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鋼の火  作者: 古代紫
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再会と約束

 きれいだと思った。


 太陽は地平線に触りかけるころ、最後の段に手をかけた。今にも壊れそうな階段は風に吹かれてギシギシ音を立てている。

 手はボロボロに荒れ、酷使し続けた足は動きを止めたらもう動かないほど疲弊しきっていた。

 本当にこの塔の最上階に彼女がいるのか? 嘘なんじゃないか? 実は屋上には何もないのではないか? 大人の兵士たちが待ち構えていて、たどり着いた途端に銃殺されるのではないか?

 この考えがなかったわけではない。けれど、それでもいいとも思った。もともとラーファはそんな覚悟を持って塔の探索を始めたのだ。そこに彼女がいなければ彼の運がなかったまで、それだけのことだ。


 屋上に手をかけ、滑らない個所を手で探る。幸い、雨は降っていないし、このあたりの地域は乾いていた。鉄の冷たい感触を確かめながら手に体重をのせて体を一気に引き上げる。塔に隠れていた西日がラーファの体に正面からぶつかりり、思わず目を細めた。

 一階に比べると狭い屋上。けれど、壁も柵も何もないせいか他の階よりもずっと広く感じる。もちろん、演習場よりもずっとずっと広い。

 強い風に体を吹き飛ばされそうだ。体を低くして屋上を隅々まで見渡すと……いた。ラーファが居るのは塔の東側の端、その反対側の西側の端に夕日の中に曇る小さな人影。吸い込まれそうなほど小さい影は一瞬見ただけでは誰のものかは分からないだろう。でも、ラーファにはすぐに分かった。

 たまらず、その人影にむかって走り出す。

 広すぎて、周りに何もない塔の屋上では近付いているかどうかすら怪しくなってくる。今ほど自分の足が遅いと感じた事は無かった。走っても走っても近付いている感じがしない。息を切らせ、大きく腕を振って全力で夕日の中をかけた。

 しばらくすると夕日と重なる彼女の影はだんだんと大きくなってきた。眩しい差すような赤い光に目を細めながらもしっかりと前を向いて走る。

 背中の重い荷物も、これまでの死と隣り合わせの階段で張り詰めた緊張の糸も、塔の中で大人たちから逃げ回って疲れ切ったこともすべて忘れてしまう。すべて吹き飛ばしてくれるような眩しい夕陽の中に彼女はいた。


 ラーファはいざ少女に会った時なんと声をかければいいのか考えたことがあった。結局答えは出ずにここまで来たのだが、考えても考えなくても同じだったのかもしれない。


 真っ白に……夕日に塗りつぶされたみたいに、何も考えられないのだから。


 彼女は後ろから走ってくるラーファに気が付かない。両腕で膝を抱えるようにして座り、顔をうずめていて肩を震わせている。泣いているようにも見えた。

 彼女の長い銀色の髪は床に届いている。強い風に舞いあがって絹のようにさらさらと流れている。

 服も見たことない新しいものを着ていた。あの時の戦場に飛んできた人とは思えないほど別人になっているような気がする。赤を基調としたチェックのスカート、裾は白いレースであしらわれている。上はピンク色のカーディガンを着ていてとても女の子らしい服だった。戦争している兵士が着る服ではない。


 ラーファは少女の隣で足を止めた。やはり少女は泣いていた。顔は膝にうずめているが、肩の震えですぐに分かった。

 なんと声をかけようか? 黙ったまま立っているだけなんてのはない。けれど、泣いている子になんて声をかければいいのだろうか?

 けれど、考えている時間は思ったより少なかった。横で泣いている姿を見たくなかったからかもしれない。無意識に何も考えずにいたら、自然とこの言葉が出た。


「ここから逃げよう?」


 少女の正面に回り込んでできるだけの笑顔を作る。もちろん伸びきったぼさぼさの髪に遮られてラーファの目は見えないのだが。


 突然のの声にぴくっと彼女の肩が反応する。小さな腕からおずおずと少女は顔を上げる。涙の軌跡がキラキラ輝いて、彼女の目は真っ赤になっていた。

 涙をいっぱいに溜めた彼女の顔は初めこそとても悲しそうな顔をしていたが、ラーファの姿を見るとたちまち目を丸くさせた。


 どうしてここにいる? どうやってここまで来たの? 今なんて言ったの? 逃げるってどういうことなの?


