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鋼の火  作者: 古代紫
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倉庫の中

 透き通るような雲一つない空。日の照らす時間がだんだんと短くなっていく今日この頃。今日もいつも通りの訓練。教官の指示や怒声が飛ぶ中、与えられたメニューをこなしていく少年兵たち。戦武会の興奮はもうどこかに消えて訓練に精を出している。

 黄土色の迷彩服の集団の中、ラーファは周りと同じように体を動かしていた。機械のようにぶれなくいつも通りキチンと体を動かす。機械のように与えられたメニューを淡々と消費する。


 ラーファの胸の内は空っぽだった。空虚だった。いや、その言葉すらないのかもしれない。本当に、言葉すらないほど何もなかった。


 周りの喧騒がなぜだかものすごく遠くのさざ波のように聞こえる。耳に届く前に消えてしまいそうなくらい遠くにあるような音。

 一緒に訓練する子たちの動きもなぜだか現実感がない。まるで自分以外すべて切り取られてどこかに行ってしまったような感じだ。……いや、自分だけ世界から切り離されたような感覚だ。

 目に見えない薄い透明な膜がラーファの周りを囲っていて、外の世界とは別次元に飛ばされたような感覚。どこか、体が覚えている感覚だった。


 沈んでいく。体が真っ暗な冷たい海に沈んでいく。冷たくて、自分だけは締め付けられるくらい温かい感覚の海に沈んでいく。自分だけの、一人ぼっちの世界に沈んでいく。


 だれもいない。自分だけの真っ暗な冷たい世界に。


 ラーファは戦武会の最終戦で銀髪の少女が言った最後の言葉を思い出した。彼女から聞こえてきたのは、別れを告げる一言。それはラーファの心が沈んでいくのには十分すぎるきっかけだった。


 悲しそうで、全てを諦めたような顔でささやいた。彼女の腰まで伸びた美しい銀髪がはらりと落ちる。絹のように軽い髪は命が吸い取られたかのような軽さだった。彼女の目には少しだけうるんでいて今にも泣きそうな顔だった。


『さよなら』


 彼女の言葉が頭の中で反芻される。戦武会最後のあの言葉。思い出すたびに、心が締め付けられるように苦しくなる。一人ぼっちの海に沈んでいく。


 この軍に来る前の町で過ごしていた時と同じような感覚だ。

 雪に覆われた町。少女と出会った町。汚物を見るような目で見られ、空気のようになんでもないように扱われ、理不尽な暴力を受けた日々。

 これは、あの日と同じだ。道の片隅で膝を抱えて、手足が冷たいのが普通で、何も考えられなくて、周りには誰もいない一人ぼっちで……心すらない空っぽな日々。

 自分がなぜここに居るか分からず、どうして動こうとしないかもわからない。もしかしたら自分だけが別の世界に居て、いつまでも一人ぼっちでいるんだ。


 今はその感覚と同じだ。少女と出会う前の状態に戻っただけ。あのころはあれが普通だと思っていたんだから、元に戻ったとしても何もない。普通に生きていくだけ。むしろ、食事と寝床がある分、今の方がずっといい。今の方がずっといい。これでいい……前よりずっといい。


 この方がいい……そう思っているはずなのに、少年の心はずっと苦しいままだ。何もなかったようにあのころのように何も感じなければいいだけなのに、それができない。


 忘れてしまえば、何もなかったことにしてしまえば、嫌いになってしまえば、この辛さから逃れられる。けど、できない。辛い、切ない、空しい、空っぽ、寂しい……けど、それでもあの子が愛おしい。


 訓練が終わり、ラーファは食堂で静かに夕食をとった。近々他国を攻めるための遠征隊を編成するとか、テオが戦武会の後、上官に呼び出されて姿が見えなくなったとかいろいろな話題が飛ぶ中、ラーファは黙って夕食を口に運ぶ。

 すると、隣の席にクラリスが着いた。ラーファのパンを運ぶ手は一瞬止まったが、すぐに食事を再開した。クラリスもラーファを一瞥するだけで何もしなかった。

 しばらく静かな食事が続き、ラーファは食べ終わったのでトレーを下げようと席を立つ。


「ラーファ、話があるから掃除の時間にあの倉庫に来て」


 クラリスはそれだけしか言わなかった。ラーファは一瞬足を止め、何もなかったかのように食堂を後にする。


 掃除の時間は夕食のすぐ後だ。夕食を時間までに済ませば少しの猶予時間はあるが、誰も遊ぼうなんて思はない。せいぜい早めに掃除場所に行って体を休めるくらいだ。

 ラーファは自分の掃除場所に行く前に、周りの大人の兵の目を気にしながら見つからないようにクラリスに言われた倉庫を目指す。掃除場所が倉庫であれば隠れながら行く必要はないのだが、倉庫の掃除は何日かおいてやる。今日は倉庫の掃除の予定はないので、誰かに見られたら不審がられる。


