余命
言葉にならない声が漏れ、ラーファは自分の手をじっと見る。両手には冷たい手錠、重い手首に思考が追い付かない。
「ごめんね。でももう時間切れ」
時間切れという言葉をすぐに飲み込むことができない。
センドラは軍の研究員だ。軍に所属している以上、脱走兵のラーファとミルを捕まえることは自然なこと。
だがなぜクラリスがラーファに手錠をかけるかわからない。問い詰めるようにじっとクラリスの目を見る。
「そんなに睨まないで。ちゃんと理由があるのよ」
申し訳ない顔で言うが、手錠を外す気はないようだ。クラリスは両手を胸の前で軽く振って弁明する。
「時間切れっていうのはね。軍の都合でもないし、あなたのことでもないの。ミカエル……えっと、
ミルちゃんだっけ? あの子の体のこと」
そこへクロエが走り、ラーファに思いっきり抱き着いた。勢いそのままクラリスから距離をとる。
「な、なんで手錠なんてかけるの! あなたラーファの友達じゃないの?」
「友達? ……えーっと、友達と言われればそうかもしれないわね。そうよ、友達よ」
「じゃあなんでこんなこと!」
「こうでもしないとミカエルを捕まえられないからよ」
「なんで捕まえるの!?」
「落ち着いて、怒らないで。順番に説明するから」
駄々をこねる子供をあやすような口調に、クラリスとクロエのどちらが年上かわからなくなる。クロエは怯えた猫のようにクラリスを威嚇する。ラーファを両手で抱きしめているのは、守るためなのか背中に隠れるためかあるいは両方か。
いまにも「フシャー」とでも言いそうなクラリスをなだめるように、クラリスは淡々と言葉を続ける。
「ミカエルはね軍を出て行ってからもう何日もメンテナンスをしていないの。部品の修復や交換、清掃もしていないからただ消耗しているだけ。いつ体に異常が起きてもおかしくないわ」
「でも、そんな気配なかったわよ! さっきまでは元気だったし、体調が悪いなんて……」
「体調の話じゃないわ、機械の話よ。使いさえしなければ表に出てこないでしょう。けれど、確実にすり減らしているわ」
「でも、それはミルちゃんの機械の部分の話でしょう?」
「生物学的な意味での体も危ないわ。適合するための薬は毎日服用する必要があるの。そのほか、機械の起動、運用、停止させるたびに体に負荷がかかる。その時の痛み止めや、肉体を機械に適合させすぎないための薬とかね。彼女、今夜は薬は飲んだかしら?」
「……ラーファは見た? ……うん、そうだよね。私もミルちゃんが薬を飲んでるところ、ここ数日見てない」
「だろうと思ったわ。いくつか持って行ったのだろうけど、何日分もないでしょう。彼女が狂うか、電気系統が完全にフリーズするか、それとも生物的に死ぬか……今の彼女には何が起こってもおかしくないの」
「でもミルちゃんはずっとあの姿になってない!」
「いま彼女はあなたたちを逃すために軍の新兵器と戦っているわ。いや、もう終わっているころだろうけど。どちらにせよ、一刻も早いメンテナンスが必要よ。でないと彼女は本当に死ぬことになるわ」
「でも……でも……」
「でもじゃないわ」
それまで端然と話していたクラリスが少しだけ、ほんの少しだけ声を荒げた。ビクッと驚き小さくなるクロエに、すぐに謝罪する。
「ごめんなさい。でも本当よ。私みたいな小娘の言うことなど信じられないでしょうけど、本当のことなの」
「研究所勤めの俺が保証するぜ。こいつの言っていることは全部本当だ」
「ちょっと、手どけて。うざいわ」
いつの間にか車の陰から歩いてきたセンドラが、にやにや笑いながらクラリスの頭に手をポンっと置いた。クラリスは心底いやそうに顔をしかめてそれを振り払った。
「ハハッ。まぁお前らは信じなくても。そこの車は信じるだろ?」
「……まぁな」
「マツダ!?」
ぶっきらぼうに肯定するマツダにクロエが驚いて振り返る。クロエは助けを求めるようにラーファを見るが、彼の表情は前髪に隠れてわからない。
マツダは「これは予想だが」と前置きして
「今夜無理していたら限界だろうな」
はっきり告げた。
「していたら」と前置きしたが、マツダの中では確信があるようだ。
