正しいということ
脱走兵の追跡隊は少人数で構成されていた。5番隊のA班とB班の一部、1番隊の大人の兵が何人かと特殊機動隊から一人。合計30人程で3台のトラックで移動していた。三台のトラックは一列になって荒野を走る。少ない情報を頼りに目標に向かって走る。脱走兵器に着けてある発信機は向こう側から制限をかけており、一日に1回しか居場所と状態を発信されないようになっている。先行偵察隊を何人か送ってはいるが、それでも状況は芳しくはなかった。
三台のうち一番最後のトラックの幌の中、ナコルとアルは並んで座っていた。このトラックには武器とA班、B班の少年兵が乗っている。少年兵の合計は9人。本当はもう一人いるはずなのだが、その人は直前になって捜索隊から外された。もちろん、それがだれかは言わなくてもわかっている。
「みんなどこ行っちゃったんだろうね」
「……さあな」
溜息をつくアルを見ず、ナコルは車外の流れる景色を見たままだ。
アルにはナコルが考えていることはすぐに分かった。今までこうして基地から離れることは何度かあった。その時も彼はこうやってずっと外を見ていた。隠しているつもりだろうけど、ナコルをいつも見ているアルにはわかる。たぶん、今でもナコルだけが諦めきれていない。今はあるはずのない自分の故郷を、彼はずっと探している。
「ナコル」
「……どうした?」
「…………いや、何でもないよ。ごめんね」
彼の目には彼の両親と一緒に故郷で暮らす未来が常に見えている。でも、自分はそれをあきらめかけている。
「ちがうなぁ。たぶん」
アルの独り言に応える者は誰もいない。
きっと、自分はすでに諦めている。ラーファには自分のたたかう理由を『帰りたいから』と話したが、多分、それは建前だ。そう思っておかないと、自分がここにいてこんなことしている理由が見つからないから、自分に嘘をついているんだ。そして、嘘をついていると自覚しながらも自分に嘘をつき続ける。
ナコルは自分に嘘をつかず、ずっとあきらめずに未来を見つめている。だから、すごく頼りがいがあって、一番の親友だ。テオドールと三人で昔からの友達だ。
けど、アルは夢見ている景色は夢に過ぎないとだんだん理解し始めてしまった。夢と認め、現実を見て、自己のバランスをとっていく。そして、これが『大人になることなのか』と思えてきた。
自分とナコル、どちらの在り方が正解なんてわからない。どっちも正しいことだと思いたい。
自分は夢と現実、どっちも見て、現実をしっかり守りたい。そして、守りたい現実は今は壊れかけている。
「ラーファもテオドールも……どこ行っちゃったんだよ」
嘆息は誰にも気づかれない。アルは自分も外に広がる、何もない地平線に目を向けた。
◇◆◇◆◇◆
「ちょっと止めて」
町をもうすぐ抜けそうになったとき、ミルがマツダを止めさせた。
「すぐ戻るからラーファは待ってて」
「早くもどってこいよ」
ラーファの代わりにマツダが返事をする。ミルがドアを閉めた途端、ドアをロックした。
「ラーファ、お前はここにいろ。大丈夫だ、あいつならさらわれることも殺されることもないだろ」
ドアに手を掛けたラーファを制す。ラーファは確かにそうだとシートに座りなおした。
別れた時は自分が人質となってしまったのが原因だった。ならば、もし彼女の足かせになる時は一歩引くべきだ。ずっと一緒にいたいけど、今は大丈夫。
ミルは少し戻ったところにある路地に目をとめた。この道を通りすぎるとき、視界の端に写ったものが気になっていた。
マツダはよく思わないだろうが、ミルは目の前で困っている人は助けたいと思った。お金や物とか、貧困の問題は解決できないが、それ以外ならできる。
自分にはそれをするだけの力がある。
誰かを助けるために使ってもいいと思う。
「これ……わた……ってたわよ」
「……には似合わ……アクセ…………俺の私物な……刻印され……取り押さえ……ろ」