 口をパクパクあけたり閉じたりする少女。聞きたいことは山ほどあるのに何一つ出てこなかった。回る考えは収束しない。それでも倒れそうになる体を両腕で支えて、ぶれそうな眼の焦点をしっかりとラーファの顔に合わせた。


「あの――ッ!?」


 やっとのことで出た少女の言葉は途中で途切れてしまった。

 トクン――心臓が小さくはねたのが分かった。

 一瞬、呼吸を忘れた。


 少女の背中に回ったラーファの両腕。優しく少女を抱きしめる。彼の吐息が少女の耳をくすぐり、心地良い体温がじんわりと体にに染み込んでいく。

 優しいけど、決して放しそうにない。ラーファは何も言わず、ただ彼女を抱きしめるだけ。


 口をぽかんと開けた彼女は手持ち無沙汰な手をおずおずとラーファの背中に回した。ギュッと力を入れると遠くの町で過ごした時と同じ温かさ。


「ずっと…………会いたかったんだ。もう離れたくない」


 ラーファの腕の力が一層強くなる。

 耳元で小さな声でささやかれた声は少女の心にたまっていた悲しみやくやしさ、あきらめも脱力感もすべて吹き飛ばしてくれた。


 せっかく、ようやく諦めれたのに。私は平気だから、他とは違う。人間じゃないから。感情なんていらない。そう思っていたのに……この子はそんな考えなんて砂のように吹き飛ばしてしまう。


 また、温かい雫が少女の頬を流れた。けれど、今度は冷たい嫌な涙じゃない。心の芯からあったまっていく感覚。それだけで十分満たされる。


 『嬉しい』だけで涙って流れるんだなぁ。

 …………けれど、ダメだ。


「……ありがとう。でも、ダメ」


 一度だけ強く抱きしめて、ゆっくりとラーファから体を放した。温かい体温が体から離れていく。残された少女の心には、少しだけ寂しさがたまった。


 ラーファは首をかしげて、少女の瞳を見つめる。


 少年の真っ直ぐな視線がいたかった。けれど、うなだれてしまいそうになる顔を持ち上げる。


「でも……私は兵器なの。人間じゃない。体の半分は機械でできてるの」

「……うん」

「兵器は人を殺すためのものなの。人殺しの道具と一緒に居たらダメ。絶対に不幸になるんだ」


 言い切ったところで、少女はスカートの裾を強く握った。

 これしかないんだ。言わなくちゃならないことを言っただけ。抱きしめてくれたことはうれしかった。とても温かった。「逃げよう」って言ってくれたこともうれしかった。けれど、それとこれとは話が違う。

 悔しいけど、これが一番なんだ。一緒に居て危険な目に合うなら、離れていた方がずっと安全。私が戦場で頑張ればいいだけのことなんだから……。


「だから――」

「イヤだ」


 「ここでずっとお別れしよう」という言葉はラーファの拒絶の意志に切られた。

 言葉とともに重くなった首にいつの間に下を向いていた少女の顔がはっと上がる。風に揺れる少女の髪はまとまりがなく、思い思いに流れている。


「なんで!? ダメだよそんな、わたしはへい――」

「違う。友達。兵器じゃない」


 フワッとラーファの前髪が風になびいた。髪の間から覗く瞳はいつもの透き通った真っ黒な色。何に染まることのない黒。


 ラーファはだらんとぶら下がった少女の手を握った。


「友達。ずっと一緒に居てほしい」


 強風に吹かれる中、ラーファの声はどこまでもまっすぐで何よりもはっきりと少女の心に届いた。


「ダメだよ! 不幸になるって!」

「ならない。友達と一緒に居て嫌なことになるなんてことは絶対にない」


 この塔に来てから、ラーファは知った。ナコルもアルもクラリスも友達だ。あまり話さないが、B班の人たちは全員が互いに友達同士なのだろう。

 彼らは訓練の間は辛そうにしていたが、休憩時間の時はとても楽しそうだった。一緒に居て辛く思っていたりする事は無かった。彼らが友達同士だからだろう。友達と一緒に居て辛いなんて事は無いんだ。

