同行者の夜
「元いた場所に返してこい」
言われるとは思っていたけど、まさか本当に言われるとは思ってなかった。
「だ、だよねぇ……ね……」
連れてきたはいいものの、マツダに「捨ててこい」宣告をされ、ばつが悪いミル。ちらっと上目使いでクロエを見るが、クロエは食い下がる。
「なにこれ!? 車が喋ってる。へー、すごいすごい!」
全然食い下がってなかった。というより、会話に参加していなかった。運転席のメーターを目をキラキラさせながら覗いている。
「じゃあ、ここに捨てるよ。行こ、ラーファ、マツダ」
ミルは嘆息しながら助手席側に回り込んで車に乗り込む。当本人が会話に参加する気がないのなら、それならそれでいいのだ。自分の今後のことを心配する必要がないのなら、今後も元気に生きていけるだろう。
「あ、すみません! 置いてかないでください」
「といっても、私たちはあなたの面倒を見ることなんてできませんよ」
助けたことは後悔してないし、出来れば危険のないところまで見てあげたいところだが、そんな時間も財力もミルたちは持ってない。わかった上でマツダに怒られることを覚悟して助けた。もしかしたらマツダは許してくれるかもしれないとも思ったが、やっぱり予想通りだった。
だからこの後は、自分で決めて。
「つ、次着く町まででいいです! せめてこの町から連れてってもらえればいいです」
「だって、どうマツダ? 次の町までって言うならいいんじゃない?」
「次の町がどこかわからないし、いつ着くのかもわからないぞ。その間の食糧も心配になる。ミルとラーファの二人分しか積んでないんだぞ。それもいつまでもつかわからない量だ。余裕なんてない」
「お金ならあります。ちょっとだけど……それでも、次の町までの費用にはなるはずです」
クロエがスカートのポケットから出したのは、コイン数枚。この国の通貨だ。ラーファもメーブ・メラ軍にいたころ見たことがある。ただ、物価を知っているのはミルだけ。長い間倉庫に閉じこもっていたマツダと世間知らずのラーファでは話にならない。
「うーん……まあ、いいんじゃないのかなぁ?」
「どうなんだ?」
「次の町までって言うにはちょうどいいくらいだと思うよ?」
「そうか、ならいいぞ。おいミル、お前ラーファと一緒に運転席に乗れ」
「え!? なんでよ!」
「部外者に運転席に座らせるわけにはいかないからだ」
「で、でもそしたらわたしとラーファがずっとくっ……くくく、くっつくことになるじゃにゃい!」
言ってて自分で恥ずかしくなったのか、舌を噛んだ。噛んで、耳まで赤くなった。すると、それまで黙って外の風景を眺めていてラーファはミルに手を伸ばし、耳の裏側を撫でた。
「ひゃぅ!? な、なに?」
「おい、行くならさっさと行くぞ。さっさと運転席に移れ。クロエは助手席に乗れ」
「ちょっと、わたしはまだいいなんて言って――あっ」
ラーファは撫でた手でミルを引っ張り、運転席に引き込む。そして、そのまま自分の前に座らせた。ラーファがシートベルトをすると、ラーファがミルを後ろから抱きかかえる格好になる。
「な……あぅぅ……」
耳どころか首まで真っ赤になったミルは、借りてきた猫のように動かなくなった。
助手席にクロエが乗り、マツダは走る。舗装された道路に沿ってまっすぐ進んだ。もちろん運転自体はすべてマツダがやってくれるので、ラーファもミルもハンドルは握っていない。
町を抜け、再び建造物のない一本道だけの景色となる。きれいとは言えない景色だが、それでもラーファは地平線を見つめて目を閉じる。少し開けた窓から入る強い風、時折体を揺らす車の振動、直接触れている腕の中の柔らかい感触と体温。
少し眠くなってきた。
温かい目でラーファとミルを見つめるクロエと、カチコチに固まったまま動かないミルを置いて、ラーファは寝息を立て始めた。
この国の土地は広い。広いが故に、都市どころか町すらできなかった土地も広く存在する。今なお残る幹線道路沿いには何もない。戦争が始まる前の時代から、町どころか農地すら何もないのだ。そして、今は戦争中、一部の国とは終わったが、それ以外では今なお続いている。軍用施設もないし、使っていない道路に灯す人工の光はない。
マツダは辺りが暗くなる前に止まり、三人に夕食の準備をさせた。携帯コンロで缶詰の中身を温めて、パンと一緒に食べただけの簡単な食事。だが、そこはメーブ・メラ軍の技術。少ない量でも栄養満点で満足感のある携帯食料のおかげで、誰一人不満を覚えることはなかった。
冬に近づいてきているので、夜は早い。薄明のうちに片づけを済ませると、太陽の代わりに月と星が地を照らし出し始めた。
人工の光がないからこその夜空の景色。ラーファは、メーブ・メラ軍にいたころは空を見るなんてことはなかった。クロエは「空なんて気にすることはなかった」という。ミルは何度も一人で夜空を眺めていたという。
星の知識のない三人にマツダは丁寧に教えてくれた。しがらみから外れ、みんなで笑いながら眺める夜空は、一人の時とはまるで違うものだとミルは痛感した。
まだ二人で――クロエが加わったので三人になったが――旅をしてから三日と立っていないのに、あと何度隣にいるラーファと手をつないでいることや、マツダと笑っていられることの幸せをかみしめられるのだろう?
