軌跡
3年と4ヶ月ぶりです! お久しぶりです遅れました!
黒いインクに青を混ぜたような空は星と月の光が目立つ。風が雲を押し流し、雨が降る気配などみじんもない。まさに、天体観測に絶好の夜だ。
(そんな暇、ないけどねぇ!)
ミルは心の中で悪態をつきながら、空を駆ける。
尾を引く光は流れ星ではない。空を駆けまわる敵と火を噴く機関銃だ。
そんなものなんて見たくないと言わんばかりに逃げる。高度をとり、旋回、急降下、減速、急加速、左右に不規則にまわり、時に宙返り。
空を飛ぶ戦闘機は二機だけ。ミルともう一機、人を改造して作った戦闘機、テオドールがぎらついた眼でミルを睨む。
二機の戦闘機が織りなす光の軌跡は、当事者でなかったらどのように映っただろうか。空を泳ぐ流れ星と美しく感じるのだろうか。それなら私もそこから見てみたい。見ている分ならいいけど、こうやって銃を向けられるのはイヤだ。
体をひねり、銃弾をばらまく。しかし、テオドールはそれをひらりひらりと避け、反撃してくる。
まずい。避けることで精一杯な上、散発的な反撃では当たりっこない。かといって全力で逃げようとしても振り切れないだろう。下手に逃げてラーファ達が見つかったら大変だ。けれど、迎撃できるかどうか……。
空で鬼ごっこして、撃ちあって分かった。テオドールの性能はミルよりもワンランク上だ。銃火器の威力もエンジン出力、装甲……兵器としてテオドールには勝てない。真っ向から勝負しても簡単に撃ち落とされるだろう。
いや、テオドールはミルを捕獲することが任務なのだから、撃ち落とされることはないか。瀕死にされるだけだ。
「どうしよう。逃げてばかりじゃダメだし……もう! あっち行ってよ!」
自分に照準が合わされた弾を飛行軌道を逸らして回避。つい先ほどまで飛んでいた空間が爆発する。
考えながら逃げると、思考をそっちに持って行かれるので危ない。けれど、全力で回避・応戦していても状況を打開できる算段もなし。時間が過ぎていけば、バッテリー、弾に制限のあるミルには厳しくなっていく。
体をひねると弾が掠める。奥歯を噛みしめ、ミルは自分の不幸を呪う。身の上を呪ったことはこれで何度目か……苦笑いしか出てこない。ラーファと塔から逃げた時に覚悟していたが、自分の上位互換兵器を相手にするとは。
夜の空に硝煙のにおいが混じる。上には砂のように小さい星と、大きな月。下には雄大な大渓谷。遠くに村の明かりがぽつぽつとぼんやり光る。真下には追跡隊の一団。戦闘態勢でミルとテオドールの空中戦を見ている。
ミルが銃口を向ける先にはテオドール。大人になりきっていない人間の体から生えた鋼の翼で、空を駆ける。
狙いを絞って引き金を引く。けれど、掠るだけで勢いは全く衰えない。
「何でもいいから一撃さえ入ればッ――」
一瞬でもいい。一瞬さえ動きが止まってくれれば地面にたたき落とせる。飛行能力に支障が出たら追ってくることは難しくなるだろう。それがミルの勝利条件。
撃ち落とすか、叩き落すか。どっちでもいい。方法はなんでもいい。
だけど、殺したくないっ!
「んなトロい弾が当たるかよ! しっかり狙ってみろポンコツ!」
テオドールの翼を狙ったが、当たらない。二発、三発目と打つものの、テオドールはくるりと旋回して反撃。それをミルは空に高く上がって避けた。
テオドールが余裕をもって回避と攻撃を繰り返すのに対し、ミルの行動はどれも危険と紙一重のものだった。
ミルは残りの弾数を確認してみると、あまり余裕がないことが分かった。かといって、あまり節約しながら戦わせてくれる相手でもない。
残りの弾を一気に使って勝負を決めに行くか、弾はあまり使わずに逃げ回り、長引かせて相手のミスを待つか。迷ったが、再び火を噴いたテオドールの機関銃がミルに決断を促した。
「大事な弾だし、あまり使いたくないけど」
ミルは銃口を向け、引き金を引く。眩い光はテオドールに鉛の雨を浴びせた。
テオドールは発砲炎に目をしかめるも、大きく迂回して回避。
風を顔に受け、機構翼で空を駆け、身の丈ほどの銃を持つ。
どれも今までにはできなかったことだ。自分をこんな体にしてくれた大人には感謝している。
今まで偉そうにしていた大人は俺を怖がるようになった。少しすごめばみんなビビる。
力があふれる。心が躍る。
どこまでも行ける。どんな敵も倒せる。
最高の気分だ。
お前を殺せば俺はもっと上に行ける。もっと自由になれる。もっと強くなれる。
もっともっともっと……
「だから、さっさと死ねよ!」
ミルの弾を回避しきったところで、銃を向ける。目を凝らし、狙いを澄ます。しかし、標的の影は探すまでもなかった。
