村の商店
そこは、谷底にできた村だった。谷底を流れる川に沿って畑が作られ、人々が暮らしている。住居などは天然の壁を掘って作られたものが多く、壁面をよく見るとところどころに窓が付いていることがわかる。崖の上から太陽の光が差し込み、谷底を照らす。若干の肌寒さを与える空気も、暖かい日の光に当てられれば心地よさを与えてくれる。
谷底にある集落には常に一定の風が吹いており、風車がそれを受けることで電力を供給しているようだ。
規模は大きくなく、交易路から外れ、人の出入りが少なく、一度は忘れれらた地に成り立つ集落。
そこは崖と小道で外界から隔離された場所だった。
「ふわあぁ。すごいね、自然と科学が融合している感じだよ」
感嘆したのはクロエだけじゃなかった。小規模な電力システムと壁から覗く近代建築、それでいて大渓谷の景観は全く損なわれていない。声には出していないが、ミルとマツダも同じように驚いていた。
そして何より、この集落の中で一つの世界が成り立っている。
「人があまり来ないところなんだね……」
自分は知らなかったし、地図にも載っていなかった。渓谷に阻まれてこの集落はよく見えないし、町の人たちも噂程度にしか知らない。当然、メーブ・メラ軍の関係者もここの存在は知らない。
つまり、
「……安全地帯?」
口に出したとたん、自分が今いる場所を理解できた気がした。その理解が胸をざわつかせ、心をくすぐった。背中の中心からこそばゆい感覚が全身に広がり、体表をなぞる鳥肌が気持ちいい。
「ラーファ。ここが良いよ! 全然知らないところだけど、だからいい!」
返事はないが、それでも彼がこのことを理解できたのはわかった。口元が少し笑っていた。
「ねぇ、いいでしょマツダ? ここに住みたい! ここがいい!」
「え、まぁ俺はどこでもいいけどさ、ここの住民が許してくれるかどうか……」
「なになに? ここに住むの?」
鼻息を荒くするミルに返事をするマツダは、顔があったら難しい顔をしていただろう。
とりあえず、燃料と食糧の補給が優先事項だということで、商店にやってきた。
マツダが商店の前に止まると、三人はぞろぞろと降りていった。
「あら、いらっしゃい。……ん?」
「こんにちは。長持ちする食料と燃料をください。あと、あれば服を見せてくれませんか? 子供用のも」
店の奥から出てきたのは40代ほどのおばさんだった。おばさんはすこし不思議な顔をしたが、クロエは構わず店を物色し、話を進めようとする。
「はいはい、缶詰とか保存食はそこら辺にあるから好きなの探してね。服はどんなのが欲しいかい?」
「とりあえず、あるものを見せてくれると嬉しいです」
「わかった、ちょっと待ちなね。燃料は後でね」
クロエの希望を了承したおばさんは顎に親指を当てて「ふむ……」とうなった。
「……あななたたち、ここら辺の人じゃないね? どこから来たの?」
やはりというべきか、人の出入りが少ないこのような小さな集落ではよそ者は目に留まるらしい。
「西海岸に行く予定です。けど、どこかに定住できるところがあればいいかなーなんて思いながら移動中です」
クロエは笑って答える。嘘は言っていないし、誤解されることもないが、おばさんの質問には一切答えていない。おばさんも深くは追及しては来ないようで、上手く誤魔化せた。
クロエはともかく、ラーファとミルは元メーブ・メラ軍所属である。それも、方や軍が誇る最強兵器で、方や軍の中でも一部の人間しか知らない極秘研究対象。加えてお尋ね者だ。余計なことは言わない方が良い。
「じゃあ服と燃料を持ってくるからちょっと待っててね」
おばさんは店の奥に消えていき、ラーファ達は手持ち無沙汰となった。お店は決して狭いわけではないが、棚が多くあるせいで、少々圧迫感がある。窓から入る光と店内の蛍光灯が店内をぼんやり照らす。木造の棚と少しだけごちゃごちゃしている店内の空気が、不思議と落ち着く。