 彼女が友達であるのなら、この塔が彼女を泣かせているならばラーファがとるべき行動は一つ……


「ここから逃げよう?」


 はっきりと吹き荒れる風に呑みこまれない声が少女の心に届いた。

 差し伸べるラーファの手を一瞥して、少女は視線を下に落とす。ばつが悪そうに、少しだけ居心地悪そうに視線を逸らした。


「……ホントにいいの?」

「うん……ずっと一緒に居て」


 もう逃げられなかった。今までは靄がかかっていた自分の気持ち、けれど今でははっきりとわかる。


 わたしも一緒にいたかったんだ。

 なにかと理由をつけて少年から離れていたが、この気持ちだけはずっとあったんだ。


 少女は差し伸べられた手を両手で握って立ち上がった。

 目にかかりそうな前髪をかき分けてしっかりとラーファの手を握る。


「じゃあ……ずっとわたしと一緒に居てくれる?」

「うん。約束」


 そう言ってくれるなら少女がはっきりわかった自分の気持ちに逆らう理由なんてどこにもない。


 少女が少し力を入れてラーファの手を握ると、同じ強さで握り返してくれる。「ずっと一緒」という言葉に嘘はない。


「そこの二人、動くな!」


 二人の背後から叫ぶような声がした。ラーファは首だけ曲げて後ろを見る。


「不審者を発見。これから拘束します。どうぞ」


 十名ほどの大人の兵。一人はトランシーバーを片手に何かを喋っていて、残りの全員は大きな銃をこちらに向けて構えている。


 ラーファが上って来た古ぼけた簡易な外付け階段は大人を挟んだ塔の端にある。

 けれど、大人たちを飛び越える術など持っていないし、全員殺すことも無理だ。

 表情にこそ出さないが、ラーファは焦る。やっと会えたと思ったのにここまでなのか? それでも打開策を見つけようとするが、下手に動けば蜂の巣だ。


 ギリッと口を強く結ぶ。口の中に血のにおいが充満する。いつの間にか唇を噛んでいたらしい。

 ラーファは少女の手を握る手とは反対の手を自分の腰に伸ばした。ホルスターの中に拳銃がある。これで大人を全員倒せるとは思えないが、このまま撃たれるよりは……


「待って、わたしが何とかする」


 少女がグイッとラーファを引き寄せて、そっと耳打ちした。柔らかい息が耳をくすぐり、拳銃に伸ばした手は止まる。

 少女はラーファの手を放して一歩前に進んだ。


「わたしは特別機動隊隊長、ミルです。この不審者の処分はわたしがします。あなた方はそこで待機」

『了解!』


 少女はくるりと身をひるがえす。ひざ丈のチェックスカートがふわっと浮き上がる。少女は首をかしげてパッと咲いた笑顔をラーファに見せた。夕日が差し、風が少女の髪を流すので笑顔がよく見えた。

 バッと両手を広げ、少女は床を蹴った。

 ラーファの胸に飛び込み、勢いを止めずに押し倒す。


「あ……」


 気が付いた時には、すでに屋上の外側に身を放り出していた。少女はその見事等から飛び出したのだ。ラーファの胸に飛び込んだまま塔の床を蹴り、何もない空間へと身を投げ出したのだ。

 強烈な浮遊感とともに目の前の景色が一気に上に流される。重力にあらがうすべなどなく、二人は塔の屋上から地面まで落ちていく。


「ねぇ……」


 ラーファの胸に顔をうずめている少女が呟いた。強烈な空気の流れに消されそうな声だが、これほど密着しているからよく聞こえた。


「何があっても、ずっと一緒に居てね?」

「うん。一緒」


 そっと右手を彼女に伸ばすと、手が白く光りだした。いや、ラーファの手ではない。これは少女の指先だ。すると、スカートからのびた彼女の足に巻きつく枷と鎖も同じように光っていた。

 光ったのは一瞬で、ラーファが気が付かぬうちにパキンッと音を立てて割れてしまった。


 それまであった重みがなくなったはずなのに、二人は気付かない。それもそうだ、二人は今まで自分で自分を縛っていたんだ。少女は自分が兵器だからと言い訳してあらゆることを縛っていた。ラーファは彼女と出会う前は全てを諦めていた。

 けれど、今の二人は自分を縛ったりはしない。

 心の靄を振り切った二人に、自分を縛るものなど必要ないのだ。

 自分の知らないうちからずっと重みとなっていたものがなくなり、ラーファの心も軽くなる。


 二人の体が乾いた地面に当たる直前、フワッと体が浮いた。加速しながら落ちていた体はゆるゆると速度を落として乾いた地面にそっと落ちた。

 死を覚悟したラーファは何が起こったか分からない様子で自分の体を見る。何も異常はない。怪我もしてない。


「わたしがわたしの力を使うのは、たぶん、これが最後。わたしはもう兵器じゃないんだから」


 ラーファの胸の中で少女はニカッと笑った。

 やっぱりこの子は普通の女の子だ。歯を出して笑う仕草はまさに「花のようだ」という表現がぴったり当てはまる可愛さだった。


「……行こう?」

「うん」


 体を放し、手を差し伸べる少女の手を握り、ラーファは頷く。

 背中の緑色のリュックサックを背負いなおし、黄土色の迷彩服と紅いスカーフに着いた砂埃を払う。

 少女は赤いチェックのスカートとピンク色のカーディガンを着なおす。

 一見ミスマッチな服を着た二人は沈みゆく夕日に向かって歩き出した。


「ねぇ……大好きだよ」

「……うん。僕も好き」


 もう二度と離れないようにしっかりと手を握った二人は誰に見られることなく、夕焼けの赤い光に消えていった。

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