不意に、自分が幸せのカウントダウンを始めているようで、心が曇ってきた。
「あら、雲が出てきたな。月が隠れちまった」
それも大きな雲だ。夜空の半分が灰色一色になってしまった。これで今夜の天体鑑賞は終了。そうでなくても、そろそろ寝ないと、明日の朝に起きられなくなる。
テントなどの設備は積んでないので、寝る場所は、外で地べたに寝転ぶか運転席か助手席かだ。そろそろ冬が近いこの時期に外で寝るのはさすがにつらいので、三人とも車に乗り込む。ラーファとミルが運転席に、クロエは助手席だ。後部座席の荷物の山からラーファが毛布を二枚引っ張り出し、一枚をクロエに渡す。
「ありがと」
ラーファとミルは運転席のスペースを半分こにして座っている。そこに毛布を掛けて、二人は眼を閉じる。
「じゃあ、ちゃんと寝ろよ、エンジン切るからな」
エンジンが切れた途端、車内に静寂が訪れる。もし、寝ている間に追手がやってきたらマツダが起こしてくれる。朝の起きる時間もマツダが起こしてくれるか、目が覚めたらいつの間にか出発しているかのどちらかだろう。
ミルとクロエはすでに目を閉じている。ラーファも背もたれを少し倒して、瞼を閉じた。
何も気にすることはない。
クロエは確かに寝ていたが、あくまで仮眠程度の浅い眠りだったので、真夜中に目が覚めた。今までの生き方がそうだったからか、ぐっすり眠ることなどできなかった。目だけで運転席を確認する。クロエは夜目が効くので、窓から入るわずかな星の光でも車内を十分に確認できた。
ラーファもミルも寝ている。
マツダのことはわからないが、おそらく大丈夫だろう。何があっても所詮は車なのだから、心配することはない。
音を立てないようゆっくり体を起こし、膝立ちになって上体を後部座席にのりだす。無造作に積み上げられている荷物や箱を一つ一つ確認し、手で持てそうな金目のものだけを取り出していく。
(んー……やっぱり、お金になりそうなものは少ないわね。コインがいくつかと、あとは食料と銃ね)
換金するためなのか、小さい袋にアクセサリーがまとめて入れられているだけで、後は自分では持てないか、価値にならなさそうな物ばかりだった。銃は持っていても使う機会がないし、第一、少し重い。
結局、換金用のアクセサリー類が入っている袋に銃弾と少しの携帯食料を詰めるだけにとどめた。袋の状態を確認し、慎重に引き上げて、もう一度運転席側を見る。
(じゃあね。私が言うのもなんだけど、次からはこんな目に遭わないよう気をつけてね)
言葉に出さず二人に最後のあいさつをし、静かにドアを開ける。
……開かない。
(カギかかってた)
自分でかけた記憶はないが、おそらくマツダが気を利かせてくれたんだろう。だが今となっては無用な気遣い……むしろ邪魔だ。
ロックを解除して、再び手を掛ける……が、開かない。
(なんで!? ロックは開けたはずなのに?)
静かにレバーを戻し、もう一度試すが、やはり開かない。『押してもダメなら引いてみろ』と誰かから聞いた記憶があるが、車のドアは内側からは押さないと開かないことくらい知っている。
一気に早くなった心臓を落ち着かせ、深呼吸をし、もう一度静かにあ開ける。が、やはり開かない。
「チャイルドロックだ。諦めな」
「マツッ……ダ?」
突然聞こえた声に体が跳ねた。カーステレオが薄く光り、そこから聞こえてくるのは知っている声。だが、マツダはクロエに配慮をしているのか、声を抑えてラーファとミルを起こさない程度で話している。
「チャイルドロックってわかるか? 運転席以外、内側から開けられないシステムのことだ」
「……いつから気づいてたの?」
「お前が後ろをごそごそし始めた時からだ」
つまり、初めからということだ。相手は車だからと油断していたが、見当外れもいいところだ。相手は人間の頭を持った車だ。ラーファやミルよりずっと警戒する相手だったのかもしれない。
「今回は見逃してやるから、荷物をもとに戻せ」
「……わかったわよ」
暗に『二度とするな』というマツダに従い、しぶしぶ、盗もうとしてた物をもとの場所にしまう。一応、ラーファとミルは寝ているので、静かにことを進めた。
子供の二人を騙すことには苦労はかからないが、マツダの思考はおそらくずっと大人だ。自分はまだまだ子供なのに、この大人の頭を騙すのは難しいだろう。
クロエは今夜はあきらめて寝ることにした。ひさしぶりに熟睡しようと、背もたれに体重を預け、体の力を抜く。
「あとな……」
「なに? 物は全部元に戻したわよ?」
「いやそうじゃない。……あまり、ラーファを甘く見ない方がいいぞ」
「何言って……?」
窓の外に向けていた頭を運転席に向けると、こちらを寝たままこちらをじっと見つめるラーファと目が合った。
クロエは息も思考も止まり、思考も心臓も止まったかと思った。得体の知れない不安がのどを締め付け視界がだんだんぼやけていく。とてつもなく長いと思った数秒後、ラーファは視線を外し、体を窓側へ向けた。
ひとまず、『見逃す』ということなのだろうか? ミルやマツダとは話すことはあるが、ラーファとはまだ話したことはない。というより、クロエはラーファの声を聞いたことすらない。
「悪いことはしないことだな。まぁ、ぐっすり寝ろ」
マツダにそう言われたが、今夜も熟睡できそうにクロエには思えなかった。




