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鋼の火  作者: 古代紫
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戦場の死神

 朝からずっと続く強い風は日が落ちてから時間とともにその強さを増していった。灰色の鉄で作られ、白い塩が張り付く巨大な塔は時折金属の軋む音がするが倒れる様子はない。塔のてっぺんは地上とは比べ物にならないほどの風が吹き荒れているが、塔はびくともしない。

 その鉄と塩の塔は倒れない。


 月は雲に隠され、地上の光が空に反射してうっすらと塔の屋上を照らす。塩のついた塔はその小さな光を反射させて巨大な光の柱にも見えた。

 その塔の一番上。最上階より上の……屋上。強い風の中、一人の少女が立っていた。

 所々汚れのついた白いワンピースを一枚纏っており、裾は破けている個所もある。茶色の汚れや赤黒いしみが所々について元の純白には程遠い。

 腰まで伸びた長い髪は風になびいて、シルクの糸のようにふわっと浮き上がり、落ちていく。周りからの光は少女の髪を銀色に照らし、見た目とはかけ離れた神々しさを表している。


 彼女は銀色の髪を手で押さえ、建物の縁に来て、地上を見下ろす。

 この地のどこかにあの子がいるのか?

 そう思うと何もできない自分が苦しくなり、あの時そのまま別れてしまったことが残念で、自分の無力さが悔しかった。

 今あの子はどうしているだろう? 出会った時はやせ細って何も食べていなさそうな子だった。もしかしたら餓死しているのかもしれない。

 そしたらもう会えない。もう二度と会えない。そんなの嫌だ! でも……そう思っても会いに行く力などない。


 少女は一人で屋上に座っている。最上階には大人達が居るのだが、彼らはここには来ようとはしない。単純に危ないだけが理由ではない。


 少女に近づきたくないからだ。


 物心ついた時から誰一人として自分のそばにはいなかった。必要な食事は誰かが運んできてくれても声をかける前に走り去ってしまう。メンテナンスの時も放送に指示された場所に寝たり、座ったりするだけで誰も少女に近づこうとはしなかった。

 戦争のときは……いいや。

 少女はそこで思考を中断させて、今度は空を見上げる。星は曇り空に隠され、鳥も飛ばない。

 空までにも見放されたか。そう思うとやはり頭に出てくるのはあの子だった。


 初めて会う人も私を遠巻きに見るだけで決して近寄ろうとはしないのに、あの少年は初めは怯えて距離ができてしまったが、手を握ってくれた。

 そして数日だけではあるが、ずっとそばに居てくれた。

 あの手……。少女は右手を握ったり、開いたりしてその感触を思い出す。少し冷たいが、柔らかくて、私と同じくらいの大きさで、とっても嬉しそうに握り返してくれた手。

 あの手をもう一度、握りたかった。

 いや、一度なんて嫌だ。握ったらもう手放したくない。

 もしかしたら少女の本当のことを知ってしまったらあの子はどこか遠くに……もう二度と少女の手を握ってくれないかもしれない。


 また会いたいと思っても、少女はそれが怖くて探しに行くこともできなかった。もし、あの子が私から離れてしまったら二度と這い上がれない、冷たい泥沼に突き落とされたようになるだろう。そして、だれもその泥沼から助けてくれる人はいない。

 想像しただけで、肩が震えて体が動かなくなる。


 でも、でも……やっぱり気持ちは変わらなかった。


 あの子に会いたい。


 そう思って顔を上げると、地平線が一瞬赤く光った。

 それと同時に、建物に「敵襲!」と放送が響く。

 少女は振り返り、すべての思考を停止させて塔の中へ戻って行った。


◆◇◆◇◆◇


 赤い警光灯が館内を照らし、中に居るすべてのものの緊張をまくし立て、その行動を急かす。すべてのものが一斉にベットから跳ね起きて、素早く着替え、放送で流れる命令に従う。


