追及と追究
朝からクロエは落ち着かなかった。昨夜のことでラーファの目が気になり、なかなか眠ることができなかった。それに、眠れたと思ったら久々の柔らかいシートのおかげで朝起きたらミルとラーファは起きているし、マツダはもう走っていた。自分だけ寝過ごしたことも、昨夜の窃盗未遂を見られたことも、それでも全員がなかったことのように扱っていることが、ひどく落ち着かなった。
マツダはなぜ自分を見逃したかはわからないし、ラーファはそもそも何を考えているか、どんな子なのかすらわからない。もしかしたら、ミルも自分の昨夜のことを知っているのかもしれない。
それでもミルは楽しそうに話しかけてくれるし、朝食の携帯食料と水もくれた。マツダも邪険している様子はない。妙な気まずさを持っているのは自分だけだが、それを拭うことができないまま適当に相槌を打つ。
「クロエ、なんか元気ないね? 夜寒かった?」
ばれた。元気がないのは事実だが、原因はそれじゃない。
クロエは握った手がいつの間にか汗で少し濡れていることに嫌悪感を覚えた。
ばつが悪い。この一言に尽きる。
「昨日ちょっと寝付けなくてね……」
「寝ててもいいよ? 次の町につくのは……」
「まだちょっとかかるな」
「だって」
では遠慮なく……とはいかない。それに、普段より深く長く、気持ちよく眠れたので全く眠くない。
「ううん。眠くないよ。むしろ眠りすぎちゃった感じ」
「そう? いつでも寝ていいよー」
「ありがとう。でもいいや」
どうしよう、話していないと空気が悪い。気まずい。
ふぅ、とため息交じりに緊張を吐く。同時に、頭の中の考えもいったんすべて消した。すると、ちょっと苦しさが残った。分かっている。罪悪感だ。これまで何度か感じることはあったが、すぐに割り切り、忘れることができた。
首元を軽く抑えられている苦しさは、今回だけは忘れられそうにない。
「……ごめん」
謝罪の言葉に具体性はない。何に対しての謝罪かが曖昧だ。言いながらクロエは自分の卑怯さに笑った。
相手に考えてもらうのは簡単だ。とても楽だ。自分から行動するのはちょっと難しい。少し勇気が必要なこともある。
ミルはクロエを見たまま続きを待つ。ちらりと見た顔は、笑っても怒っても悲しんでもいない。
クロエはミルのまっすぐな目を見て、頭が冴えた。そして、気づいた。
私、今までこの子たちのこと、どんな風に思ってた?
(なにっ……やっ…………てぇっ!)
顔が赤くなりそうだった。いや、実際なっているのかもしれない。だってこんなにも熱い!
何考えてんの!? 目先の、ほんのちょっとの先しか見てないくせに、周りのすべてはわかっているみたいに行動して。すべては見た目で判断、その人の性格も経験も知りもしないで勝手に評価して。何様? どれだけ自信過剰になってたの!? どれだけ浅はかに行動してたの? 挙句の果てには勝手に自己満足の謝罪をして表面を取り繕うとして……どれだけ自己満足に浸ってたの? 私は何様よ!?
ヤバい。何がやばいのか分からないけど、ヤバい。ばつが悪いどころじゃない。息ができない。今すぐここから逃げ出したい。
「……クロエ」
呼吸の荒波が一滴のしずくで朝待った。真っ暗な視界はいつの間にか開けた。
いつの間にか、車は止まっていた。横目で見ると、鍵も開いている。たぶん、チャイルドロックもかかっていないのかもしれない。
クロエは詰まった言葉をのどの奥から少しずつ取り出すように、話し始めた。走って逃げだしたかったけど、そうしたらもっと苦しくなるだろうということは直感でわかっていた。
クロエの言葉を遮るものはない。確信した。みんな知っている。全部知っている上でこうやって接してくれている。私がしたことも、それで今朝から私の居心地が悪かったことも、みんなを軽んじていたことも、それがばれて一人で恥ずかしくなっていることも。全部分かってて、こうして隣に座っている。
「さて……マツダ、どう?」
「このままじゃダメだな。今はギリギリ見つかってない」
ミルは一人外に出て、後方の空を見つめる。ドアが閉まったと同時にロックがかかり、エンジンがうなりを上げる。
「あの」
「クロエ、みんな許してやるってよ。ここに捨てたりしないから、もう二度とあんなことすんなよ」
「え? あ……」
クロエの言葉にマツダの声が重なる。言い切ると、マツダは外に出たミルを残して走り出した。