さっそく、ミルとクロエは壁沿って陳列されている商品の中から長持ちしそうな食料を探し始める。
「あ、ねぇ桃缶があるよ! ミルちゃん、桃缶!」
「おねえちゃん、桃缶なんていらないでしょ……あ、パイン缶だ、これは買わないとねー」
「ちょっとミルちゃん、パイン缶を買うんなら桃缶も買うでしょ?」
「桃缶は要らないもん」
「じゃあパイン缶だって要らないじゃん」
「パイン缶必要だよ! おいしいもん!」
「桃缶だっておいしいし!」
「それはおねえちゃんが食べたいだけでしょ? そんなお金はないですー」
「パイン缶だってミルちゃんが食べたいだけでしょ」
「そんなことないもん。パインは栄養あるからいいですー」
「じゃあそこでココナッツミルク缶を積み上げているラーファはどうなの!?」
姉妹の争いの横でココナッツミルク缶を手にとっては積み上げていたラーファ。突然の名指しに手元が狂い、今まさに乗せようとした四段目の缶が手から滑り落ちた。
ガラガラ……と、今後の食料として絶対に使わないであろうココナッツミルク缶のタワーが崩れていく。
「それは……いらないね」
「……うん」
「ラーファ、ちゃんと片付けな。それとミル、クロエ」
「なぁに?」
「んー?」
「桃缶もパイン缶もいらないんだからか片付けろ。お前ら、必要なものだけを選べ」
『うー……はい』
店の外で黙っていたマツダに言われ、二人は手に持った缶をしぶしぶ棚に戻した。
「ちなみにラーファ、お前はココナッツミル缶が欲しかったのか?」
ラーファは店の外に出て、首を横に振る。
「まぁそうだよな」
その後、ラーファが店の外でボーっとしている間にミルとクロエが食料を選んでいった。途中、携帯食料のメープル味とココア味のどちらを買うかで衝突が起きたが、半分ずつ買うということで落ち着いた。
「ラーファ、お前は確か……チーズ味が好きじゃなかったか? そればっか食べててなかったか?」
ラーファは何も答えない。何も答えない代わりに、首を横に振ることもない。
「ミル。チーズ味も少し買っとけ」
「はーい」
ラーファは少し嬉しそうだった。
そして、買うべきものはあらかた選び終えたころ、店の奥からポリタンクを持った青年が現れた。
「すいませーん、頼まれていた燃料です。一応、このポリタンクに入っているのは20リットルですね。この量で十分でしょうか…………え?」
「あ、はい。ありがとうございます…………ん?」
青年は20歳くらいだろうか。くすんだジーパンに黒いTシャツという動きやすそうな服で、赤いキャップを浅めにかぶっている。ポリタンクを床に降ろした青年は、食料を選び終えたミルとクロエを見て動きを止めた。
そして、同じく動きを止めて目を丸くしたのはクロエだった。
「ん? どうしたのおねえちゃん?」
「クロエ、燃料はもうトランクに積んでもらえ」
「クロエ? ……もしかして、クロエ・カステラ?」
マツダがクロエを呼ぶが、クロエが答える前に反応したのは青年だった。
「え、はい? えっと……?」
「俺だよ、レイ・オハラ。覚えてないか?」
キャップを脱いでクロエに詰め寄った青年レイ。クロエに体を向けて両手を広げる。クロエはレイを見て文字通り、固まった。
「わ……え、ホントにレイ?」
止めていた呼吸を動かし、やっと絞り出した言葉は震えていた。信じられないといったように両手を口にあてて目を泳がせている。問いかけはレイへ向けたものであると同時に、この状況そのものに対してのものでもあった。
「ホントのホントにレイ? レイ・オハラ?」
「何年ぶり? 6……7年ぶりかな? 久しぶり!」
口に当てていた手は降ろされ、頭から指の先までが小刻みに震えている。口を三角にぽかんと開けて、混乱する。
なんで? どうしてここに? 会えるとは思わなかった。こんなところでなんで? 今まで何やってたの? どうしてここにいるの?