『一、二、三、四番隊は所定の位置にて待機、五番隊は演習グラウンドに集合し教官の指示を待て』


 放送通り、いつもの黄土色の迷彩服を着て演習グラウンドに集まって整列する。

 ラーファもナコルにたたき起こされて急いで着替える。帽子は被らず、スカーフを巻いてナイフケースを腰に巻いてグラウンドに向かう。

 既にほとんどの子供たちは集まっていて、ラーファは最後になってしまったが、教官には怒られなかった。


「いいか! 今度のは演習じゃない! 本物の鉛玉が飛び交う戦争だ! 気を抜くと死ぬぞ。今までの訓練の成果をここで発揮し、敵を迎え撃て!」

「「はいっ!!」」


 教官の言葉はすぐに終わった。すでに戦争が始まっている今、時間を説教に回しているわけにはいかないらしい。

 教官から少年たちの背丈に合わない銃とその弾薬を持たされ、班ごとに指示が出された。

 五番隊は塔の中の砲撃隊と、救護隊以外の全ての部隊のバックアップが主な目的らしい。バックアップと言ってもそれは建前であることが多く、配属された舞台によっては囮役をさせられることもある。


 ラーファ、ナコル、アルが所属するB班は戦線の一番端っこに在る隊へ送られることになった。

 そこにある隊に合流するまで走る道のりでアルが呟く。


「これって本物の戦争? この間終ったんじゃなかったの?」

「どーせ不満持っている奴らが攻撃してきたんだろう。『まだ負けてない!』とか言ってんだ」

「死なないよね?」

「絶対ってことはないだろう」

「ナコルは……」

「俺は死なない! 絶対に……絶対に父さんと母さんの所に帰るんだ。それまでに……死んでたまるか」

「うん……僕も」


 ようやくB班は前線に居る隊に合流した。塹壕がほられ、その中に大人の兵たちが身を乗り出して銃を構えている。塹壕の縁までたどり着いて部隊長を探していると、一人の大人がナコルを塹壕の中に引きずり込んだ。


「バカヤロウ! そんなとこに突っ立ってるなんて『当ててください』といってるようなもんじゃねえか! さっさと中に入れ!」

「す、スミマセンでした! B班入れ!」


 班長のナコルの声にB班の全員が塹壕の中に入って敵から身を隠す。


「お前たち五番隊だな? 適当に散らばれ。んで大人たちと同じように撃て。それだけでいい」

『はいっ!』


 ラーファはアルと一緒に端っこの方に行って大人たちの間に入って銃を構えた。アルはどうかは知らないが、ラーファにとってこれは初めての戦争だ。訓練とは違って人が死ぬ。


 ラーファは銃の点検と安全装置の確認を済ませると、塹壕から顔を出した。まだ撃ち合いは始まっていないが、十分危険な行為にアルはラーファの首を掴んで引き込もうとする。が、ラーファはその手を振り払ってしっかりと敵のいる方向に目を見据えた。


 赤い光が時折ほのかに光るだけで銃声は全く聞こえない。敵は目の前に居るはずなのだが、何しろ初めての戦争だ。全く実感がわかなかった。


 すると、今までとは違った白い光がぼうっと敵のいるところに広がった。

 刹那、 目の前の現実が引き裂かれた。爆音の数々と、その数だけ飛び交う光る鉛玉。それは地面の土を巻き上げ、人の足を撃ち抜き、鮮血を流していった。


 鳴り響く轟音に耳をふさぎそうになるが、寸前で手を止める。銃を握りなおし、敵を見据えて引き金を引く。

 当たったかどうかも分からないが撃たないとあたらない。当たらなければ、むこうが撃つ。鉛玉が当たれば……死ぬ。

 ラーファは引き金を引く。幼いその身に合わない銃から鉛玉を放つ。横ではアルが怯えて塹壕の中に身を隠し、ナコルが怒って何かわめきながら銃を構え、撃ち続けている。

 大人たちは落ち着いで銃を撃ち続ける者もいたし、肩を撃たれて呻いている者もいたし……もう動かなくなった者もいた。


 何も考えない。考えられない。考えてはいけない。何も思わず引き金を引き、弾幕を張り続ける。部隊長だろうか? 何かわめいて指示を出しているようだが、爆音に遮られて全く聞こえない。 

 これほどまで時間が長く感じられるのも初めてだ。飛び交う銃弾はやむことなく空気を貫き、こちらも尽きることなく撃ちつづける。おそらく十五分もたっていないだろうが、銃を握るラーファやナコルやアルにとっては十時間以上にも感じられたろう。

 

