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鋼の火  作者: 古代紫
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暁天下の二人

 一夜が明ける前にマツダはエンジンをかけた。東の空はほのかに明るく、橙と紫のグラデーションを広げている。四季を目で感じられないこの地域では、朝の足先の肌寒さに季節の移り変わりを覚える。

 シートから伝わる振動でミルは目を覚ます。体を起こして未だに寝ぼけている目をこする。そして、今一度自分の体に異常がないかチェック。


「うん。よかった」


 昨夜、ラーファ達と合流する前にチェックした時も問題はなかった。傷も今ではふさがっている。

 体にかけられてある毛布の中で身を縮ませ、暖をとる。運転席ではクロエとラーファが寝ていた。まだ子供なミルとラーファならまだ我慢できる程度ではあったが、これではきつ過ぎるのではないのだろうか。

 ラーファの顔はよく見えないが、少なくともクロエは苦しそうだ。ラーファに気を使っているのか、体の一部がシートとドアの間に挟まっている。

 二人ともよく眠っており、マツダが走っているのに起きる様子がない。


「マツダ、外出ていい?」

「ん、いいぞ。今日の昼までには大渓谷に入るからな」


 ミルは後部座席から水の入ったペットボトルと携帯食料を掴む。音を立てないように外に出て、体を伸ばす。やはり車のシートでは体が固まる。背中から骨の音がしたが、それが気持ちいい。


「んー……ふはぁ」


 血が巡り始めた体に冷たい風が当たり、目が覚めた。

 マツダのボンネットに乗って携帯食料の袋を開ける。同じ携帯食料ながら、ミルは今食べているベリー味が好きだ。甘さとすっぱさが癖になり、なかなか飽きない。ちなみにラーファはトマト味を良く食べているが、あれはすっぱすぎる。ミルにはちょっと味がわからないものだった。

 もさもさした食感を水を含んで流し込む。美味しいことには変わりないが、ずっとこれだと味気がない。今日の夜は数少ない缶詰でも開けてみようかと少し迷う。

 すると、運転席側のドアが開いた。


「おはよ、ミルちゃん」

「クロエ? おはよー」


 一瞬ラーファではないかと期待したが、そうではなかった。がっかりした自分を見つけてちょっとした自己嫌悪。でも、考えて見ればミルはクロエと二人きりになったことなんてなかった。いい機会かもしれない。色々……そう、色々話すには。

 クロエも手には朝食を持っている。水と携帯食料(スモークサーモン味)だ。


「朝から重いねー」

「何味だろうが携帯食料でしょ。それに私はこういうの嫌いじゃないし」


 ミルもスモークサーモン味は嫌いじゃない。嫌いじゃないけど……朝に食べるにはちょっと重い気がする。

 二人並んでもそもそと朝食をいただく。何から話せばいいのかとミルは思案するが、いい案は思い浮かばない。そうこうしているうちに、食べ終わってしまった。

 どうしよう……。


「ねぇ、ミルちゃん。ちょっと、聞きたいことがあるんだけど……いいかな?」

「……ん」


 クロエは食べながら、真面目な顔になる。

 ミルには聞きたいことの内容は予想できていた。クロエは成り行きで一緒にいるが、本来はここにいないはずの人間だ。そして、この奇妙な旅に巻き込んでしまった。巻き込まれ、当事者となってしまった今では、彼女にも知る権利はある。


「まず初めに、ごめん」

「え、なに?」

「後部座席にあるノート、見ちゃった。ラーファには見せてないけど……」


 ノートという単語にミルは嫌な予感がしたが、気のせいだったようだ。ノートの中身はラーファには知られたくない……というより、知ってほしくない。

 しかし、それなら話が早い。初めてクロエに会った時もちょっと見せているのだから、少しは予想できているかもしれない。


「あのノートに書いてあること……本当なの?」


 確信している。あくまで確認のための問い。それでも、どこか期待するような目。


「うん。全部ホント」


 残念ながら、クロエの期待には答えられない。ミルもラーファもマツダでさえもクロエとは違うのだ。

 クロエが言っているノートとは『研究日誌』。メーブ・メラ軍の研究――通称、EA研究――の中でも、現在軍で『ラファエル』と呼ばれる研究課程の研究開始から破棄までを記録した文書だ。廃墟の街の元研究室で発見したものだが、あそこにあったということは、それほど重要な内容は書かれていない。仮にも軍の研究施設だったのだから、重要文書など置いてあるはずがないのだ。それでも、重要でないからと言って嘘が書いてあるわけではない。