疑問は尽きない。聞きたいことはいっぱいある。それよりも先に、何よりも先に。
「レイ! 会えるとは思わなかったよぉー!」
まずクロエは全身で喜んだ。ちょっと涙が出そうになったがそれはこらえて、レイを思いっきり抱きしめた。
ぎゅっと、両手で力いっぱいぎゅーっと。
「ぅぐ……ギブギブ……苦しい、離して」
それこそ、レイが窒息してしまいそうになるくらい。
◇◆◇◆◇◆
思いがけない再会に話が弾み、四人はレイの家だというお店の二階でお茶をしている。主に話しているのはクロエとレイ。ずっと興奮覚めないクロエが質問をし、レイがそれに答えるといったことを続けている。長く離れていた二人に話題が尽きることはなかった。
マツダは店の外で待機。ラーファとミルはお茶を飲みながら二人の会話に耳を傾けていた。
二人は幼馴染の間柄らしく、7年前にレイが西海岸の街に引っ越したことで連絡も途切れがちになり、会うこともなかったらしい。
「まさかこんなところにいるとはねー。やー、世界って狭いね!」
「ホントだよ。こないだ……と言っても2年前だけど、あの村に行ったときはクロエもいないし」
「んー、あそこはもう廃れるだけの村だったからね。私もあの後出ていって……まぁいろいろフラフラしてたかな?」
クロエは出されたお茶をずずーと飲みながら、一緒に出されたお茶請けの赤い丸いお菓子のようなものをちびちびつまむ。ラーファはお茶しか飲んでいないが、一個丸々口に入れたミルは丸くうずくまって震えている。口をすぼめて目に涙をためてラーファの腕を引っ張る。
「ラーファ、これ……すっぱい」
それでも吐き出さないのは食べ物を無駄にしたくない気持ちからなのか。声は小さく途切れ途切れになっているミルにラーファはお茶を差し出す。ラーファやミルが知っている紅茶ではなく緑色のお茶だった。若干の渋みがあり、これと赤くて丸いすっぱいこの食べ物と合うんだとか。クロエとレイは好んで食べている。
「それはね、梅干しっていうんだよ。俺が漬けたんだ」
「なにこれ……こんなの食べたことない。食べ物じゃないよ……すごくすっぱい」
「まー慣れないと衝撃的だよね、この味。でも緑茶と合うんだよなー、これが。うへー、すっぱい」
すっぱいすっぱいといいながら梅干しに手を伸ばすクロエを「ありえない」といった目で見る。ミルの嫌いな物リストに梅干しが加わった瞬間だった。
「すっぱ良い」
「おねえちゃん、寒い」
種を吐き出し、何とか果肉を飲み込んだミル。確かに緑茶の渋みは梅干しとは合うかもしれないが、すっぱさが強烈すぎる。もう二度と手は付けないだろう。
「おねえちゃん? クロエ、妹いたっけ?」
「あー、いやいや本当の妹じゃないよ」
「は!? もしや……クロエ、お前もう結婚してるのか!? 義理の妹的な……?」
「ちがうちがう! 結婚なんてしてないって!」
「ナントイウコトデショウ……アノくろえガケッコンシテイタナンテ……ダレガヨソウデキタデショウカ……?」
「うるさい! 話し聞け! この子は前、私がいた街であったミルちゃんとラーファ。今は一緒に旅してるの!」
「なんだ、つまらん」
「つまんなくないでしょ! ミルちゃん可愛いでしょ!」
ミルを膝にのっけて抱きしめる。抱きしめられたミルは、目の前に置かれた梅干しを見て顔をしかめた。口入れてないのに、においだけで口の中がすっぱくなる。
「で、クロエたちはどこに行くんだ?」
「え? あー……」
「西海岸に行く予定なの。でも、途中で良いところがあったらそこに住みたいなーって思ってます」
クロエが詰まったので、ミルが代わりに答えた。実際、西に行くとしか決めていない。一応、西海岸の南の港から極東にある国に行く……と漠然と決めてはいる。しかしそこまで行かなくても、安住できる場所があればそこでもいい。それに、極東に行く理由もあまりはっきりしていない。「長く戦争をしていない島国が極東にある」というミルの記憶を頼りにしているだけなので、実際どんな国なのかは誰も知らないのだ。
