廃墟となった研究所
ラーファとミルとマツダが入って行った町は、都会というほどではないが、そこそこ人が集まっている町だった。
「港もすぐ近くにあるからな。前にも言ったが、交通の要所だから人の出入りが結構ある町なんだ」
「で、どこに行くの? マツダは当てでもあるの?」
「あるわけねぇだろ。知識として知ってはいるが、来るのは初めてだ」
「なんだぁ……」
がっかりしたようにミルが呟くと、マツダは不服そうに軽くエンジンを鳴らした。
「当てはねぇけど……まーいいや。しばらく町ん中走っから、気になったとこがあったら言え」
「はいはーい」
基本、ラーファは喋らない。ミルとマツダの会話を聞いて、時々クスリと笑うだけだ。元々饒舌でないラーファには、これでも精一杯会話に参加しているつもりだ。それを知ってか、ラーファとマツダはラーファに気を掛けることはあるが、無理やり会話に参加させるようなことはしない。
一行は車が通れる大きな道をゆっくり走る。よく見るのは大きなトラックの集団。マツダが言うには商業者の集団らしい。それが分かったところで、二人に何ができるかは分からない。ただ、過ぎゆく街の風景を眺めるだけだった。
だんだん人通りが少なくなってきた。道の両脇に立つ建物もまばらになり、あっても古かったり、使われていなさそうなものが多くなってきた。やがて、全く人がいなくなり、建物も半壊したものや、鉄筋がむき出しな廃墟になった。
マツダのタイヤを回す音だけが人のいない人がいた場所を満たす。ゆるゆるとスピードを緩め、マツダは止まる。止まった途端、先ほどまでは聞こえなかった、風の乾いた寂しい音だけの世界になった。
ラーファとミルは車から出てる。
「わりーわりー。なんか人のいない方には知ってたら。こんなとこに来ちまった」
「なんでよー。こんなとこ何にも用事ないでしょー? ただの廃墟じゃん!」
「ん……わりぃ。あんまり人とかトラックとかあったら、走りにくいしさ。人のいない方に走ってたんだ」
「そんなんじゃこんなとこに来るの当たり前じゃん!」
「なっはっは。まーいーじゃん。すぐ戻るよ」
悪びれる様子もないマツダ。頬を膨らませて車のボンネットを叩くミル。マツダがぷりぷり怒るミルをなだめ、さあ戻ろうというときにラーファは二人から離れた所にいた。来た方向と逆の方に足を運び、引き寄せられるように廃墟の奥へと歩いていく。
「あ、あれ? ラーファ、どこ行くのー? 置いてかないでよー!」
「くぉらミル! ちゃんとドア閉めろ! 走れないじゃねぇか!」
ミルが呼びかけるもラーファは止まらない。ミルはラーファを追いかけ、マツダは助手席のドアを開け放しのまま、ゆっくりミルを追う。マツダは車体を横に揺らして乱暴にドアを閉めた。
ラーファは走りながらきょろきょろと周りを見ながら走った。
覚えている。
灰色の記憶ではない。冷たさと暴力の色で塗られた記憶でない。
心の底から暖かくなり、それが体の隅々までしみわたっていくような、不思議な気持ちを思い起こさせる記憶。ミルと出会ってから過ごした日の記憶。
ラーファが足を止めたのは、一際濃い記憶の残る建物の前。
「はぁ、はぁ……どうしたの? ここ……あれ……?」
追いついたミルが肩で息をしながら、ラーファの視線を追う。一部の鉄筋はむき出しに、窓のガラスは割れ、灰色のコンクリートが寒々しい建物。
中に入ると、かつては使われた跡がある。が、雨風をしのげるだけの簡素な営みの遺物。
「これ……わたしたちが住んでた」
そこは、二人が出会ったばかりのころ、短い間二人で過ごした建物だった。廃墟にあるが故、だれも手を付けない。二人がすごした時からそのままの姿で残っていた。
「まさか見つけられるとは思わなかったよ。……ちょっと、うれしいかも」
ミルはかつて住んでいた室内を懐かしむように歩く。住み心地の良いところではなかったが、楽しいところではあった。
遅れてやってきたマツダは建物の中には入れないため、外で二人を呼ぶ。
「ん? おい二人とも! 何やってんだ。こんな廃屋はあぶねぇぞ。さっさと出ろ」
「大丈夫だよ。今まで全然崩れる気配もなかったんだもん」
「気配がなくても崩れる時は崩れるんだ。こんなとこに用はないだろ? さっさと町に戻るぞ」
「えー! いやだなぁ……」
クラクションを鳴らすマツダにミルは頬をふくらますと、ラーファの手を引いて建物の奥へと走って行った。
「あっ、こら! さっさと戻ってこい!」
「ちょっとくらいいじゃーん! すぐ戻るからー」
案の定、マツダは怒ったようにクラクションを鳴らしまくったが、やがて諦めたかのように静かになった。
ミルとしては懐かしの建物にもうちょっと居たいだけなのだろう。 ラーファとしては、かつてのふたりの居場所を見つけられてすこしだけ誇らしかった。
