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鋼の火  作者: 古代紫
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荒野で一人

「おお! 見つかったか! そうか……今どこにいる! ……ああ……ああ。分かった。そのまま研究所に連れて行け。……よし」

 赤い絨毯が敷かれ、黒い大きなデスクとソファー、天井にはきらきら光るシャンデリアがその部屋を明るく照らす。

 携帯電話を耳に当てていた黒いスーツの男は電話を切ると、茶色い重い扉を開けて部屋の外にでる。長い廊下を足早に進んでいくと、男がいた部屋のものと同じような茶色い扉が現れた。

「失礼します」

 黒スーツの男はその扉を勢いよく開ける。中には男がいた部屋と比べ物にならないほど広く、天井には数本の長細い蛍光灯。大きなテーブルを十数人の男が囲んでいた。

 会議室だろうか。テーブルを囲んだ男のうちの一人がドアを開けた男に振り向かずに聞く。

「どうした? 会議中だぞ」

 淡々とした口調には威圧感があった。ドアを開けた男は両足をそろえ、姿勢を正して答えたる。

「只今捜索隊から連絡がありました。内容は『脱走機を捕獲したので研究所に連れて行っている』とのことです」

 机を囲む男達は何も言わない。気持ち悪い沈黙はしばらく破られる事は無かった。天井の蛍光灯が照らす白い光の中、黒い雰囲気が部屋に渦巻いていた。

「分かった。下がれ」

「はい。失礼しました」

 テーブルを囲む男のひとりがそう言うと、ドアのそばに立っていた男は部屋から出ていき、ゆっくりとドアを閉めた。

 微かなドアのきしむ音と、それに続く革靴の響く音が部屋の外から聞こえてきた。

 窓のない部屋で男たちはテーブルを囲む。

「と、言う事は……」

 一人の男が切り出した。

「すぐにでも前線に送りましょう。メンテはどれほど?」

「三日あれば十分では? 明々後日にでも動けると」

「ではまず……ここ、一番の激戦区に送りましょう」

「大丈夫ですかね? メンテ直後にそんなに酷使して」

「問題なかろう。研究所は優秀だ。で、ここを片づけた後は、近い戦場から順々に飛ばしていきましょう」

「賛成。これで戦争も終わりますね。ある程度まで行ったら向こうも降伏するでしょう」

「ああ、これで長かった戦争も終わりだな」

「ではこれでいいですね? 荒っぽい作戦ですが、死神にはこんなものでいいでしょう」

「異議なし。ほかは……反対意見は無いようですね。では会議はこれで終わりです」

「上手く事が運べばいいですね」

「なあに、死神なら……やってくれるさ」

 会議が終わった人工の光が照らす部屋は、すぐに誰も居なくなった。


◆◇◆◇◆◇


 町外れの廃墟には誰も居なくなった。少年の隣にいた少女は連れ去られ、少年はまた一人ぼっち。

 少女と出会う前に戻っただけだ。戻っただけなんだ。

 戻っただけなのに、少年の胸はぽっかり大きな穴が開いたように空っぽになって、触れるもの全てがひどく冷たく思えた。

 少年は今、廃墟にはいない。廃墟から離れ、街を離れ、茶色い土の荒野を歩いていた。

 草木はぽつぽつと申し訳なさそうに生え、茶色い乾いた土と石ころだけの寂しい土地だった。

 空は晴れ、太陽が何もない土地を照らす。頭上はおろか、地平線まで目を凝らしても雲はない。深い青と乾いた茶色二色だけの世界のど真ん中、少年は歩いていた。

 冬は過ぎ、春の季節に入りかけているころだが、空気は刺すように冷たい。息をするたび体がどんどん冷たくなっていくようだった。

 いや、元から少年の体は冷え切っていたのかもしれない。

 少年は俯きながらおぼつかない足取りで砂利の道を歩く。裸足の足に刺さる砂利は必要以上に痛く、右手の錠と鎖はまるで地に落とそうとしているかのように重く、冷たかった。

