファの胸の気持ちに呼応するように重くなっていく。

 感情と、自らの右手に押しつぶされそうだった。


 ……土煙が晴れてきた。

 見上げると、茶色い煙の隙間から真っ黒の空がうっすら見える。


 近い。

 

 ラーファは足を速める。所々に転がる元『命』たちを避けながら煙の晴れる方へ向かって行く。

 体を縛る重い感情を振り切り、砂煙の向こうへ急ぐ。

 確かにある。自分の望みがこの先にある。

 だが、振り切ったはずの重い気持ちはまだ残り、右手の錠と鎖がひどく重い。


 そして、砂煙が開けた。


 星ひとつない真っ黒の空。塩の塔の光や、戦車の残骸から燃え上がる火が照らす茶色く乾いた大地。巻き上がる砂煙、ぽつぽつと遠くに転がる元『命』。


 そして……。


◇◆◇◆◇◆


 塔の上部では少女が戦火を見つめていた。


 風が頬を撫で、髪をなびかせる。戦闘の準備をすれば、気持ちも切り替わる。遠くに見える戦火こそ目標。


 戦争なんて嫌いだ。

 始めるころは皆、自分の考えのために戦う。

 でも、戦争が続くにつれて何も考えなくなり、遂にはなぜ戦うのか解らなくなる。

 それでも死ぬまで戦うのをやめない。やめることすら考えられなくなるのだ。

 結果、無駄に人がたくさん死んでいく。


 みんな、みんな……


 「死にたくない……」って言いながら死んでいく。

 そんな人たちを私はたくさん殺してきた。

 私が殺さないともっと多くの人が死んでいく。

 それだけは分かっている。

 だから、戦う。人を殺す。

 それ以外に私にできることなんてないんだ。

 戦争を終わらすために人を殺すんだ。


 今日も戦争があるようだ。

 遠くではすでに火薬の爆発する音が幾度と聞こえてくる。

 もう行かなくちゃ。

 偉い人が何か言ってるけど聞こえない。

 体の中に収めている翼を外に出す。


 もう殺したくないのに……。


 そんな思いを捨てて、私は灰色の空へ飛びだした。

 冷たい空気の中、一番端っこの戦場へ一直線。

 端っこから叩くのがいいかな? 無理に真ん中に飛び込んでも横から狙われちゃたまんない。


 白い光の尾を引きながら一気に戦場まで飛ぶ。

 途中、味方の兵士たちとすれ違った。と言っても私の体は白く光ってるし、彼らは地面を走り、一方の私は空を飛んでいる。

 何でもないことだ。

 私は彼らの事は知らないし、彼らも私の事なんて何も知らない。

 姿が見えなくて、高速で空を飛ぶものを人間だなんて思うはずないよね。

 

 でも……何かが引っ掛かる。気のせいだよね? 何にもないよね?


 ……着いた。敵の真上。

 いつも通り、敵の方向……真下に意識を集中させる。自分の出す光に眩しさを感じながらも、その力を解き放つ。


 直後、津波のような爆風。吹き飛ばされそうになるが、背中の翼で踏ん張り、体勢を整える。


 砂煙が舞い上がり、地面が見えなくなった。

 ……やりすぎたかな? でも、撤退命令が出て、味方がいない時にはこのくらい一気にやるのが一番なんだけど……。


 下に降りてみよう。

 ゆっくり、ゆっくりと地面が近づく。

 ん……煙が……邪魔。

 翼を動かし、周りの砂煙をまき散らす。

 ああ、見やすくなった。ちょっと離れたところはまだ煙が上がっているけど……いいや。


 さっきの私の攻撃のせいで少し地面がくぼんじゃってる。

 戦車の部品も死体も何も落ちてない。敵の生存の是非を確認できないけど、あれほどやっちゃたんだから生きているわけないよね?


 兵隊なんて大っ嫌いだ。戦争より嫌いだ。兵隊がいなくなれば戦う人もいなくなる。そしたら戦争もなくなる。

 そしたら……誰も「死にたくない」って言いながらしなくて済むのに……。


 少し待ってみたけど、やっぱり何もないようだ。

 うん。前にも砂煙、右も左も煙が舞い上がっている以外何もない。


 後ろはどうかな?

 特に何も考えずに後ろに体を向ける。


 そしたら……。


◆◇◆◇◆◇


 腰まで伸びた絹のような美しい銀髪の少女。

 左足を縛る錠と、それにつながる灰色の鎖。昔のラーファのような、所々汚れた服……ワンピースを身に纏い……


 背中には、鈍い金属製の光沢をもつ大きな機械の翼が生えていた。


 少女の体よりも一回り、二回りも大きい翼。何枚もの銀色の金属を重ね合わせ、先端は鋭くとがり、まるで生き物の羽のように上下に滑らかに動く。金属の光沢と肌の汚れがミスマッチしているが、完成された美しさも併せ持った、兵器とも、少女とも称される一つ


 そこに居るのは確かに……


◆◇◆◇◆◇


 目を隠してしまうほどに伸びた乱れた銀髪の少年。

 右手を縛る錠と、それにつながる灰色の鎖。地面を擦ってできたのだろう所々に茶色い汚れのついた黄土色の迷彩服。首には真っ赤のスカーフが巻かれ、味方の兵だという事が瞳でわかった。

 その子は少年兵だった。

 手には何も持っていないが、背中にはナイフケースがあるのだろう。革のベルトが腰に巻かれている。


 そう、そこに居るのは確かに……


◆◇◆◇◆◇


 あの子がいた。


 互いに会いたいと願ってやまなかった人が目の前に居た。


 片方は少女が嫌っている兵隊の制服を着て、

 片方は人間にはありえない金属製の翼を背中から生やして、


 初めて会った時とは違う互いの姿に笑えなかった。


 風が吹き、二人の間を土煙が再び覆う。

 相手に駆け寄ることなんてできず、ただ立ち尽くすしかできなかった。

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