クロエとレイ
遠く遠く、夜空の彼方に光るものを見つけた。意識したわけではなく、体が、自身の内側が、死神と呼ばれた兵器の体がとらえたのだ。
高速飛行中の物体を確認。拡大表示。解析。検索。識別。メーブメラ軍の小型誘導ミサイル。
距離、速度、着弾地点を予測。私から半径2メートル以内。着弾時の被害を予想。戦闘隊形に移行し――
どこからそれを意識し始めたかはわからない。だが、このままでは隣にいるラーファが怪我をすることは確実だった。考えるまでもなく、機械の体の計算に頼ることもなくともわかる。火を見るより明らかな結果が待っている。
「おねえちゃん! レイさん!」
彼女らに届いたかなど関係ない。叫ぶと同時にラーファを投げていた。
振り返った時にはもう避けられないところまで迫っていた。身をかがめ、両手を顔の前で交差。右腕を機械の体に変形させて防御態勢を作る。
足元に着弾。真っ白な光が目を焼き、衝撃と爆風に包まれる。熱が肌と服を焦がす。髪が焼き払われ、腕をもがれる。
熱い、痛い、眩しい。焦げた肌は熱さよりも鋭い痛みを脳に届け、瞼の裏まで真っ白になった光で目も開けられない。やけに静かだと思ったが、聴覚がマヒしているのだとようやくわかった。熱せられた空気は鉄と土が焦げた匂いがする。
でも、死にそうな痛みも、叫びたいほどの熱さも感じない。戦闘時だけ痛覚はシャットアウトしているのだ。戦闘になるたび痛みに脳を焼かれれば、頭がおかしくなる。
きしむ体を自己修理していくにつれ、視力が戻り、土煙がだんだん晴れていく。ふわりと髪が頬をくすぐると、毛先がちりちりと燃えて、消えていった。
ラーファがきれいって言ってくれた髪。車でくっついて寝ていた時、鼻をくっつけながら、やさしくなでてくれた髪。くすぐったかったけど、うれしかった。
今日はおねえちゃんが洗ってくれた。ぶきっちょだったけど、気持ちよかった。そして、レイさんが乾かしてくれた。気持ちよかったから、おねえちゃんにもやってあげたいと思ったから、ドライヤーのコツを少しだけ教えてもらった。
やっとたどり着いたところだと思ったのに。ここなら安心だと思ったのに。見つからないと思ったのに。
奥歯を噛む。肩に力が入る。瞼を強く閉じると、目の裏がチカチカ光る。
手に入れた物を、ずっとほしかったものを、暖かい幸せを……壊された。
ミルは腹の奥底で煮えたぎる感情も、体を固める無駄な力も、一息で吐き出した。吐き出すと、上った血が落ち着いていく。思考が冷静になる。けれども、身体中の血をたぎらせる静かな怒りは冷たく燃えている。
「――――ッ!」
顔を上げ、視線の先に見据えた敵へ……飛んだ。静かに唱えた言葉はもちろん、恋人と姉と幸せを置き去りにして。
◇◆◇◆◇◆
クロエの行動は早かった。すぐさま車庫に走り、シャッターを開ける。中にいる車のヘッドライトは点いていた。
「マツダ! 起きてる!?」
「さっきので起きた。来たか。すぐに逃げるぞ! ラーファとミルは?」
「ラーファはそこにいる。ミルちゃんは……」
車庫から出たマツダは、爆発後の残る現場を見てすぐに察した。
「ミルとは後で合流するぞ。とりあえずここから逃げる」
「え、でも待ち合わせ場所も何も決めてないよ!?」
「ここにいたら歩兵に捕まる! 行くぞ!」
マツダの判断はもっともだ。ラーファはすぐに助手席に飛び乗り、シートベルトを締めた。幸い、買った燃料や食料はマツダに積んだままだった。マツダ自身もしっかり休めたので、いつでも出られる。
「…………クロエ」
「クロエ、残りたいならここに残っていいぞ」
突然のことに全く追いつけなかったレイがようやく口を開く。自らを呼ぶ声に、運転席のドアを開けるクロエの手が止まった。
エンジンを温めるマツダはレイに聞こえない声で言った。
クロエはマツダとクロエを交互に見る。エンジンをふかし、いつでも発車できるマツダ。伸ばした手を中途半端に引っ込め、言葉を見つけられないレイ。
行くか、行かないか。
