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鋼の火  作者: 古代紫
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曇りの朝

 あれからどのくらいの日が経っただろうか。

 冬の真昼に出会った少年と少女は、町外れの人の気配がしない灰色のコンクリートがむき出しになっている廃墟に住んでいた。

 こんな廃墟があるなんて知らなかった少年は、ここに来てからというもの少女から離れようとしない。ずっと手を握ってぴったりくっついたままだ。

「そんなにくっつかなくてもどこにもいかないよ」

 笑いながら言う少女はちょっと歩きにくそうだ。

 それでも少女は少年を振り払おうとはしない。むしろ自分から身を寄せに行っているようにも見える。

「こんな廃墟だと戦闘機も飛ばないし、戦車も通らないよ。戦線から結構離れているからね」

 二人が出会った日の夕暮時。

 廃墟の中をしばらく歩いて、倒壊の恐れが一番小さそうな安全な建物を選ぶ。

 建物の中はずいぶん荒れていた。土と雑草に浸食されて灰色のコンクリートがむき出しにされている床。割れた窓ガラスに散乱されて手つかずのガラスの破片。雨風こそしのげるものの、お世辞にも快適と言える環境ではなかった。

 建物に入ると、コンクリートで冷やされた空気が二人を迎えた。不思議と嫌な感じはしない。

「ここにしよっか」

 少女がそう言ったので、少年は静かに首を縦に振る。

 電気も水道もガスも通っていない。割れた窓ガラスから入る乾いた風が常に建物の中を吹き抜けていく。固く、ヒビ割れたコンクリートはお世辞にも寝心地が良いとは言えない。

 けれども、ここでは人々の喧騒も、視線も、暴力もない。

 そして、戦争のうわさも、兵隊も、追っ手も何もない。

 ここにいるのは二人だけだ。

 太陽が沈んでからは、月の青白い光がほんのり廃墟を照らす。

 毎晩人目を避けながら道路の隅っこで寝ていた少年は、ここでは一緒にいる少女に寄り添うように寝る。

 感じたことのない他人の温かさは、少年に言いようのない安心感を与え、ふわふわした気持ちのままだんだんと目蓋が重くなっていく。

 少女は少年と同じように寄り添って寝る。自分を必要としてくれているその眼差しは少女にとっての宝物で、少年は少女にとっての大切な人になりつつあった。

 寝る前、重くなった目蓋をなんとなく持ち上げてみた。

 目の前にはぼさぼさの髪と汚れた顔。

 決してきれいとは言えないその身なりでも、少女にとっての大切な人。今まで出会ったことのない、初めて自分を人として見てくれる少年。

 その寝顔をいつまでも見ていたくて、眠気を抑えながらずっと見ていた。

 すると、少年がうっすらと目を開いた。

 二人の視線が合ってしまった。照れくささを少しばかり覚えたが、二人は思わず静かに笑った。

 少し笑った後、二人はすぅっと静かに眠りについた。

 二人に容赦なく吹き付けていた冷たい夜の風は、いつの間にかやんでいた。

 この時ばかりは二人は言いようのない幸福感に浸ることができた。

 少女は自分が戦争兵器だという事を忘れるほどに。

 そして少年は自分が―――だという事を忘れるほど。


◆◇◆◇◆◇


 少年と少女が住む廃墟から遠く離れた地。

 そこでは血を吸い込んだような火が上がり、轟音が空気を震わせ、数多の鉄球が空を飛び、絶え間なく人の命を奪っていった。

 鮮血を流す人々の苦しみの叫びは隣で鉛玉を撃つ人の声に消えていき、その人もやがて倒れていく。火薬の爆発する音がするたびに地面は抉れ、恐怖にゆがむ人々の顔を打ち抜く。

 戦争。

 その中でも最も激しい戦場の光景はまさに地獄絵図だった。

 二つの勢力がぶつかり合うも、互いの力は拮抗している。一方が押される事は無く、ただただ泥沼の戦いが続くだけ。

 その間も二つの軍の兵士たちは意味なく倒れていく。

 そしてまた別の場所でも、別々の色々な軍が同じような戦いをしており、同じように死んでいく人たちがいるのだった。


◆◇◆◇◆◇


 小さな町の端にある廃墟。

 空は晴れて、澄み切った風が空気を冷やす。それでも、天高く上った太陽からの優しい光が常に射しており良い天気だ。

 少年と少女が出会った日から、二人はそれからの生活がとても楽しく感じられた。二人とも今まで知らなかった感覚は胸のあたりがふわふわ浮いているようで少し落ち着かなかった。

 廃墟から出て市場や住宅街、農場などいろんな所に行った。無論、働き口も家も身寄りもない二人が生きていくためには盗みをするしかないので、市場や農場は特に訪れた。

 道路の脇で常に座っている記憶しかない少年にとってそこは未知の世界であった。何度も見知らぬ人から暴行を受けてたので、常に隠れるように少女の後ろを歩いていたのだが、次第に他人の存在を気にするよりも少女の手を握っていたくて、少女の隣を歩きたくなって、今ではどこかに行くときは手を繋いで横に並んで歩いている。