「ふーん、じゃあここに住んだら?」
だから、レイのその言葉にはっとした。
それが良いな、できることなら住みたいなとは思っていた。実際、マツダには住みたいといった。
「いいの? この村の人たちはよそ者とか気にしない?」
「気にしないと思うぞ。聞いた話だと、ここはいろんなところから来た人たちが集まってできた村らしいから。いわば、よそ者たちの集まりだし」
ふっとクロエに目を向ける。
「いいんじゃない? ミルちゃんとラーファがしたいようにしな」
三杯目のお茶を飲むラーファはうなずくだけ。
「住む家とかは使ってない建物があると思うから、掃除してそれを使えばいいと思うぞ。まぁ、仕事ならこの村は人では少ないし、探せばあるだろ」
「住む住む! ここが良い! ねぇ、良いおねえちゃん?」
「いいよー。私もレイと久しぶりに会えてうれしいし、また一緒にいられるねー」
「ラーファ!」
ラーファは梅干を食べて緑茶を飲んでいる。
「おねえちゃん、ラーファもいいって! あとはマツダだけだね」
「え!? ラーファ何も言ってないじゃん? いいのそれ?」
「いいのいいの、じゃあマツダに聞いてくるー!」
クロエの膝から降りて、てててと外に駆け出していく。ラーファはお茶を手に持ったまま動かない。口をすぼませても梅干しに手を伸ばすところを見ると、緑茶と梅干の組み合わせが気に入ったようだ。
「マツダって誰だ? まだ誰かいるのか?」
「うん……いや、違うかな? 車だよ。私たちが乗ってきた車。あれ、マツダっていう名前でさ」
「あー、あの赤いかっこいいやつ? 車に名前つけるなんて珍しいな」
「あれ、しゃべるんだ」
「へー」
「あ、信じてないでしょ? いいよ、荷物も積まなきゃいけないし、一回外に出ようか。レイも手伝って!」
「あー、はいはい」
クロエは名残惜しそうに梅干を見つめるラーファの首根っこをつかんで外に出る。
外で見ると話していたマツダを見て、レイは目を輝かせた。てっきり、単調な機械音で簡単な受け答えしかできないものだと思ったら、感情的に不満そうにぼやく車がある。
「何こいつ? あんまじろじろ見んな。気持ち悪い」
「うわスゲー。マジでしゃべってる、なにこれどうなってんの? なぁなぁ、どこからしゃべってるのお前?」
「なれなれしいやつだな。俺の方が年上だぞ。年上は敬え」
「あ、そっすか、さーせん」
はしゃぐレイをたしなめて荷物を積むように指示する。ついでに、マツダに燃料を補給させる。
「あ! なんでパイン缶があるの!? ずっるーい!」
「おねえちゃん、早く運んでー」
「マツダマツダ! ミルちゃんだけパイン缶かってずるい!」
「うるさい運べ」
「えーん、ラーファ。ミルちゃんだけずるーい。私も桃缶買おう」
「勝手にしろ」
三人は店の中にある買った荷物を運ぶ。その間にレイはマツダに燃料を補給する。
日差しが指す渓谷の底は静かで、流れる風が気持ちいい。人が少ないことは人の行き来があまり盛んでいない証。もしかしたら、本当に追手はここには来ないかもしれない。
期待に胸を膨らませて、ミルはパイン缶をラーファはレイからもらった梅干を運んだ。
◇◆◇◆◇◆
涼しい季節とはいえ、無防備に長時間太陽にさらされ続ければさすがに汗が噴き出てくる。それでも、乾いた土の上に寝そべり、双眼鏡をのぞく顔は笑っていた。
「いるね」
「こんなところに村があるなんてな。ホント、ラッキーだな。アル」
うなずくアルと笑うナコルの目線の先にいるのは、かつて同じ隊で寝食を共にしたラーファ。そして、最重要目標とされているミル。本隊の指令で捜索に来ていたが、まさかこんなところに村があるとは思っていなかった。そして、こんなところに目標がいるとも。
ナコルは双眼鏡から目を外し、立ち上がった。
「本隊に連絡するぞ」
「無線は?」
「あいつに気づかれる。ダメだ。走るぞ」
「分かった」
崖の上の二つの陰は静かに砂埃の向こうに去っていった。