クロエはもともと、ラーファとミルと成り行きで一緒になっただけの仲だ。次の街まで……という初めの約束から、ミルと仲良くなって、ラーファと仲良くなって、マツダに叱られて……。おねえちゃんと呼ばれるまで仲良くなり、旅をしていたのだ。彼らの危険に、クロエが巻き込まれる必要なんて、どこにもない。
追手が狙っているのはミルとラーファだ。クロエはここに残れる。
運転席のドアとレイの手、どちらを掴むか。視線が泳ぐ、思いが揺れる。
ぎゅっと目を閉じ、クロエは走った。
クロエはレイの手を取った。手を精一杯伸ばして、顔は下を向いたまま。反対の手は拳を握っている。
「クロエ……いいのかよ?」
レイの問いかけを待たず、マツダは車を走らせた。
「待ってマツダ! 私も行く!」
「な、お前、残るんじゃねぇのかよ?」
「ごめんマツダ。ちょっと待って」
顔を上げるクロエの目は揺れていなかった。
「ごめんレイ。ちょっと……」
「うん。そうか……そうだよな」
「うん。ごめん……私、あの子たちのおねえちゃんだから」
おどけてみせたら、レイはきょとんとしたが、拳を額に当てて笑った。困ったような、それでも楽しそうで、何かを懐かしんでいるように。
「そうか、おねえちゃんならしかたないよな……」
レイは肩を震わせていたが、意図呼吸で落ち着くと、繋がった手を握り返した。
「行ってらっしゃい。待ってる」
「うん。ありがとう。行ってきます」
自然と手が離れ、クロエはマツダに乗り込んだ。
「マツダ! あ、すいません、マツダさん! 逃げるならこっち、来てください。裏道があります」
「おう。どこだ! どこにある?」
「うちの車庫ですよ! 今は使っていない扉から、トンネルに入れます!」
レイはマツダがたった今出てきたばかりの車庫に入り、壁に取り付けられた基盤のスイッチを入れる。
すると、奥の壁と思わしきものが上に動いていった。
「おおぉ……すげぇ。荷物と棚で全然気が付かなかった」
「誰も使ってませんからね。でも、渓谷の外に出られるはずです。暗いので気をつけて」
壁が動いている間に、マツダが通れるだけのスペースを確保する。倉庫も兼ねていた車庫なので、ごちゃごちゃしたものが多い。
やがて、壁が上がりきったころには何とかマツダが通れるようになった。
「じゃあ、渓谷の北西の方に出られるはずです。途中に曲がり角はないので、迷わないかと」
「ありがとな。じゃあ、行くぞ。クロエ、良いのか?」
「良い」と聞かれると全部言いというわけではない。けれど、今のクロエにはこれが「良い」。
「うん。レイ。絶対帰ってくるから。おばさんにもよろしくね」
「おう。待ってる」
ヘッドライトをハイビームに切り替え、マツダは発進した。追手がすぐそこに来ている以上、一刻と無駄にはできない。
すると、窓から体を乗り出したくろえが手を振っていた。
「ありがとーレイ。またねー、大好きだよー!」
ドキッとする言葉だが、あっけらかんというもんだから、苦笑いが漏れる。だけど、きっとこれはクロエの本心の言葉のはずだ。きっと、二つの意味の大好き。
だからレイも手を振って返す。
「おう! 俺も大好きだぞ!」
きっと届いただろう。言葉も、本心も。
もうクロエの姿は闇に溶けて見えなくなった。ヘッドライトが暗闇の中で、彼らの軌跡を描いている。
「おねえちゃんだから……か」
昔、クロエもレイも幼かったころの記憶。 何だったか思い出せないほど、些細なことが原因での言い合いを思い出す。
『わたしのほうがとしうえなんだよ! おねえちゃんはわたし!』
『ちょっとじゃん! 3ヶ月ちょっとじゃん!』
『それでもわたしがおねえちゃんだもーん。おねえちゃんのいうことはちゃんとききなさい!』
「……懐かしいなぁ。クロエ、変わってないし」
うれしさと、少しの寂しさにまた苦笑いが漏れた。
好きだった、今も好きな幼馴染との再会と別れは、あまりにも一瞬だった。
「まぁ、あいつなら戻ってくるか」
『絶対帰ってくる』とクロエは言った。言ったからには、そうなるのだろう。
そう信じている。
あいつは約束を破らない、おねえちゃんだからな。