 廃墟に帰ると盗んだ食物で腹を膨らませ、眠くなるまで少年は少女のおしゃべりを聞く。

 少年は返事をすることなどないが、少女にとってこうしていること自体が楽しかった。

 そんな二人の何気ない楽しい日の終止符は予想することなく突然やって来た。

 太陽が覗き、人々の目を覚まさせる朝。その日は空一面を雲が覆っており、肌寒い風が吹いていた。

 廃墟の中の建物で寝ていた少女は壊れた窓から吹き抜ける風に起こされ、目蓋を持ち上げる。寝ぼけ眼に灰色の所々にひびが入った天井が映る。横にはこちらに顔を向けて静かな寝息を立てる少年。

 少女はそっと少年の頬に触れると無邪気な笑顔を作り、体を起こして外に出た。

 まだよく働かない体を伸ばして風に当たる。毎朝少女がやっている事だが、外に出た途端。さっきまで笑顔だった少女の顔が固まった。

 普段は誰もいない廃墟なのだが、外に出た少女が見たのは迷彩服を着た二十代ほどの男だった。つんつんした頭と、黒いブーツ、腰に巻かれたホルスターには拳銃がおさめられていた。手を後ろで組み、自然体でいるが男は妙な威圧感を常に出している。

「ようやくだ……」

 男はふっとため息をつくと、少女にしっかり目の焦点を合わせて嫌な笑みを浮かべた。

 その眼は幼い子供ならだれでも固まってしまいそうなほど凄味があった。

「研究所と戦線に連れ戻す。来い」

 有無を言わせない口調で男は言った。

 建物の前で立ち尽くす少女に近づいて腕を引っ張ろうとするが、彼女はその手を振り払って建物の中に入って男から距離をとった。

 少女の目には少年と居た時の楽しそうな色など微塵も残っておらず、男を親の仇を見るように睨んでいた。

 男はふり払われた手を一瞥し、少女を見て笑う。

「まあそうだよなぁ。やっぱ嫌だろうけどなぁ……でも来い」

 男は少女を追って建物の中まで踏み込む。

「来ないで!」

 男が建物に足を踏み入れたと同時に少女が声を上げる。両手を握りしめ、うつむきながら叫んだ声に男は足を止め、寝ていた少年は目を覚ました。

 少年の目に映る光景に違和感を覚えた。普段は人が訪れることのないこの地に男がいる。男は少女をじっと見ていて、少女はうつむいて小さな手を硬く握っている。

「あんなに殺してきたのにこんなガキといるとはな」

「やめて!」

 少女の拳は小刻みに震えていて、男の言葉を遮るように叫ぶ。男はそんな少女を見て面白がって笑いながら続ける。

 目覚めた少年は少女の横まで走ってきたが、二人の会話には入れない。

「逃げ出す敵も追っかけて殺して、戦意のなくなった味方も一緒に……」

「嫌だ! やめて! 言わないで!」

「殲滅作戦の時は泣き叫ぶ奴らの言葉なんて無視して――」

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌あああああああああああっ‼」

 握った拳を振り上げたかと思うとそのまま頭を抱えて地面にしゃがみ込んでしまった。曲げた膝に顔を当てて少女は「嫌、嫌……」とつぶやく。小さすぎて風に流されそうな小さな声だったが、少年だけはしっかりと聞き取った。 