事実、ミルは村で追っての迎撃のために飛び立った。ラーファもクロエもそれは見ているし、ミルがいたからこそここまで逃げ切れたのだ。そして、彼女はいまだ帰ってこない。
クロエはトンネルから出た直後から、空にちらちらと目をやることが多かった。今一度、村のほうの空を探すが、彼女が望む光は見えない。
「ねぇ、ミルちゃんは大丈夫かな。まだ帰ってこないけど」
「さぁな。捕まっているか、撃墜されちまっているか――」
「そんなことない! ……そんなことない」
「案外、もう帰ってきてたり――なっ!」
のらりくらりと笑いながら話すセンドラが急にラーファに襲い掛かった。その瞬間、彼のいた場所に何かが通った。小さな矢のような何かは遠くの岩に当たり、大きな音を当てて表面を砕いた。
センドラはクラリスの腕からラーファを奪い取り、マツダの陰に隠れ、逃げないように片手でラーファの首をしっかり絞める。
「動くな。マツダ。通信を使って呼び出せ。近くにいることはわかっているんだ」
「……わかったよ」
「え、何!? 突然何するっ――」
「動くな!」
「は、ハイ!」
すかさずラーファを奪い返そうとするクロエに銃を突き付けて牽制する。
体をセンドラに拘束されながら、なんとか首を伸ばしてラーファは何かが飛んできたほうに目をやる。月の光を浴びて影を作る真っ黒な景色。そのうちの一つに、微かに光る小さなものを見た。
「おい、大人しくしてろ」
センドラに首をつかまれて、マツダの陰に引き戻される。
クラリスはため息をついて、センドラの横に並んで隠れた。
ただ一人だけ置いてけぼりにされたクロエは、両手を上げて「動くな」という命令を聞くしかない。何かに攻撃されたのならば、今すぐにでもラーファを連れてマツダに乗って逃げ出したい。
「マツダ。ミカエルを呼べ。今すぐだ。こいつを捕まえたことも併せて伝えろ」
「今やってる……すぐ来るってさ」
「それでいい」
そのまましばらくたつと、強烈な風と共にミルがマツダの前に降り立った。暗い空から堕ちるように着陸したミルは真っ黒な機械翼を広げ、センドラを睨みつける。彼女左腕は人を殺すには過剰なほど大きい銃に変化しており、強大な殺気はそばにいるクロエを震え上がらせる。
「ラーファを離して」
「それはできないね」
「離して」
ミルはその場から動かず、銃口をゆっくりセンドラへ向ける。
「いつでも殺せるぞ」という圧を書けるが、センドラには聞いている様子がない。
「それよりだ。お前を研究所に連れ戻す。来い」
どこかで聞いた台詞。よみがえる記憶。
ミルとラーファが初めて出会った場所。曇り空の朝、ラーファを人質に取られ、何をすることもできず別れを告げた。
あのあと、何度も後悔した。自分の無力を呪った。ラーファを助け出せれば、自分が守っていれば、相手より早く動くことができていれば。
あり得ないたらればを夢見た夜は枚挙に暇がない。だからこそ、二人で逃げ出せたときは絶対にこの手を離さないと誓った。
今はあの時とは違う。
「いや。ラーファを離して」
すでに武装展開しているいま、センドラが怪しい動きをしようものなら、彼が引き金を引く前にその首を飛ばすことができる。
加減が難しく、その後ろにいるマツダへの被害が免れないが、大破させるほどではない。
明確に拒絶する。
「ダメだ。決定事項だ」
「いや、私は帰らない。このままずっと旅を続ける」
「その体でか?」
センドラはくいっと顎を動かす。視線の先には武装展開したミル。真っ黒な機械翼、左腕は背の丈ほどある銃に変化しており、右腕も重々しい機関銃となっている。
もちろん、マツダに乗れるのかという意味ではない。そんな人ですらない体で旅をするのかという意味だ。
「わ、私はミルちゃんがこんな体ってこと知っています! そんなことで今更嫌ったりしません!」
「そうじゃねぇよ」
すかさず反論したのは涙目のクロエだ。両手を上げながら必死に主張するがセンドラは一瞥もくれない。
「ミカエル、お前それ戻せないだろ」
「えっ……?」
ミルの眉間にしわが寄った気がした。彼女の放つ殺気に戸惑いが混じる。銃口が少しそれる。