それに、ミルとラーファも初めてであった街で、生きるために盗みを何度もしていた身だ。そのことをクロエが知るわけはないが、強く責めることなどできなかった。
「だから連れてってやる」
「あ、ありがとう……ございます」
うれしかった。それに、なんだかすっきりした。全部吐き出したせいもあるが、それを受け止めてくれたことが何よりうれしかった。
戦争のせいだ、社会が悪いんだ、これは仕方のないことなんだ。言い訳じみたことで逃げてきた背徳感は、いつの間にやら追いついて、私を押しつぶそうとしていたのかもしれない。その重みすら今はなく、気持ちも体も軽い。
「え、あれ? ミルちゃんは?」
クロエが窓を開けて外を見ると、こちらを見て……いや、正確には運転席側の窓から身を出しているラーファに笑顔を向けて、右手の拳を突き上げているミルがいた。
「ミル……」
「ちょちょっと! なんでミルちゃん置いてくの? もしかして、私何か悪いことした!?」
「黙ってろ、スピード上げる。舌噛むぞ」
ぐんとGがかかり、体が背もたれに押し付けられる。窓から吹き荒れる強風に髪が乱れるが、その窓も閉まり、車内は異様な緊張感に包まれる。普段は気にならないモーターの音に圧迫され、車は激しく揺れて、景色が一気に後ろへ流れていく。
「追手だ。捕まったら……ヤバい」
◆◇◆◇◆◇
メーブ・メラ軍の巨塔の研究・実験階層の一室。両手を縛る手錠から抜け出したクラリスは部屋の中を漁っていた。ロックがかかっているパソコンからは情報が得られない。それならばと、ファイルや資料の山からたった一つの目的の情報を探していた。パソコンが使えなかったことを悔やむ必要がないほど、十分な情報が得られた。
「ふぅ……やっぱりね。」
読み終わったファイルを閉じ、資料棚に元通りにしまう。少し疲れたので椅子に座って天井を見上げる。確信はしていたが、確証はなかった。だがやはりというべきかなんというか……
「思ったより簡単だったかなぁ……」
そう、思ったよりずっと簡単だった。もっと時間がかかると思っていたが、あっけなく作業が終わってしまった。正直、手持ち無沙汰だ。
しかし、考えてみれば不自然というわけではないのかもしれない。周囲の荒野と、他国を圧倒する戦力があるおかげで、この巨塔には敵が入り込むことなど皆無。入ってきたとしても、地図でもなければここまでたどり着くことなんて不可能だ。
まぁ……たどりついちゃった子もいたらしいんだけどね。
他に情報を奪われるルートとしてはネットからPC内に保存されているものを盗むくらいだが、紙媒体で保存していたらそんな心配もない。
したら、この部屋に入ってしまえば情報の入手は簡単と言うのも納得できる。
今現在生きている『研究成果』は合計で3人。保存室処分されている個体は成功した成果とは言えない、いわゆる失敗作なのでカウントしていない。ミカエル、ラファエル、そして……私、ガブリエルだ。このうち、所在が分かっているのはミカエルだけ。ラファエルはずっと前に破棄され、ガブリエルは研究終了。そして、新たに研究中……というより、完成した固体が1人。名前はウリエル。ミカエルと同じタイプの固体らしく、簡単に言えば上位互換らしい。
あれ? そしたら、今生きている研究固体は4人か。
「よく頑張ったわよねー、その子も」
口から出たのは皮肉でも何でもなく、ただの賞賛の言葉だ。あんな拷問のような実験から、よく生きて帰ってこれたものだ……と。だが、「帰ってきた」という表現を使ったが、そこは間違いだと気が付く。その子がどこかへ返されることなど、万に一つもありはしないのだから。
と、そこへ白衣の男が部屋に入ってきた。クラリスを訊問したのち、どこかへ行ってしまった男だ。男は手錠が外れているクラリスを見て、顔をしかめ、盛大なため息をついた。
「あら、センドラ。遅かったじゃない。どうしたの、そんなに疲れた顔して?」
「どうしたのじゃねぇよ。なんで手錠外してんだよ。俺の仕事を増やすな」
「あら? あなたの仕事を増やしたつもりはないわ。どうせ外してくれる予定だったんでしょう?」
「……保存室送りにするぞ」
「なら、そこのドアから飛び降りた方がましよ」
でも、それじゃあなたが困るでしょう? と意味ありげに含み笑いをした。クラリスが目をやったのは、かつてラーファが通ったドア。こんな高層階で直接外に出れるドアがあることはどう考えても欠陥だと思うが、普段は利用しないし厳重にカギがかけられているので誰も気にすることはない。もちろん、今もカギはかけられているので、クラリスがそのドアを開けることなど不可能だ。