路地から聞こえる声は、断片的だが穏やかではなかった。とりあえず、ミルは建物の陰に身を隠して聞き耳を立てる。20歳くらいの女の人と、それよりもっと年上の男三人が言い争いをしていた。
「やめて放してよ! もういいわ、これは返すわよ」
「まて、どこ行く気だ? まだ話は終わってないぞ」
「何よ? 私はこのシルバーアクセサリーしか盗んでないわよ。これ返すからもういいでしょ?」
「ほかにも盗んでんだろ? お前がスリの常習犯だってことはもうわかってんだ。さっさと今まで盗んだもん全部返しやがれ!」
「私はこれが初めてよ。勘違いなんじゃないの? もう行くわ、じゃあね」
「待てこら。捕まえろ」
二人の男が逃げようとしていた女性の両脇を捕まえた。手の自由がなくなった女性は体をひねって逃げようとするが、大の男二人相手に女性の細腕では無理があった。
「じゃあ初犯にしては手際のよかったお前に選択肢をやる。盗んだものを全部返すか、働いて全額返すか。どっちだ」
「だから私は盗んでな――」
しびれを切らした男が女性の頭をわしづかみにして捩じ上げる。
「こっちはお前の仕業だって顔を割れるほどに証拠が揃ってんだよ!」
「いたいいたい、やめて! わかった、働くから!」
「おーし、じゃあきれいなアクセサリー好きのお前に天職をやる。きれいな服着ておめかしして男の相手をする仕事だ。給料も高いぞ」
「何よそれ、売春じゃない!」
「連れて行け」
「いやよ、絶対やりたくな――まってどこ連れてくの!? 放して、いやぁあぁぁ!」
うすうす予想はしていたが、ミルの思った通りの展開になった。今の時代そうでもしなければまともにお金が集まることがないことはわかっているが、それでもこんな外道は見逃したくない。
「やめなさい」
「誰だ!?」
「たすか……え、あれ……?」
女性の両腕をしっかりつかんだ男たちが止まった。顔がこわばったのは一瞬で、出てきたのが幼い少女だとわかって緊張の糸はすぐにほどけたようだ。女性は助けが来たと思って一瞬だけ笑顔になるが、その助けが子供だということに目が点になった。リーダーと思われる男がミルに歩み寄り、ひざを曲げて目線をミルと同じ高さに合わせる。
「あのな嬢ちゃん、俺たちはきちんとした理由であの子についてきてもらうだけだ。何も悪いことはしてないぜ?」
「あの子は何もしてないといってるじゃない。それなのに力ずくで連れていくの?」
「悪いことをしたからだ。だから俺たちはその行いを正しているだけさ。いわば、正義ってことだな」
正義。
久しぶりに聞いた違和感しかない言葉。軍では自らを正義と言って戦争をしていた。昔には「正義」という言葉で人々を苦しめた国もあったらしい。
きれいなようで実は何より汚い言葉だ。
現に、地一人の女性が正義の名のもとに男たちに連れ去られそうになっているじゃないか。
自分のことは正義とは自称しない。
けれど、誰かの言う汚い正義は見逃せない。
「正義じゃないですね。正義は誘拐なんてしません」
「誘拐じゃねぇって……」
「誘拐だけじゃなく恐喝もしないです。それに、人身売買をやろうとしているのではないのですか? これも正義じゃないです。立派な犯罪ですよ」
拙い敬語でも自分の意見をきっぱり通すことで、相手に理解させる。大人相手に弁を立てることができるなんて豆粒ほども思ってはいないが、ミルの予想に反して男は口をつぐんだ。
頭の悪い人ならここで激昂して殴られるところだったが、この人はそうではなかったらしい。あまり荒っぽいことはしたくなかったので、ミルは内心ほっとした。緊張で鳴る心臓に足が震えそうになったが、少し落ち着けた。
「おい、このガキも連れてけ」
「えッ!?」
「そんなガキ売れるんっすか?」
「そういう趣味を持つ奴もいるだろ。いいから連れてくぞ」
「その子は関係ないでしょう!」