 そして、重い空の隙間に青白い光を放つ月が出た頃。爆音の中でもはっきりと聞き取れる声が、戦場を貫いた。


『全兵に告ぐ。これより、《メーブ・メラ》より《死神》を出撃させる。総員、《死神》の射程圏内より退却し、別命あるまで待機。以上』


 一瞬、ラーファを除いた味方の兵全ての動きが止まった。

 違うか? 味方が全て凍りついたようにも見えた。まるでこの世の終わりを悟ったかのような深く、暗い、圧倒的な絶望の色を一つ、顔に浮かべて……。


 ラーファには知らない単語が多すぎる。何か増援が来ることは分かったが、それが何かまでは分からない。

 すると、ラーファはさっきまで隣で銃を撃っていたアルが塹壕に頭を抱えてしゃがみこんでいるのを見つけた。


「し、死神……あいつだ……あいつが来る。……もう、終わりだ」


 頭を抱え込んで出したその言葉は震えていて、生きている人間が出すような生気が全くなかった。

 

「そ、総員。退避! 退避だ! 俺に続け! 死にたくなければ走れ! あの塔まで逃げろ!」


 部隊長がそう叫ぶと、兵士たちは銃を収めて、必死になって走り出した。敵の銃弾が飛び交おうが構うことなく必死に塔に向かって走り出す。

 その顔に満ちる色は“恐怖”なんて言葉だけじゃ足りなくて……。


「おいアル! 逃げるぞ! 銃弾なんて当たらない! 今逃げればまだ間に合う! 早く立て!」

「……無理だよ。当たっちゃうよ……撃たれるよ」

「うるさい! 五番隊B班っ! 全員居るか? 何人生きてる!?」


 震えるアルを叱咤しながらナコルはB班の人数を数える。あまり散らばらなかったらしく、叫ぶナコルのもとにB班の少年兵たちはすぐに集まった。

 幸い誰も死ななかったようで、ナコルは戦場に合わない安堵の表情を浮かべる。が、すぐに厳しい顔になって少年たちに叫ぶ。


「射程圏外まで逃げるぞ! 死神の射程圏内はこの戦場全てだ。だから絶対に安全だと思えるところまで走れ! いくぞ!」

『はい!』


 言い終わると同時にナコルは後ろに控えてあった塔に向かって走り出した。ナコルに続いてB班の全員も走り出す。

 放送があってから、敵も何かを感じ取ったのか、飛んでくる銃弾は少ないものになっていた。それでも走る横で光る鉛が空気を裂きながら横切ったり、乾いた土を巻き上げたりしている。

 風のない、乾いた大地の上を彼らは走る。襲ってくる銃弾など気にしていられなかった。少しでも早く足を回し、少しでも多く地面を蹴って、少しでも早く……戦場を離れたかった。

 先ほどまであった鉛玉の嵐なんかよりももっと大きい“恐怖”が迫ってきている。そう思うと、体力の限界なんて越しても走り続けるしかなかった。


 雲は月を避けるように割れていき、やがて灰色の空には青白い光を放つ月が露わになった。満月でも、三日月でもない。少しだけ欠けた付は冷たい光で戦場を照らす。

 不完全なつきは灰色の空と不気味な色合いを魅せて、死者を弔う鎮魂歌(レクイエム)でも歌っているようだった。


 すると、塔の中腹よりやや低めの位置が真っ白な光を放ち、塔の麓を照らしたかと思うと、太陽の光にも劣らぬ輝きを纏う一本の光の矢が塔から戦場へ伸びてきた。

 その光の矢は輝きを増しながら少年たちに向かってくる。青白い月を背景に空を突き進む白い矢は、灰色の空をもその輝きで塗りつぶしながら一直線に戦場へと向かう。

 少年たちの後ろに居るはずの敵へ……。


 太陽のような光がラーファの頭上を通り過ぎる時。

 矢は目で追えないほど早く空を貫き、どんなものかもわからない。仮に目で追える早さだったとしても、太陽のような輝きに遮られてはっきりわからないかもしれない。


 それでもその瞬間。

 光も風も、雲でさえも気に留めない小さな、短すぎる時。

 砂塵の中に今にも消えてしまいそうな誰も気に留めない小さな間。


 悠久の時の流れの中では雫の一滴にも遠く及ばないほんの一瞬。


 ラーファは見た。


 見たと……思う。























「ラーファあああ!!」


 アルやナコル、B班の兵が止める声を振り切り、ラーファは走る。


 頭上を通り過ぎた光の矢を追って、


 確かに見たそれを追って、


 今まで走っていたのとは全くの逆の方へ……


 戦場へ。

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