「それで、私の処分は決まった?」
センドラと呼ばれた男は舌打ちしながらクラリスの対面の椅子に座る。相当ストレスがたまっているのか、何度もため息をついてクラリスをにらむ。
「もう面倒くさい。さっさと5番隊に戻れ」
「それのことなんだけどね……」
クラリスは口を三日月形にして笑った。それを見た鮮度らはさらにため息。これではどちらが立場が上だかわからない。
「私をラーファのところに連れていってほしいの」
「はぁ? なんで俺がそんなことしなきゃいけないんだ。却下だ」
「どうせ行くんでしょう。このまま5番隊に戻すより、途中で追跡隊と合流して引き渡した方がいいんじゃない?」
「俺がそんなことやる義務は無い」
強情ねぇ……とクラリスはため息をつくが、センドラにとってはどちらが強情か問い詰めたいところだが、面倒くさいので口を閉じた。
協議は平行線。二人から溜息が漏れる。そのまま会話はなく、いくばくかの時間が過ぎる。
センドラは本心ではさっさとここから抜けて、ラファエルの様子を見に行きたいのだ。上層部には適当な理由をつけてしばらく抜け出し、ラファエルの観察をしたいのだ。自分が研究していたわけではないが、一応助手を務めていたし、個人的に興味もある。今後の研究に生かせるかもしれないので、一刻も早くここを出たいところだ。
だが、目の前のクラリスは動こうとしない。力ずくでつまみ出そうと腰を上げた時、クラリスの目が光った。
「ラファエルの存在を上にチクるわよ?」
センドラの体が止まった。目も見開かれたようにも見えた。しかし、それは一瞬のことですぐにいつもの様子に戻り、立ち上がった。
「だからなんだ? ラファエルはすでに破棄された。それにお前が何を知っている――」
「研究名称ラファエル。今は年齢12。私の研究成果を元に考えられた、生命力だけを格段に向上させる研究の実験固体。3年前に研究終了と同時に破棄。死んだとされているけど、まだ生きているわよね?」
再びセンドラののどが詰まる。なぜ知っている? いや、それはなんとなく予想がついている。手錠を外して部屋を漁ったのだろう。それに、クラリスも長く研究室にいた研究固体。どこからか聞いて、知っていたとしても不思議ではない。だが、それは今クラリスが言ったことの前半だ。表向きは破棄したとなっている。が、破棄したが死んでいるというわけではないことはセンドラしか知らないはず。
「なんで知っているかわからないって顔ね。5番隊にいた時会ったのよ」
それはおかしくないことだ。ラファエルがメーブ・メラ軍に拾われて5番隊に入隊したという情報はすぐにつかんだし、それならガブリエル……クラリスと会うことになっても不思議じゃないと思っていた。だが、ガブリエルはラファエルの容姿性格を全く知らないはずだ。見当なんて……つくはずじゃないんだ。
「彼、ラーファって名前なのね」
「……そうらしいな」
「彼のお腹にね、ちゃんと固体名が書かれてあったわよ。だいぶかすんでraphaとしか残ってなかったけど……raphael。そういうことよね? ラファエルは破棄されたが生きていた。そういうことよね? そして、あなたは密かに観察を続けていた。研究成果をずっと観察していた」
ぐぅの音も出ないほど、当たっていた。ガブリエルの話は全て本当だ。何一つ間違ってはいない。センドラは手を震わせ、奥歯をかみしめるも、反論は浮かばない。目の前には勝ち誇った顔のガブリエル。それが一層彼の苛立ちを震わせた。
「じゃあ、連れていってくれるかしら?」
この情報が上層部に漏れれば、脱走兵のラファエルと脱走補助のガブリエルの両方の責任を取らされかねない。センドラはノーとは言えなかった。
クラリスはぴょんと椅子から飛び降り、部屋の出口へ向かう。
「移動中は暇だから、ついでにこの研究について、詳しく聞かせてくれるかしら?」
正直、彼女を殴りたい気分であった。が、怒りも苛立ちも何もかも飲み込み、それらを一気に肺から吐き出した。
見た目12歳の子供の掌で遊ばれているようで、大変苛立ったが、ガブリエルは20歳。中身だけは大人なのだ。そう自分に言い聞かせたが、腹の中の苛立ちは収まらなかった。
「ついて来い。すぐ出るぞ」
「はい。ありがとう。用意が良いのね」
部屋から出たセンドラの後をクラリスがついて行く。二人の目的地は、ミカエルとラファエル……ミルとラーファだ。