先ほどまで離れて飛んでいたミルが、月を背中に目の前に迫っている。両手を高く上げ、身の丈以上の機関銃を振り下ろさんとばかりに。
銃撃戦ではなく、近接戦の間合い。驚いたことでテオドールの体が少し固まった。
高速で空を駆ける人間兵器同士の戦闘において、それは致命的な隙になる。
「おまっ……早っ……!?」
「堕ちろぉお!!」
ミルの叫びとともに機関銃の腹がテオドールの方に直撃した。身の丈ほどのある機関銃が瞬時に改造され、巨大な鈍器となって叩き込まれた。
速度と重さが合わさった強烈な一撃にテオドールは目をむいた。腹の空気が押し出され、声なき悲鳴とともに吐き出される。
ふっと意識が遠のき、気が付いたら背中から地面にたたき落された。
「ガ八ッ……てめ……いてぇ……クソッ! このやろう……」
激突の衝撃で今度こそ気を失いそうになる。が、下唇を思いっきり噛んで意識を無理やり現実につなぎとどめる。
ぶっ殺してやる。
血走った目で標的を探すも、ミルはすでに真上にいない。テオドールに一発入れると同時にすでに逃げる態勢に入っていたのだ。
急いでテオドールは空の一筋の光を追う。だが、足と背中に力を入れるも背中の翼はピクリとも動かない。無理やりエンジンをふかしても、空回る音がするだけで、体は宙に浮かない。
「クソ、飛べねぇ! 機構翼がいかれた!」
背中の機構翼を動かし、エンジンを動かしてみるものの動作は止まってしまう。何度試してみても体は浮かない。地面に落ちた衝撃で壊れてしまったのかもしれない。
すると、テオドールの頭に通信が入った。頭に埋め込まれた通信装置を念じるだけでONに切り替える。
『……ザ……ザザ……テオドール、聞こえるか。』
「ああ!? 聞こえるよ! 機構翼がいかれた!」
『こちらからもお前の状態を確認した。追跡は難しいだろう。無理して動かそうとするな』
「逃がしちまっていいのかよ!」
『かまわない。今はお前の状態のほうが優先だ。お前も自分の価値を知っているだろう? 標的は直り次第また追えばいい』
「……チッ! 仕方ねぇな!」
『今そこに迎えを送った。動くなよ』
「はぁ、了解」
通信を切り、あおむけに寝そべって夜空を見上げる。月と星の明かりに混ざって流れる灰色は先ほどまでそこで戦っていた証拠。風に流れて朝になるころには跡形もなく消えてしまうだろう。
ちらりと見るが逃げたほうへ眼をやってみたが、彼女の姿はもう見えない。これまで幾度となく逃げてきたやつだ。うまく隠れたのだろう。
そこまで考えて、胸の奥底から気持ち悪い熱さが込み上げてきた。
腹が立つ。
俺は負けた。機構翼、重火器の性能は確実にこちらのほうが上だ。そのうえ、ミルは長期にわたってメンテナンスを行っていない。実戦経験の差があるとはいえ、負ける気なんて全くなかった。
でも負けた。
しかも、殺されていない。
「あいつ……」
手を抜きやがった。
殺そうと思えば殺せたはずだ。地面にたたきこまれた後、そのまま爆弾を落とすでも、上から殴りつぶすでもやりようはいくらでもあったはずだ。
「クソッ!」
振り下ろした腕を地面にたたきつける。バチッと何かがはじける音がした。腕のどこかが壊れたようだ。乾いた地面にはヒビ一つ入っていない。
「あー……。次は絶対殺す」
四肢を投げ出して、空を見上げた。先ほどの戦いの硝煙はどこへやら、雲一つない星空が広がっていた。助けが来る間、ずっと見ていられるほどきれいだった。
◇◆◇◆◇◆
照明の消えたトンネル内をマツダのヘッドライトだけを頼りに進んでいく。トンネル内はマツダのエンジン音しか聞こえない。不気味な暗さと静けさだが、それは追手は来ていないことの証明だ。
ラーファは運転席に、クロエは助手席に座っている。クロエはしきりに後ろを振り返り、真っ暗で何も見えない来た道を見てはため息をついていた。長いトンネルを進むにつれ、村に残してきたミルが心配になり、息が苦しくなる。
しばらくすると、前方がほのかに青く光っているのが見えた。
「見えたぞ。出口だ」
トンネルから抜け出すと、一気に視界が開けた。
雲一つない空にぽっかり浮かんだ月が大地を青く照らしている。岩が、木が、雲が黒い影をかぶり、静かに眠っている。
マツダは外に出るとゆるゆると減速させ、やがて黒い物陰の前で止まった。
「よう、こんばんは。長旅ご苦労さん。」
「こんばんは。道のど真ん中に車を横付けなんて交通マナーがなっていないおっさんだな。教習所からやり直したらどうだ?」
「これは痛いな。だがお前らを止めるためだ。必要なことさ」
横付けした大型車からは男の声が聞こえる。軽口をたたいて返したのはマツダだが、真っ先に運転席から飛び出したのはラーファだった。