 凍った体に染み込む冷たい空気や変わらない殺風景。重い手錠に足に刺さる砂利。

 ずっと前の本当に何もなかったときの方が良かったかもしれない。歩きたくない。痛いし、冷たい。あの時は何もせず、何も知らず、ただ座っているだけだったじゃないか。

 でもなぜだろう。少女がいなくなってしまった後、少年は廃墟からここまで歩いてきたのだ。そして今もその歩調を緩めることなく歩いている。

 少女と出会う前、道の隅っこに座って何もせず、何も考えず、何も知らなかった少年は今、不毛の地を歩いている。

 なぜこんなところにいるのは分からない。どうやってここまで来たのかもわからない。この先に何があるのかも知らない。

 けれど、歩かずにはいられなかった。

 歩くたびに、手を縛る錠とそれに連なる鎖の音が鳴るたびに、細い針に突き刺されるような痛みが胸に走る。

 胸には傷なんてついてないのに、痛みが響く。

 それでも少年は歩くことをやめようとは思わなかった。

 空っぽの胸の中にも確かにあった不思議な気持ち。

 会いたい。

 少年の中にはどこまで行ってもそれしかなく、少年が歩き続けるには十分すぎる理由でもあった。

 ぼさぼさに荒れた髪に両目は隠されてはいたが、まっすぐ地平線、それより先のずっと遠くを見ている。

 右手の鎖が鳴る。深く、何もかも飲み込んでしまいそうな碧い空と、乾いて茶色いだけの寂しい二色の地で、少年が歩くたび鎖は鳴る。

 少年は歩きながら思い出す。彼女の右足にもあった鎖を。

 少年と同じような鎖と錠が彼女の左足を縛っているのを思い出した。

 彼女と同じものがある。

 そう思うと今までただ重いだけの冷たいものを少しだけ嬉しく思えるようにもなった。

 足を止めて右手首を目の前に持ってくる。手首をすっぽり覆う灰色の太い錠と、それにぶら下がって手首まで連なる鎖。まるでないのが当たり前かの様に鍵穴なんてない。でもそれは、数日一緒に過ごした彼女を縛っていたものとまさに瓜二つ。

 手を降ろし、少年は再び歩き始める。

 歩を進めるたび鎖は鳴る。まるで、少年を導くような重さとともに。少年にはそのおもいがとても気持ち良かった。暗い部屋に差し込む日の光のように、とても気持ちの良い、うれしいものだった。

 足に刺さる砂利や防ぎようのない光の中、歩き続ける。

 確信なんてどこにもない。もしかしたらこのままずっとこんな寂しい土地が続くかもしれない。でも、このまま歩けばいつかまた会えるような気がする。

 荒野に吹く風は優しい追い風だった。


◆◇◆◇◆◇


 轟音とともに紅い火が上がり、黒い煙があたりを汚し、砂埃が舞う。

 一方の軍は向かいにある塹壕や大砲向けて鉄の球を投げ続ける。その軍は大砲を撃ち続けるも、むこうから何らかの攻撃が来る事は無かった。

 それどころか、遠くに目を凝らすと大量の人や戦車が走っているのが見えた。

 戦場に背を向けて一目散に走っているのが。

 誰かが言った。

「おい! 撤退してるぞ」

「衛生兵! 衛生兵!」

「畜生! 足が、足がああ!」

「敵は? いないのか? どこに居るんだ」

「待て、撃っても意味ない。敵はもう逃げている」

「大丈夫だ。これで応急処置はすませた」

「くそ、まだいてえ……」

「撃つな! 撃つな! 撃っても意味ない!」

「敵はいない。みんな撃つな!」

 怒声の飛び交う中、次第に銃声はやんでいき、いつしかそこには戦場の音はなくなっていた。

 静寂。

 火薬の爆発する音も、爆発する地面も、飛び交う銃弾の光も、痛みに苦しむ人の声もない。

 まるで死神が支配しているかのように、不気味な静けさを保つ戦場に兵士たちはただただ、困惑するしかなかった。

 その静寂に一つ――

「ごめんなさい」

[image id="2269"]