ここに住んでいた時、二人は奥まで行った事は無かった。いくら倒壊の危険が一番安全そうなものとはいえ、廃屋には変わりない。寝ているときにでも倒壊したら危ないという理由で、使っていたのは入り口から一番近いものだけだった。
そして、奥の部屋を使わなかった理由はもう一つ。
「うわぁ……やっぱ汚いね」
単純に、汚いからだ。
土に汚れ、何が書かれてあるか分からない書類。もとは書類棚の戸に張ってあったのだろうガラスが床に散乱し、褐色の薬品ビンとその中身で汚れてシミができている壁と床。
ミルは初めてここに来た時すぐに引き返したのを覚えている。あの時は鼻を刺激する異臭までしたのだ。
「うっへー。まぁいいや。ちょっと奥まで行ってみよ?」
ラーファ入口の方を見たが、首を縦に振った。ミルはラーファの手を引きながら暗い室内を進む。ガラス片や瓶に気を付けながら奥に進んでみる。何か目的があるわけじゃない。ちょっとした探検気分だ。
といっても、興味を惹かれるものも役に立ちそうなものも何もない。床に散乱する書類に書かれてあることなんて興味ないし、読んだとしても理解できないだろう。
部屋の奥のドアを開けると、真っ暗な廊下と点在するドア。明かりは自分たちが開けた扉から微かに漏れる外の光だけ。奥まで続いているだろうが、真っ暗でよく見えない。
「うん……何もないね」
ミルの言う通り、何もない。あっても暗くて見えない。ミルはそれでもあきらめきれないのか、一番近くにあったドアを開ける。
空気の塊が廊下に流れ込み、ほこりが宙を舞う。二人はとっさに顔をそむけるが、ドアを閉める事は無かった。ドアからはほこりや風と一緒に外の光も入って来たからだ。他と比べると小さな部屋だった。奥の窓から外の光が入ってきている。光が宙を舞う誇りに当たって部屋を一層明るく見せる。
「うん……やっぱり何もないね」
予想通りといった様子でミルはがっかりした。本棚と、薬品棚があるところはほかの部屋と変わらない。少し手狭に感じるだけで、他の部屋と変わるところは特にない。あるとすれば、窓の下に机と椅子があるところだけ。
ラーファは本棚にある本を見てみる。数は少ないし、ほこりも被っているがためしに手に取ってみた。
全然わからない。まったく、さっぱり。
ラーファには難しい内容だった。流体力学だとか、工学のなにがなんとか。手に取るだけ無駄だったと悟り本を戻す。他に何か本が無いかと見てみるが、どれも負けず劣らず難しそうなのであきらめた。
ミルは部屋に入ると真っ先に窓の下の机に走っていた。ラーファは入り口で待っているが、いつまでたってもミルは机の前から動こうとしない。
ラーファはゆっくりとミルの後ろに近づいてのぞき込む。彼女は何か本を読んでいるようだった。
あまりに真剣に読んでいたので、ラーファは軽く彼女の肩をつつく。
「へ? あ、あぁぁぁああぁいやいやいやいやいや。なんでもない。なんでもないよ!」
ミルはビクッと肩を震わせて両手をぶんぶんと振った。しかし、ミルが背中の後ろに何かを隠したことはラーファはしっかり見ていた。
焦るミルが可愛かったので、ミルの肩越しに彼女が手に持っていたものを覗きこんでみた。
ノートが一冊あった。タイトルは『研究対象観察記録』。タイトルは太字のマジックで書かれている。一見、所々破れていて状態は悪そうだが読めなくはなさそう。
「だ、ダメっ! 見ないで、お願い!」
ノートを開く前にミルがノートを胸の前に抱えて、はっきり拒否した。顔を真っ赤にして目を吊り上げている。そのあまりに必死な様子にラーファは固まった。
「あ……、わたしこそごめんね。でもこれは……ううん。今はダメなだけ。ごめんね」
さっきまでの楽しい雰囲気はどこかへ。重い空気に沈み、次第に二人も俯きがちになる。
ミルは黙ってラーファの手を取り、部屋から出て行った。二人ともこれ以上奥へは進もうとは思わない。マツダを心配させすぎたことも理由の一つだが、何よりそんな気分になれなかったから。
建物から出ると、マツダは路肩に車体を寄せて、エンジンも切っていた。ミルはボンネットを叩いてマツダを叩き起こし、車のドアを開けた。
ラーファも一緒に乗ろうとするが、視界の端に映ったのはほんの小さな違和感。
振り返ると、道路の反対側に一台のバイク。見慣れないものだが、見たことのあるもの。
おぼろげな記憶は、バイクの横に立っている男を見てはっきりした。
「よー、久しぶり。俺のことは覚えているか? ん?」
ずっと前、まさにこの場所でラーファとミルの間を引き裂いた男。同時に、軍でラーファをミルに会うよう助けた研究員でもある男。
気持ち悪い笑みを浮かべて、たばこを投げ捨てる男の存在に、ラーファもミルも固まった。
ミルは廃屋の部屋で見つけたノートを胸に抱いたまま。




