vsテオドール
右から首を狙って横へ一閃されるナイフを体を後ろに傾けて避ける。足を後ろに運んで距離をとろうとするが、それを許さない突きが脇腹や肩を狙って繰り出される。体をひねってナイフを避け、相手の突き出された腕に向かってナイフを振るう。しかし、それは引き戻されたナイフによって防がれ、相手は後ろにステップして後退。
ラーファは下がった相手に向かってナイフを突き出す。避けられるが、そこからの腕をひねって振り上げてそこから三撃目を振り下ろす。
攻めを止めてはいけない。止めたとたんに相手の力が一気になだれ込んでくる。攻めさせてはいけない。受けに回ってはいけない。
ラーファの頭に朝食時のナコルの言葉がよぎる。
『テオは……強かった』
悔しそうに、歯を握り締めてナコルは言っていた。その一言以外、今日はナコルの声は聞いていないのだが、彼の言いたい事は伝わった気がした。
勝て……と。
呼吸を整えて、腰を落とし、じっと待つ。テオも右手にナイフを持って、いつでも動ける姿勢でラーファの出方を探っている。
ふっと息を吐き、ラーファは地面を蹴る。肩口を狙って振り下ろしたナイフは避けられ、ラーファの左腕に向かってナイフが突き迫る。
「――ッ!」
ラーファは体を右に倒したが、遅かった。ナイフがかすり、小さな痛みが腕を走る。
テオの伸びきった腕からは次の攻撃は出しにくい。ラーファはテオの腹を蹴って、反動で自分も後ろに下がって再び距離をとる。
「なんだぁ? 思ったより強くねぇな。こんなもんか?」
蹴りだけではテオは倒れなかった。後ろに跳んで再び腰を落としてナイフを振っている。まだまだ余裕なようだ。
強いけどやらなきゃいけない。
「ナコルも腕を落としたのかのかな? あんなに弱くなかったんだけどなぁ」
走り出そうとしたラーファの足が寸前のところで止まった。
「村に帰りたいから願いを叶えるために優勝するって言ってたのにな。たいしたことなかったわ。あいつの思いはだいぶ弱かったぞ」
フィールドの周りの五番隊の少年兵達が声援を送っていて騒がしいはずなのに、テオの言葉ははっきりと聞き取れた。
余裕たっぷりの表情で、テオは叫ぶ。
「だいたい、村に帰りたいとか言いながら他の奴の心配ばっかしてんじゃねぇか! 他の奴なんかを気にしてっから負けんだ……よっ!!」
テオが地面を蹴り、ラーファにナイフをのばす。ラーファはナイフで上に弾いて体を落とす。しゃがんだような姿勢のままテオの足をめがけてナイフを薙ぐ。
当たる! 足にダメージがあれば満足に動けない。これは訓練だが、ラーファの中に斬ることへのためらいはなかった。やらなければ自分が負ける。そのつもりで戦わないと絶対に勝てない。自分の願いを叶えるため、ずっと思い続けている子に会うため……絶対に勝つ!