 周りに誰もいないことを確認して扉を開けて倉庫に入る。電灯をつけるが、薄暗い光では倉庫の細かいところまでは見えない。だが、同時に光が外に漏れる心配もしなくてもいい。外の廊下の蛍光灯の光に塗りつぶされるだろう。

 倉庫の端っこに座ってクラリスが来るのを待つ。正直、彼女に呼び出された理由が全く分からない。背中を壁に預けてクラリスが来るまで目を閉じて待つ。とても静かに時間が流れ、外には人の気配がしない。

 でも、もうどうでもよかった。

 脱力感だけに体を支配されたラーファの意識は深い暗闇の中にゆっくり沈んでいった。


◆◇◆◇◆◇


「起きなさい」


 突然の頬の痛みに目を覚ます。目の前には緑色のリュックサックを背負ったクラリス。目を吊り上げていて頬をつまむ手の力はちょっと強い。


「起きた?」

「……怒ってる?」


 感じたことをそのままクラリスに聞いてみる。怒ったことのないクラリスを目の前に、ラーファは戸惑いの色を隠せない。

 クラリスはリュックサックを床に置き、自分もラーファの目の前に座る。目は鋭く尖っていて明らかに怒っている感じだった。


「当たり前よ。戦武会の時あたしが言ったのはいったいなんだったのか……」

「……ごめん」


 言葉だけで謝る。声には覇気が全くない。力のない“音”だけの声だった。

 投げやり。今のラーファにはその言葉が一番合っていた。少女からの『さよなら』を聞いた後、ラーファはずっとこんな調子で、クラリスに言われるまで戦武会でのクラリスとの倉庫の会話はすっかり忘れていたのだ。


「あの時のあなたにはやることがあった。やりたいことがあった。だから戦武会をあんなに頑張ったんでしょ?」

「…………たぶん」


 曖昧にしか答えられない。そうだった気もするが、そうじゃなかった気もする。たとえそうだったとしても、今では意味のないことなのだ。


「最終戦で何かあったのね?」

「……うん」


 確かにそうだ。最終戦であの子と戦って、自分が勝った。まだ使ってはいないが、『願いをかなえてもらう権利』も勝ち取った。けれど、大事なものも失った。

 かけがえのない、ずっと追い求めてきた……やっと会えた少女からの『さよなら』に、心は荒んでしまった。


「……あなた、もう何もやりたくないの?」


 顔を下に向けて、フルフルと首を横に振る。そして、ゆっくりと口を開いた。


「僕はずっとあの子に会いたかったんだ。ここにきて、あの子がいるって分かったからいつかは会えるんじゃないかなって思ってた。そして、戦武会で『願いをかなえる権利』を使ってあの子に会おうと頑張った。けど……最終戦の相手があの子で……試……合の最中……ぅ……『さよなら』ってい……って……」


 言葉を紡ぐにつれて嗚咽の声が混じり始めた。肩が震え、涙声になり、言葉もとぎれとぎれになる。クラリスは黙ってラーファの話を聞きながら、じっと彼の目を見つめていた。


 時々言葉を詰まらせながら、何とか自分の中のこれまでの気持ちと出来事を話す。


「で、結局あなたはどうしたいの?」


 すべてを話し終えた後、クラリスは強い口調でラーファにぶつけた。

 ラーファは言葉を詰まらせ、答えを探す。頬に一滴の雫が流れ、体重を壁に預けてぐったりとしたまま考える。


 どうしたい? 僕はどうしたい? でも、あの子の言葉じゃ……僕は……。


「……なんにもできないよ」


 考えるのをやめた。もうどうでもいい、どうなってもいい、どうにもならないんだから……。


 バシッ


 乾いた音が倉庫に響いた。頬が痛むし、ちょっと熱い。


 バシッ


 さらにもう一発、反対側の頬をクラリスが叩いた。それでも俯いたままのラーファの顔を乱暴に掴んで上を向かせる。髪を引っ張られ、胸ぐらをつかまれたラーファは苦しさなど顔に出さなかった。ただ、目にいっぱいの溢れんばかりの涙を溜めるだけ。