「あっはっは。何で嫌がるかなぁ? あの時はあんなに楽しそうにやってたのにさぁ」

 膝から太ももにすっと流れた一滴の雫。少女は自分が泣いていることに気が付いていないかもしれない。だが、少女の傍らにいる少年だけは分かっていた。

 少年はしゃがんで右手を伸ばすとそっと少女の頭に手をのせた。

 その手に少女と出会ったころの冷たさはなく、心地よい温かさが少女の気持ちを少しだけ落ち着かせた。

「ほー、あんだけ殺してきたのに自分だけ逃げるとはいいもんだなぁ」

 男が皮肉めいた言葉を放つ。すると、これまで黙ってた少年が手を少女から離して男に体を向けて立ち上がった。

 少女が離れた手を見上げた時には少年は横にはいなかった。

 まっすぐに男に向かって走って体をぶつける。いやぶつけようとする。

 男はそれを一歩体を引いて避けると左足で少年の足を払った。バランスを崩した少年は勢いに任せて顔から地面にこけてしまった。

「なっ……!」

「おっと動くな」

 こけた少年に駆け寄ろうとした少女を男が制す。男の右手には銃が少女に向けて握られていた。

 少女は顔をしかめて立ち止まるが男にさっきとは違った強い口調で言った。

「脅し? 銃なんて私には効かないっ!」

「ああ、もちろん知ってるぜ。それこそATM(対戦車ミサイル)くらい用意しないとな。だからさ……」

 男はあいていた左手で地面に突っ伏した少年の首を掴むと、少女に向けて持ち上げた。苦しそうに喉を抑える少年に右手に持つ銃を押し当てる。

「これでどうだ?」

「え……?」

 銃は少年のこめかみに当てられ、首は腕で掴まれて少年の足は地面に届いていない。しばらくたてば窒息してしまうだろう。

「おーおー、苦しそうだなぁ。息がうまくできないかぁ。窒息しちゃうかなぁ?」

 男は少年の首を掴んだ左腕を上げて足を地面につかないようにする。少年は首を抑えながら足をばたつかせるも男には届かない。

「やめて! 死んじゃう!」

「んー、聞こえないなぁ。俺はお前を連れ戻すためにここまで来たんだけどなぁ」

 男は右手に持った銃を少年のこめかみにぐいぐい押しつけて「こいつはいつでも殺せるぞ」と続けた。

 少女にはもう選択肢なんてなかった。数日の間だけだったが、怖気なく少女と一緒にいてくれた少年の苦しむ姿なんて見たくなかった。

 男を殺すことなど少女にとっては銃の引き金を引くことより簡単なことなのだ。しかし、少年を人質にとられている今、下手をすれば二人とも殺しかねない。

 少年が死ぬ。

 それは少女にとっては自分が死ぬことよりも辛い苦行でしかない。男の言いなりになるのは嫌だが背に腹は代えられない。

 少女は顔を上げて乱れた髪の隙間から除いた目で男を睨みつけて言った。

「行く」

「ん、何だ? 小さくてよく聞こえないぞ」

「戻る。研究所に戻る……だから……」

「おーけーおーけー。放してやるよ。その前にコレ……飲みな」

 少女の前に小さな錠剤が一つ投げられた。

 男は少年を地面に下ろす。少年は障害がなくなった喉にいっぱいの空気を通して肺を満たす。しかし、少年のこめかみには銃があてられたまま。

「即効性の睡眠薬だ。飲めば十秒で倒れる強力なやつさ。連れてく途中で暴れられると困るからな」

 目の前に転がった小さな白色の丸いそれはそんな強力な物には見えないが、男が言っていることは本当だろう。

 つまり、飲めばもう少年と会えなくなる。

 そう思うと少なからず、いやかなり大きな躊躇いが出てくる。

 少女は地面に落ちた錠剤をつまんで少年に顔を向ける。

「私ぜったい……」

 頭の中で必死に言葉を探してもう二度と会う事のないだろう少年に自分の気持ちを伝える。

「忘れないよ」

 悲しさと悔しさと、それでも笑っていたい気持ちが混ざり、とぎれとぎれにしか言葉を紡げない。

「……ちょっとの間だったけどね」

 それでも必死にぐちゃぐちゃになった頭の中の気持ちを口に出す。

「楽しかった」

 いつしか少女の視界はぼやけてはっきり少年を見られなくなっていた。少年には少女が何を言っているのか全く理解できない。ただ耳に届く少女の気持ちを聞く。

「まだ言ってなかった……私の名前は―――だよ」

 最後の言葉だけは聞き取れなかった。いつしか少女の頬に雫が再び流れるようになった。今すぐ少女の隣に言ってやりたい少年だが、こめかみに当てられた銃と掴まれた腕がそれを許さなかった。

 なにかを言おうにも、それすら少年にはできない。気が付けば少年が今までに何かを口にすることなど一度もなかった。

 少年はその方法を知らないのだから。

「じゃあね」

 最後に少女はそう言うと全てを振り切るように手につまんだ錠剤を口に放り込んだ。

 数秒後、少年の目の前にいたのは楽しそうに笑う少女ではなく、地面にうつぶせに倒れた少女だった。風が砂埃をまき散らして少女の髪を浮かせども、少女は死んだように動かない。……いや、本当に死んでしまったのかもしれなかった。

 立ち尽くす少年を差し置いて、男は少女を肩に担ぐと少年を無視して外に出ていった。外にはサイドカー付きの黒を基調としたオートバイが止まっており、男はサイドカーに少女投げ入れるとシート下トランクからロープを取り出した。それで少女の体を縛ると、ポケットからキーを取り出してエンジンをかけた。

 倒れた少女が信じられなくて、そばに少女がいないことを認めたくなくて、少年は動くことができなかった。

「運が悪かったんだよ、お前は」

 男は少年にそう言うとアクセルを踏んで少年がとめる暇もなく走り去った。

 後に残ったのはバイクがまき散らした砂埃と排気ガスの息苦しさだけだった。

 もちろん少年の隣には誰もいない。

 廃墟で立ち尽くす少年の頭上は重たい雲で覆われていた。やがてぽつぽつと小さな雫が地面に落ち、それは次第に勢いと量を増していった。

 さっきまでバイクがあった場所を見つめる少年に容赦なく雨粒が叩きつける。

 少年の濡れた頬に流れる雫は雨なのだろうか。

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