「うるせぇな。元の原因はおまえだろ。おら行くぞ」
大人の男の力で左腕を引っ張られた途端、ミルの中の何かのスイッチが入った。緊張していた心臓はどこへやら、男たちを説得しようと考えていた頭はどこへやら、人の形をしていた右腕はどこへやら。
「やめなさい」
助けに出た時の第一声と全く同じで言葉で、全く違う威圧。目は薄く鋭くとがり、声は冷たく、体から発する気迫は死神。敵味方双方から恐れられるメーブ・メラ軍の倫理を踏みつぶした兵器の姿のほんの一部がそこにあった。ミルの右腕は機銃に変化し、銃口は男ののど仏に当てられていた。
ミルが引き金を引けば、男の上半身はたちまちミンチになってしまう。それどころか、その奥にいる女性や彼の部下たちにも被害が及ぶ。だがこれはミルの持つ火器の中での一番威力の低いものなのだ。対戦車・対戦闘機を想定して作られた兵器に生の人間が勝てるわけがない。
男の目が余裕を持ったものから、だんだんと恐怖と焦りに染まっていく。ミルの眼光にひるんだ男は彼女を直視することができず、ずっと目を泳がせている。
ミルがため息を一つ。
「やめなさい。私と、その女性を解放しなさい」
混乱した男たちの頭ではうまくりかいできなかったようだ。それどころか、脳にすら届いていないのかもしれない。
「解放しなさい」
「わ、わかった! 殺さないでくれよ! な?」
銃口を少し首に押し付けると、リーダーの男はすぐさま腰を引いて逃げ出した。女性をお拘束していた残りの男たちもそれに続いて見えなくなった。
右腕をもとに戻してさっきとは違う意味の溜息を吐いた。あの目は慣れたと思っていたが、そうでもなかった。自分では自分のことを人間だと思っているけど、それを否定される目線は辛い。幾度となく向けられたものだが、慣れていなかった。それとも、慣れたままで今でも辛く感じるのか。わからない。
「あ、ありがとうございます。えっと……」
助かった女性は女性で困惑していた。なにせ、ありえないものを見せられたのだから。こうなっても仕方がない。ミルには十分予想できた。
こんな時は深呼吸だ。誰かが言っていた。深呼吸は心を落ち着かせて緊張をほぐすことができる。そしたらわからないことも見えてくようになる。すると、鋭くなった眼光も戦争で麻痺した冷たい思考もなくなった。あとは人間の少女『ミル』だけだ。
「ケガとかないですか?」
「あ、はい。ありがとう」
「じゃあ、さよなら」
ラーファとマツダが待っている。ちょっと遅くなってしまったが、人助けをした感覚は心地の良いものだった。ちょっとした不快感もあったが、今は充実感でいっぱいだ。胸がくすぐったいような、恥ずかしさにも似たむずむずした感覚が気持ちいい。
「待って!」
右手をつかまれた。手を伸ばしたのは先程助けた女性。ついさっきまで化け物だった手を握って、ミルを呼び止めた。
「え、な、なんでしょうか?」
じっとミルの目を見つめる年上の女性に思わずドギマギしてしまう。なんだかよくわからない視線に変に緊張してしまい、年相応の反応をしてしまった。男たちを追い払った冷たさはどこにもなく、そのギャップに女性がクスリと笑い、ミルはなぜかたまらなく恥ずかしくなった。
(な、何かな? なんか変なこと言ったかな? いやいや、私はずっと変だし)
まっすぐ見つめる女性の視線を外すことができなくて、何か言おうとするけど、上ずった声しか出ないような気がして何も言えない。
「あの……」
「は、はい!?」
(変な声出た! 恥ずかしい!)
ミルが自分で自分がよくわからなくなっていることに知ってか知らずか、女性はそのまま言葉をつづけた。
「私、クロエ、18歳。あなた、赤い車でやってきた子よね? お願い、あなたと一緒にいさせて!」
「…………はぁ。はい」
言いながら、マツダに「元いた場所に返してこい!」って怒られるだろおうなぁ……とぼんやり考えたミルだった。