 かすかに聞こえた。今にも消え入りそうな声が兵士たちの耳に響いた。

 泣きじゃくった後の落ち着きを取り戻した子供が言ったような、かわいそうな声だった。

 同時にその場の時は止まった。

 その戦場の全てを包む太陽のような火が上がる。遠くから見ても目に刺さるような光があたりを包む。そして光がおさまったとき、その土地は消えてしまった。

[/image]


◆◇◆◇◆◇


 生き物を阻むような荒れた茶色の荒野を少年は歩いていた。

 歩いて歩いて歩いて歩いて、歩き続けて……何もなかった。

 歩いて何が変わったわけではいが、体は確実にその変化を表に出してきた。

 一番初めに出てきたのは空腹。手持ちに食べ物なんてない。どこから盗んで来ようにも建物すらない。誰かに食べ物を恵んでもらおうにも見渡す限り誰もいない。

 それと同時に両足がしびれてきて、疲れもはっきりとわかるようになった。

 細い足は小刻みに震え、腕もすっかり細くなってしまった。

 細い、力のない、何も持っていない少年は広大な大地の前ではあまりにもちっぽけだった。

 風が少年の背中を押し、先を進むよう急かす。しかし、少年の足取りはおぼつかない危なっかしいものでしかなく、ゆっくりとしか足を運べなかった。

 疲れと空腹と広大な大地に照りつける太陽。

 ぷつり、と何かの糸が切れる音がした。

 その音が合図だったかのように、少年の足は地面を踏み込めず地面に横向きに倒れた。

 太陽が照らし続けた茶色い乾いた地面はすっかり固く、弱った少年の体が悲鳴を上げる。

 うっとおしいほど固く、痛い地面から離れる力など残っていない。少年にはただ横になることしかできなかった。

 冷たい空気が少年を刺し、暑い地面が少年を焦がす。空腹が体のあらゆるものを削っていき、疲労が追い打ちをかけるように体を押し潰す。

 荒野でたった一人。

 住んだ青い空には雲はなく、茶色い荒野には草木もなく、生き物の気配もない。

 胸の内側から締め付けられるような感覚が少年を蝕む。空腹や疲労、地の熱さや空気の冷たさよりもそれが少年には苦しすぎた。

 少女と別れた時からあった小さな胸の苦しみはだんだんと広がっていき、今では他の何よりもそれが辛かった。

 棘の鎖を体中に巻きつけたのように体は動かない。

 もう何もできない。

 空腹も、疲労も、暑さも、寒さも、太陽の眩しさも、風の音も、土の感触も何もかもが遠のいていく。

 胸にある棘の鎖のような苦しみを残して全てのものが遠のいて、感覚がなくなって、目を閉じた。


 死んじゃうの?


 少年の問いの答えは今の少年の頭が答えてくれたが、少年はそれと向き合いたくなかった。

 目を合わせたら何もかもが終わってしまいそうで、棘の沼に体を沈めて行くような感じがしそうで、とてつもなく大きな濁流に呑まれてしまうような気がして、


 死んじゃうの?


絶対に……絶対にその答えを認めたくなかった。


 僕は――……。


 認めたくない、違う、嫌だ、ダメだ、違うよ……嫌だ……嫌だ……

 認めたくないのに体はその答えを突きつける。違っていると思うのに、頭は肯定しかしない。嫌だと思ってもそれに抗う力はもうなく、体が、頭が、自然が、何もかもが少年の意志に反して残酷にその答えを突きつける。


 それでも……それでも僕は……













 死にたくない。






『人だ! 男の子がいる!』

『隊長!』

『おいどけ! 生きているのか?』

『息は……していますが……』

『すぐに運べ! 救急隊は呼んだか?』

『呼びました』

『遅いぞ! なにちんたらしてやがる!』

『今……来ました!』

『おし、早くしろ。こんな荒野で一人なんてな……』

『人間技じゃありませんね』

『ああ。こんなとこまで来れるなんてどんな怪物なんだか』

『でも……ずいぶん痩せこけてますね』

『ああ。何を好き好んでこんなとこに居たのかな』

 暗闇に沈んでいく少年の意識の端っこで何かの声が聞こえた気がしたが、目を開けることも少年にはできなかった。

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