センドラの言葉は憶測やブラフといったものではない。確信を持った声色にクロエが戸惑う。
「おめー自身わかってんだろ」
「……嘘つかないで。そんなことないから」
「お前が来る前にここにいるやつら全員には話した。ごまかしても無駄だ」
「知らない」
「あきらめろ。限界だろ」
「違う!」
「じゃあ翼だけでも納めてみろよ。できるだろ?」
「ぐっ――、ぅう……」
センドラの挑発に乗せられ、翼を収納しようとする。先端から畳んでいき、背中に収めればいい。それだけだ。
「うぅ……あぁああぁ……」
できない。何度やっても途中で止まってしまい、元に戻ることができない。今まで何度も行った動作だが、ここにきて体のあちこちに異常が発生し、自分の思うように動かせない。
無理に動かそうとすれば、金属のきしむ嫌な音とともに背中に耐えがたい痛みが走る。
それでも、意地でも、なんとか畳もうとすると、システムから強制的にストップがかかった。
「なんで――ッ! なんで、こんな⁉」
「限界なんだよ。気づいてんだろ」
「そんなことない! 私はまだまだ――」
「ここにいる全員には、もう話した」
「――ッ⁉」
センドラの言葉は深く鋭くミルの胸に突き刺さる。
虚勢は見破られ、言葉を返そうにも喉の奥に詰まって出てこない。代わりに目頭が熱くなり、涙が込み上げてくる。
銃口は迷うように揺れ、重さを支えきれず下へ向く。
とっくにわかっていた。
なんなら、先ほどテオドールと戦う前から体に違和感があった。何とか逃げ切ったものの、本当は今では立っていることすら辛い。薬も投与せず、メンテナンスも行わず、部品交換も全く行わずひたすら酷使し続けた結果がこれだ。
守ると誓ったのに、逃げ切ると決めたのに。
敵には自分の状態なんてすっかりバレている。何しろ、センドラはミルを開発し、メンテナンスを行っている張本人だ。
強がりは通じない。
でも、それでも……。
「私は、絶対にあなたについて行かないッ‼」
持てる力を振り絞り、再び銃口を突き付ける。
体が悲鳴を上げようが、頭痛とめまいで倒れてしまいそうになるが、あの悪夢をもう一度見ることだけはイヤだった。
二度と離れない。離れたくない。
これは絶対に手放したくないものだ。
「はぁ、強情だな……しょうがないな」
センドラは肩をすくめて大きくため息を吐くと、ラーファの首から手を離した。
そして、ラーファの耳元で何かをつぶやくと、彼の背中をミルのほうへと押しやった。
「ほらよ」
「え……? あ、ラーファ!」
駆け寄ろうとしたミルが倒れるより早く、ラーファは彼女を抱きとめる。大きな翼と銃器に似合わず、彼女の全身には全く力が入っていなかった。ミルは体を預けながら、何とか両手を伸ばしてラーファを抱きしめる。
「はぁ、よかった。よかったよぅ……うぅ」
半べそになりながらも笑顔を作り、ラーファの首に顔をうずめる。
ただ、ラーファの顔は全く笑っていなかった。
悔しそうに下唇を小さくきゅっと噛む様子を見ることができたのは、離れたところでたたずむクラリスだけ。
ミルを落ち着かせるように機械翼の背中をさするが、その手は何かを探しているようだった。
「ごめんね、遅れちゃって。まだ一緒にいられるよ。ね……」
小さくうなずくと同時に、ラーファはミルの背中に這わせた指先に目的の物を見つけた。
それは大人の親指程度の小さなハッチだった。縁に小さな溝があり、ラーファはそれに指を掛ける。
「え、ラーファ⁉ だ、ダメ! それは――」
慌てて離れようとするミルを強く抱きしめ、中のボタンを迷いなく押す。
瞬間、ミルの意識は暗闇の中へ落ちた。
「な……んで……」
ふり絞った言葉はだれにも届かない。全身の力が抜け、ラーファによりかかるようにして地面に倒れた。
ラーファが押したのは緊急停止ボタン。何かしら異常が発生した際に意識がと強制的に止めることができるボタンだ。背中にあるため、普段はミルも触ることができないことに加え、これまで一度も使用されたことが無かったため、本人でさえその存在を忘れていた。
「よくやったな」
完全停止したミルをセンドラが肩に担ぎあげる。そして、そのまま乗ってきたトラックに放り込んだ。