会うのは三度目、一度は雪の降る街で、二度目は軍の研究フロアの一室で。ラーファからミルを引きはがし、ラーファをミルに会わせた研究員の男だ。
「おぉ、ラファエルじゃねぇか。元気そうだな……まぁ当然か」
マツダのヘッドライトに照らされて運転席から出てきた男は笑っていた。左手を挙げてラーファに向かって軽く振る。右手は背中に隠れて見えない。
ラーファは聞きなれない名前で呼ばれたため、男が自分に呼び掛けているのだと一瞬気が付かなかった。
「あー、今はラーファなんだっけな? まぁどっちでもいいけど」
頭を掻きながらゆっくりと近づいてくる男にラーファは警戒心を高める。腰のナイフケースに手を当て、いつでも抜けるように身を屈める。
ここでこの男を倒しておくべきか。だが、相手は上背も腕力も勝る大人だ。マツダに乗って逃げようにも道は塞がれている。道を逸れて荒れ地を走るにはタイヤが心配になる。
「待ちなさいセンドラ。ラーファが怖がっているじゃない」
「怖がることないじゃないか。俺はお前を診たいだけだ」
「あなたは人相が悪いのよ。そのにやけ面も不快だわ。下がってなさい。私が話すから」
「はぁー、失礼なお嬢さんだこった。はいはいわかりましたよ、任せましたよクラリスさん」
今度はラーファにもマツダにも聞きなれた声だった。助手席から飛び降りた小柄な影は、マツダに照らされて初めて顔がうかがえた。
「久しぶりねラーファ。クラリスよ。覚えてる?」
見知った赤毛の女の子、クラリスだ。ラーファとミルが逃げ出した時、マツダを送ってくれた恩人。
だが研究員の男……センドラと一緒の車から出てきた理由が分からない。一瞬緩めた緊張の糸を再び張りなおす。
「待って、怖がらないで。……わかったわ。センドラ、あなたは車に戻ってなさい」
「俺が診なきゃ意味ねーだろ」
「このままじゃらちが明かないでしょ。いいから」
「はいはい」
センドラは運転席のドアまで下がり、車に背中を預けた。入れ替わりにクラリスが歩いてくる。
クラリスは途中でマツダをじっと見た。
「マツダも元気そうね。妙にきれいになっているじゃない」
「おう、近くの村で整備してもらったんだ。惚れてもいいんだぜ?」
「私は車には惚れないわよ……拾い物をするとはさすがに想像してなかったけど」
「あ、はい! えっとクロエです! ミルちゃんに拾ってもらいました」
クラリスににらまれ、助手席にいたクロエが飛び出してきた。突然の邂逅から互いに顔見知りであろう三人(と一台)の話に全くついていけず、助手席で縮こまっていたところ、ついにクラリスに見つかってしまった。今更会話に飛び込めないし話の流れもわからない以上、非常にばつが悪い。とりあえず名乗ったものの、どうすればいいからからずずっと目が泳いでいるのが自分でもわかる。助手席に戻りたい。助けてミルちゃん……。
「こんばんは。私はクラリス。ラーファの友達よ。ラーファ、こっち来て。そこくらいからよく見えない」
簡単に挨拶をしたクラリスはすぐに興味をラーファへ移した。ラーファの手を引き、マツダのライトが当たる明るい場所へ連れていく。
グイっと引き寄せ、ラーファの両頬に手を当てて顔を覗き込む。銀髪の隙間から見える黒目は澄んでいて以前より輝いている。
確かめるようにゆっくりと指を動かし、頬から顎へと滑らせる。一度手を放し、耳をさわさわと指でもみ、最後に前髪をかきあげてラーファの黒目をじっと見つめる。
「きれいね。それに、前より元気になってる」
ラーファの顔から手を放し、肩に手を置く。そのまま引き寄せ抱きしめた。
「……細いわね。栄養取ってないでしょ? ……仕方ないか」
クラリスの吐息交じりの温かい息が耳にかかる。あきれたように喉を鳴らすクラリスの声がいちいちくすぐったい。
クラリスは肩から背中にかけてゆっくりとなぞり、やがて強く力を込めて抱きしめる。されるがままのラーファは全身の緊張がゆっくりと抜けていくのを感じた。
「マツダは役に立った?」
ラーファはゆっくりうなずく。
「よくここまでこれたわね。大変だったでしょ?」
無言。ラーファは首をかしげた。
「……ここまでの旅は楽しかった?」
うなずく。
「そう。よかった」
安心したようなため息が耳にかかる。クラリスの腕の力が抜けたように感じた。本当に「よかった」と思っているのが肌で分かった。クラリスに合わせ、ラーファの体も自然に力が抜けていく。
そのままたっぷり三十秒、クラリスはゆっくり体を放す。
ラーファの両手にクラリスの手が触れた。
カシャン
「残念だけど、あなたたちの旅はここで終わりよ」
ラーファの両手には手錠がはめられていた。