「本当だよ」


 ミルも一度この研究日誌を読んだ。初めて読んだときは、1ページ目で内容を察し、2ページ目で確信した。あの時はとっさにラーファから隠してしまった理由は、漠然として自分でもよく分からない。ラーファには普通の人間としていてほしい。そして、余計な波は立てたくない。それがどんなうねりを生むか不安だから。


「ふぅん」


 何でもない返事のようだが、ミルにはクロエの声が震えているのがわかった。

 ラーファ……ラファエルはガブリエルの研究の後に作られた固体。ガブリエルが人の免疫力に対する研究で、ラファエルは『生命力』というものに対しての研究だった。つまりは『生きようとする力』を強化する研究。空腹、脱水、寒さや暑さ、そのほか環境の急激な変化などに耐えられる体。そして、自己治癒能力の向上。研究者たちは人類の未来の研究として、来たるべき環境の変化に人類が生き残るためのに、ラファエルを研究した。

 見た目には分からないが、ラーファもミルと同じメーブ・メラ軍の研究成果なのだ。


 そのときのミルはラファエルという研究固体がいることは知ってはいたが、どんな人なのか、どんな研究なのかはノートを読むまで知らなかった。知っても仕方のなかったことなので、自分から知ろうとは思わなかったのだ。それに知ったところで……


「――ッ! ……もうやだ」


 嫌な思い出が頭によぎった。自分が研究所にいた時の記憶。研究所にいたころのミルと同い年の友達。みんな実験対象だった。やがて一人が苦しみだし、倒れ、大人に連れていかれた。また一人、一人と連れていかれ、二度と会うことはなかった。そして、ミルは独りぼっちになった。

 そこで思い出を打ち切る。こんな苦しい思い出なんてない方がましだ。ミルにはまだ苦しみの過去を背負って生きていく強い心は持ち合わせていない。

 『死神』と呼ばれ、皆から恐れられる平気であるけれども、同時に12歳の少女でもあるのだ。

 だが、ミルの見てきた世界はおよそ12歳の少女が経験したものとは到底思えないものだ。命の軽さ、戦争の残酷さ、世界の不条理……いろいろなものを見て、知ってきた。皮肉なことに、それらの経験が彼女の精神を12歳とは思えないほど大人に成長させてきた。


 ふわりと、体が温かくなる。


「クロエ?」

「こうやって誰かに包まれていると、ちょっと安心するでしょ?」

「うん。ありがと」

「頭抱えてたね。何か嫌なことでも思い出した?」

「うん……あのね」


 開いた口に人差し指を当てられる。


「言わなくていいんだよ。辛いことは思い出さない方が良い。良い思い出だけ残して、辛いことは忘れちゃうのが一番だよ」


 ミルはクロエの腕の中でうなずいた。思考を断ち切り、過去から目をそむける。思い出したくないから思い出さない。それでも、胸の中の重い鉛のような気持ちは消えはしなかった。むしろ、長い間押し殺していた感情が、記憶と共に掘り返してしまったことで溢れかえってしまった。

 仲良かった友達の笑顔。いつの間にかいなくなっていた子。そして、気が付けば大部屋に独りぼっち。自分以外のみんながどうなったか気が付いたときの絶望。それでも、大人に従い、汚く生きていくことしかできなかった自分への無力感。敵を屠り、戦場を赤く染め、時には小さな町を一つ吹き飛ばした。

 嗚咽が漏れそうになるのを顔をクロエの胸にうずめて抑える。涙が出そうになるのを、目を精いっぱい閉じてこらえる。

 自分の感情に押しつぶされそうになった時、ラーファとの出会いを思い出し、少し胸が軽くなった。

 クロエの背中に手を回すと、彼女の存在をより一層強く感じることができた。この旅は、マツダとクロエがいたからこそ、楽しさに満ち満ちていたのだ。

 辛い思い出ばかりじゃない。彼と彼女が、それを思い出させてくれる。


「クロエ、ありがとう」

「ん」

「あのね……ちょっと、聞いてほしいの」


 落ち着いたミルは、クロエに自分の秘密を話し始めた。彼女には知ってもらった方が良いと思ったから……いや、知る権利があったから。昨日自分がいなくなった理由、自分たちが追われている理由。