「な――っ、ラーファ⁉ なんで⁉」
一連の流れに全くついていけないクロエ。ようやく体を動かして、呆然と空を見上げるラーファに駆け寄った。
ふらり、とラーファは体を揺らし、そのままクロエに倒れこむ。クロエは両手を広げて受け止めるが、ラーファは心ここにあらず、立つことすらできないほど力が入っていなかった。
クロエが顔を覗き込むと、ラーファの目はいつも以上に焦点が合っていなかった。彼の無表情には後悔とあきらめの色が入り混じっている。
「俺が言ったんだよ」
「あなた、何を!」
「あと三日で死ぬミカエルを助けたければ、背中の緊急停止ボタンを押せってな」
「そっ――」
ミルの強さはここにいる全員が知っている。クラリスとセンドラはもちろんのこと、ラーファやクロエやマツダさえもこの旅で彼女の強さは見てきた。彼女に立ち向かって勝てる人間なんていないだろう。戦車や戦闘機一機でさえも足りない。
そんな圧倒的な強さを持つ彼女の背中にある緊急停止ボタンなど、彼女が許可しない限り触れることすら叶わないだろう。
だからセンドラはラーファを使った。
ミルが一番信用しているラーファに、彼女の命を人質に突き付けた。
ミルのことを一番に考えているラーファに、彼女を差し出すように迫ったのだ。
「この――ッ外道! クズ! 最低よ!」
「何とでも言え。俺はやるべきことをやるだけだ」
吐き捨てるようににらむクロエに一瞥もくれず、今度はラーファの腕をつかんだ。
「何よ! ラーファまで連れて行く気? いやよ、絶対に話さない!」
「ダメだ。こいつにも用があるんでな。それに、ミカエルと同じところに連れて行くんだ。本望だろ?」
センドラの手を乱暴に振り払い、ラーファをかばうように自分の背に隠す。
しかし、ラーファはクロエの背中から出て、自分からセンドラの前に立つ。
「ラーファ……?」
「お前も荷台に乗れ。おとなしくしている間はあいつと同じところに連れて行ってやるよ」
「ダメ! ラーファ、行っちゃダメ!」
クロエは慌ててラーファの肩をつかむが、ラーファはクロエの顔を見て、少し悲しい顔をするとセンドラのトラックの荷台に乗りこんでいった。
「ラーファ……」
「おいクラリス。行くぞ」
「はいはい」
クロエの伸ばした手はどこに届くこともなく空を切る。
行かないで、行ってほしくない、置いていかないで。
出かかった思いはすべて言葉になることなく、喉に詰まる。
ラーファのミルへの思いを考えると、止めることができなかった。
「あぁあぁ……うあぁ……」
膝から崩れ落ち、涙が込み上げてくる。両手で顔を覆い背中を丸めると、一気にあふれ出してきた。
どうしようもなかった。何もできなかった。
『二人のお姉ちゃんだから』なんて言っても、いざというときに隅っこで立っていることしかできなかった。
自分が情けなくて、悔しくて、ミルもラーファも連れていかれる今を視ることができず、涙を流すことしかできない。
すると、ずっとわきでその様子で見ていたクラリスがマツダのボンネットを軽くたたいた。
「はぁ、マツダ。あんたは別に捕獲対象じゃないわ。けれど、付いてくるかどうかは勝手になさい」
それだけ言うと、クラリスはトラックの助手席に飛び乗った。
ドアが閉まるとセンドラはエンジンをかけ、砂煙を上げながら荒野を走って行った。
「おい、クロエ」
「うぅ……ひぐっ、何?」
「行くのか? 行かないのか?」
「え、あ……」
「今ならまだ村に戻れるぞ」
ここは村から少し離れたところ。離れているところだが、今ならまだ帰れるのだ。何かに追われることのない、のんびりした平和な村へ。
だけど……
「ぃ、……く」
「あ? 聞こえねーぞ」
「行くわよ! 私はあの二人のお姉ちゃんなのよ!」
「そうか。じゃあさっさと乗れ」
涙を腕で拭い、クロエはマツダに飛び乗った。マツダはエンジンをふかし、ライトをつけてラーファたちを追いかける。
暗い荒野を街灯もないまっすぐな道が伸びている。そんな寂しい夜空の下、トラックと自動車は西へ向かって走って行った。
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