ラーファのナイフがテオに左足に迫る。周囲の喧騒も聞こえない、自分のナイフしか見ていない。だからだろうか? ラーファは忘れていたのだ。ナコルに勝ったテオがこんなところで倒れる人間じゃないってことに。
瞬間、ラーファの視界からテオの足が消えた。横に振るナイフは空を切り、ラーファが顔を上げる前に大きな衝撃を受けた。
テオの蹴りがラーファの顔を捉え、後ろに吹っ飛ばされる。地面を転がりながらも体勢を立て直し、顔を上げてナイフを握り締める。が、それも遅い。テオは既にラーファの目の前にまで迫っていたのだ。
反射的のラーファの目はテオの右手のナイフに向かう。そのときに一瞬だけ見えたテオの顔は……必死だった。ナコルやアル、クラリスとはまた違った顔。すべてを捨ててでも勝ちを掴みに行くという顔。
「俺はなんとしても勝つ。自分の村なんてどうでもいい。勝ち上がって、俺の力で戦争を終わらせてやるんだ! 俺が世界を手に入れる!」
「ぅ……」
「甘すぎるお前らに負けるかぁああ!!」
「ぁ……なっ!?」
ナイフを持つテオの右手は……動いていなかった。いや、動く様子がない。体の後ろに引いていて、そこからナイフを振ろうという気配もない。
しまった。と思ったときは既に、テオの足が伸びていた。腹でも顔でもない、右手……ラーファの持つナイフに向かって。
鈍い痛みに腕がしびれる。思わず放してしまったナイフはそのまま放物線を描いて床に落ち、滑ってフィールド外に落ちてしまった。
「ナイフだけを使うんじゃ……ナイフ術とはいえないぜっ!」
ラーファのナイフはフィールド外。アルのように予備のナイフは持っていない。そして、テオの右手は銀色に光るナイフ。
ラーファの銀色の髪が揺れ、一瞬だけ焦りの表情が見えた。
「終わりだ……」
テオが勝ち誇った顔で告げ、右手をラーファに振り下ろす。
前髪に隠れていた黒い目が迫り来るナイフを捉えたとき、から周囲が消えた。皆の声援、足音、審判の存在……すべてが消えて、ラーファとテオしか世界にいないような錯覚に陥る。
静かな世界の中、迫るナイフ。
焦っている気もしたが、心のどこかは落ち着いていた。何もないかのような不思議な世界で、銀色の髪の隙間からじっとナイフを見つめる。そのナイフすらゆっくりと動いているように見える。
どうする? 後ろに跳んで……いや、追撃される。横もだめ、ナイフがないから弾けない。
ラーファは目の前のナイフに向かって地面を蹴った。そのとき、テオの顔は『殺してはいけない』というルールを無視した、勝利の喜びの顔で満たされる。
違うよ。僕だって負けるつもりなんてないんだ。
君と同じ、勝つつもりで僕はここで戦っているんだ。
迫るナイフの勢いは止まらず、ラーファはそれに向かって地面を蹴り、体を跳ばす。目の前に迫るナイフ。静かな世界。そして……胸の中で膨れ上がる気持ち。
絶対に勝つ!
テオのナイフは空を切った。ラーファの左頬をかすめてテオの腕は伸びきる。そのとき、テオの顔が驚愕の色に染まり、悔しそうに唇を噛んだ。
ラーファは軽く頬を歪ませて、小さな声で言った。
「僕の思いも強いんだよ」
少し緩んだ口から漏れた言葉は、テオに耳に届くだけでなく、ラーファの心にもすとんと落ちた。
あぁ……こんなにも思っているんだなぁ。どこにも間違いのない、嘘偽り無い本当の気持ちがここにあるんだな。
ラーファは伸びきったテオの右手を肘の裏で挟み、手首と肘を掴む。テオはラーファの腕のせいでナイフを動かせない。ならば、と足で蹴りを入れる前にラーファのほうが早く動いた。掴んだ腕を大きく動かしてテオの背中の後ろに回し、肩をねじらせる。
関節技を決められたテオは思わずナイフを落としてしまった。ナイフは土のフィールドに刺さった。そこはラーファの足元。
ラーファはそのまま掴んだ腕を落とし、肩を曲げる。痛みに背中を逸らすテオに、ラーファは腕を放した。テオが距離をとろうと地面を蹴る前に、ラーファは体を落としながら片足を横に薙いだ。テオは避けられず、足払いが決まり、地面に倒れた。