 自分がメーブ・メラ軍の兵器……その中でも、最高戦力だということ。自分の体の半分か、それ以上が機械でできていること。ラーファと共に脱走したこと。この旅は追跡隊から逃れる逃避行だということ。

 洗いざらい全てを話した。次の町までの約束だったが、それでも危険な旅に巻き込んでいることに変わりはない。それに、それだけじゃなかったのだ。


「こんな感じかな。ちょっと……変な事情でしょ?」

「いやいやいや、ちょっとどころかかなり特殊な事情でしょーが」


 軽い口調だが、ふざけているわけではなかった。重い空気の中にいると、体がむずむずする。なんとなく気持ちが悪い。だからついつい自分だけでも軽くなってしまう。クロエはそんな人間だ。


「……そっか」


 普通に話していたら絶対に信じてもらえないことだろう。しかし、クロエは初めて会った時にミルの『一部』見ているし、昨日の今日である。


 話さなければいけないと思って話したことだが、今になって少し後悔した。この話を聞けばだれもがこの旅の危険性を悟るだろう。そして、危険の原因はミルとラーファの二人。一刻も早く二人から離れるべきなのだ。そして、クロエと一緒にいられるのは次の町に着くまで。


「クロエ、あのね……お願い……聞いてくれる?」

「じゃあさ、私のお願いも聞いてくれるかな?」

「う、うん! せーのッで一緒にね? いい?」

「うん。じゃあ……」


 クロエの意外な返事にとっさに言葉を紡ぐ。「うん」とは言ったが、まだミルの心は準備ができていない。何を不安に思っているか、はっきりとはわからない。不安におびえ、緊張に体がこわばる。

 なにか……告白に似た感情。伝えたいけど、言葉に出すのが怖い。相手の判断に自分のすべてを任せることに不安を覚える。でも、後には戻れない。


「せーのッ――」


 ギュッと瞼を閉して、顔をクロエの胸に押し付ける。奥歯をかみしめ、顎が痛くなる。クロエを抱きしめる腕に力がかかった時には、既に頭が真っ白になっていた。緊張により激しく脈打つ心臓が体を熱くした。

 ラーファが好きだ。でも、マツダも好きだし、クロエも好きだ。みんなと一緒にいる時間が楽しいし、こんな日をずっと続けていたい。自分にそんな資格があるかはわからない。もしかしたら、たくさんの人を殺してきた兵器である私が幸せを思うのは間違いなのかもしれない。けれど、私はそれを掴みたい。


 ミルは祈る気持ちで胸の内を叫ぶ。


「これからずっと私たちと一緒にいて!」


 声に出し、返答を聞くのが怖くなって顔をクロエの胸に押し付ける。不安でいっぱいになった頭がクロエの言葉を理解するには、少し時間がかかった。

 言葉を砕き、噛みしめ、飲み込み、そして……


「私も一緒に旅をしていい?」


 つまり……つまりはそういうこと?

 ミルは腕の力をゆるゆると解き、クロエの顔を見上げる。やさしい笑顔のクロエがいた。


「……ホント?」

「うん。私もミルちゃんやラーファやマツダと一緒に旅をしたい。そう思っちゃった」


 えへへ。


 ミルも笑ったが、目が潤みだした。少し恥ずかしくなったので、もう一度顔をクロエの胸に押し付けて誤魔化す。

 クロエは押さえつけているミルの頭を撫でて、片手で抱きとめる。


「じゃあ、私は今日からミルちゃんとラーファのお姉ちゃんだ。思いっきり甘えなさい」

「うん。ありがと…………おねえちゃん」

「わ、かわいい妹と弟ができた!?」

「頼りないおねえちゃん」

「頼りないとはなにさー!?」


 伝えれば届く願いもある。互いに過ごした時間の長さは関係ない。服越しに伝わる互いの体温は温かく、ひどく幸せに思えた。


 一行は大渓谷へと向かう。

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