 ラーファは口を半開きにして、何かを言おうとするが結局何も出てこない。涙の貯まった黒い目でクラリスを見つめる。


「ふざけるな! 何にもできない? そんなこと聞いてるんじゃない! なにをしたいかって聞いているの!」

「でも……あの子は……」

「でもじゃない! 人の事なんてどうでもいいんだ! 私の事なんて考えるな。B班の他のやつらの事も気にするな。あんたが一番会いたがっている子の気持ちも考えるな! あんたの願いを吐き出せ! そのために戦武会をがんばったんでしょう!?」


 ラーファを地面に投げて、クラリスは肩で息をする。赤毛が少し乱れて怒りのあまり髪が逆立っているみたいだ。

 ラーファは地面に倒れたまま、動かない。ふぅ、と息を吐いたクラリスが歩み寄って、少年の顔を上げた。


「言ってみなさい。あんたの願いを」


 目こそ鋭く吊り上っているが、諭すような優しい口調のクラリス。真っ直ぐな瞳に、ラーファの中からたまっていたもの全てがあふれ出そうになる。それは今日だけで積もったものじゃない。ずっとずっと長い間溜めていた気持ちと、ごちゃ混ぜになったわけのわからない感情が一緒になって、涙のように一気に吐き出される。


「本当は……あの子にもう一度……会いたいんだ。ずっと……ずっと、一緒に……い…………た……い。ずっと、ずっと…………」


 顔をぐしゃぐしゃにして泣きながらラーファは自分の本当の気持ちを表に出す。


 会いたいだけじゃないんだ。廃墟で一緒に過ごした時間が忘れられない。あの温もりが忘れられない。ずっと一緒に居たい。誰が何と言おうと……ずっと一緒に居たいんだ。


「ひっ……ぅ……うわぁぁああああぁぁん」


 自分の気持ちを表に出した途端、今まで抑えてきたごちゃ混ぜの感情が一気に押し寄せてきた。積もりに積もっていた気持ち、そして『さよなら』で崩れた気持、脱力感の中で押さえ込んでいた気持ち。

 抑えきれないで津波のようになだれ込む感情の中、ラーファは泣いた。生まれて初めて……声に出して泣いた。廃墟に居た頃はどんなに寒くても、どんなにお腹が空いても、どんな暴力を浴びせられても泣いた事は無いのに、後から後から涙は出てくる。


 そんなラーファをクラリスはそっと前から抱きしめる。背中をさすって落ち着かせようとする。ラーファは彼女に抱かれたままただ泣いた。

 やがて、ラーファが少し落ち着いたところでクラリスが口を開いた。


「あなたのその願いをかなえる手段はあるわよ。最終戦のあの子に会いたいんでしょう? 普通に教官に行ったんじゃたぶん……A班のテオドールと同じところに連れて行かれるから駄目」

「ひっ……どうやって……?」

「明日……あなた、自分の力で会いに行きなさい。この紙に……その子がいる場所と、そこまでの道を書いておいたわ」


 クラリスが差し出した紙を受け取る。もう、涙は止まっていた。涙は引いていき、だんだんと澄んだ黒い目に代わっていく。


「こっそり調べておいたの。それに、明日は遠征隊の編成会議があるからこの塔……国全体の警備も薄くなる。『願いをかなえる権利』を使って明日の訓練をオヤスミにして、昼間のうちに実行しなさい」


 早口で言うクラリスの言葉にラーファはしっかりとうなずいた。そろそろ掃除の時間が終わる。掃除が終わったらすぐに部屋に戻らないといけないので、自然とクラリスの言葉は早くなる。


「あと、実行する前に、このリュックサックも持って行きなさい。明日の事と……それからの事に必要なものが入っているわ」

「ありがとう」


 顔を上げて、礼を言うラーファの頭をそっとなでて微笑むクラリス。そして、立ち上がって倉庫から出ていった。


「あんたならできるわ。がんばりなさい」

「うん。ありがとう」


 倉庫を出るクラリスに微笑み返す。ラーファもしばらくしてからリュックサックを倉庫に見つからないように隠し、紙だけ持って外に出た。周囲の気配に気を配りながらB班の部屋まで戻る。ナコルとアルにどこに行っていたか問い詰められたが、生き生きとなったラーファの変化に気付き、深くは追及しなかった。


 翌朝、ラーファは食事の前に教官に今日は一日休むことを伝えた。これで『願いをかなえる権利』はなくなったが、それはもういらないだろう。教官からの許可はすぐに下りた。本当に一日休むだけで「願いをかなえる権利」を使うのはいいのかと聞かれたが、それでもいいと答えると教官は何も言わなかった。


 そして、朝食……まずい食事をとり、少年兵たちが外のグラウンドに足を運ぶ中、ラーファは誰にも見つからないようにリュックサックの置いてある倉庫に向かった。

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