「ちぃ! 俺がここで負けるかぁあ!」
テオは叫びながら体を上げる。地面に体を打ったが痛みなど気にしない。すぐさま格闘術で反撃しようとしたテオの体はすぐに止まった。
目の前のナイフ。自分の顔面に突きつけられたナイフ。ナイフを突きつけて小さく笑う少年。
「僕の勝ちだよ」
ラーファが言ったとたんに沸きあがる歓声、教官の試合終了の合図。
テオは目の前のナイフをまじまじと見つめたが、やがて大の字になって倒れた。
「は、ははは……お前の“思い”のほうが強かったってことか……負けちまったははは……」
手足を伸ばし、乾いた声で笑うテオの横にそっとナイフを置く。そして、フィールド外で見ていたナコルとアルのところへ。落ちた自分のナイフを受け取って、食堂へ向かう。演習場を出る前、チラッとフィールドを見るとテオがラーファを見て笑っていた。
『まだ俺はあきらめない。もっと上へ昇ってやる!』
自分の思いを叫んでいるように笑っていた。
ラーファは演習場から出て、食堂へ歩を進める。テオは自分の願いを叫んではいたが、どこか純粋ではない、歪んだ色をしているような気がした。
一時間後には最終戦がある。いつも通りのまずいスープを流し込んで、一時間後に備える。
気持ちはもう一つだ。しかも、はっきりしている。自分の願いはこれまでよりもずっと大きくて、ずっとはっきりしている。最終戦に勝って自分の願いを叶えてもらう。
迷いはない。
食べながら、さっきの試合のことをいろいろしゃべるアルと、一言「がんばれ」と言ってくれたナコル。クラリスは黙ってこちらに微笑みかけてくれた。
試合までもうすぐだ。立ち上がり、食器をカウンターに戻してから演習場に向かった。
自分の願いまであと一歩。あと一戦。あと一勝。
心臓は落ち着いていている。一定のリズムを刻んでいる。演習場に近づくにつれて観客の喧騒が大きくなっていく。
腰のナイフケースをそっとなぞると、確かにある自分の願いへの切符がそこにあった。このナイフで勝ちをとりに行く。テオの試合の時のように手放したりなんてしない。
閉じた演習場の扉の前で深呼吸。
最後の試合。これで……自分の願いは果たされる。ずっと思い続けてきたあの子に会える。あの寒い空の下で、何もない自分に触れた暖かい手をまた握れる。初めて向けられたあの笑顔にもう一度会える。
誰が相手でも負けない。なにが何でも勝つつもりで僕はここにいるんだ。
そして……勝ったらもう一度……。
早まりそうな心臓を落ち着かせ、ラーファは演習場の扉をゆっくり開けた。金属の軋む音と共に演習場の喧騒が一気になだれ込んでくる。
だが、そのざわめきは今までとは少し違った。今までは試合の行方を楽しみにしながら試合を待つ。自分は誰と当たるのか? どちら勝つのか? それこそ、スポーツを見るような雰囲気だったのに今は少し違う。
疑問符が浮かび上がっているような、何かを噂するような、静かなざわめきだった。皆は近くの人と話しながらちらちらとフィールドを見ている。信じられないような、何かを疑うような視線で。
違和感を覚えたラーファは、演習場の扉の前からフィールドに目を向ける。
瞬間、心臓が飛び跳ねた。
一歩一歩、ラーファはゆっくりとフィールドに向かう。土のフィールドに立ってナイフを抜き、改めて最終戦の相手を確認する。
流れるようにさらさらとした銀髪。ところどころ汚れた白いワンピース。細い腕と足。吸い込まれそうな瞳と、右手に持つのはラーファが持っているのと同じナイフ。
見間違えるはずがない。
何度も思った人。温かい笑顔を向けてくれた人。自分の願いそのものである大好きな人がそこにいた。
対戦相手の少女はナイフを持って構えた。いつでも動けるような……いつでも戦えるような体勢をとって、じっと試合開始の合図を待つ。
そして……。
「これより五番隊B班、ラーファ、特別機動隊隊長、ミルの試合……戦武会の最終戦を開始する! では……はじめ!」
ラーファの気持ちを置いたまま、最終戦が始まった。




