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鋼の火  作者: 古代紫
15/39

vsクラリス

 アルとのナイフ戦の翌日。

 ラーファは塔の外に出てナイフを振っていた。朝食をいつもより早く取った後、決勝トーナメントが始まるまでここでナイフを振っているつもりだ。

 昨日のアルとの試合。ギリギリの戦いだった。確かに規定には無かったがナイフを二つも使うことには驚いた。しかし、それ以上のアルの動き、ナイフ裁き、身のこなし。戦場でおびえていた小柄な男の子とはまったくの別人だと思わせる姿だった。

 元からナイフ術を心得ていたわけではない。アルの強さの源はすべて、彼の思いだ。強い強い自分自身の願いへの思い。誰のためでない自分のための願い。その強さが彼を強くした。

 ナイフが空を切る。今日の空も青い。雲はどこか遠くに流れていき、青いペンキをぶちまけたかのような青しかない空。

 ラーファはナイフをケースにしまい、腕を伸ばす。背も伸ばして精一杯体を天に伸ばす。血液を体の隅々にいきわたらせて、力を抜く。

 そろそろ第一試合だ。第一試合はラーファとクラリスの試合。遅れると不戦敗になるので走って演習場へ向かう。

 塔の入り口でクラリスが壁に背を預けて立っていた。


「ずいぶん熱心ね。私はこんなに何もやっていないというのに……」


 赤毛の少女はそういって微かに笑った。

 ラーファは無視してクラリスの前を通り過ぎ、まっすぐ演習場に向かう。ラーファの後をクラリスも走る。

 塔の中の廊下を蹴るたびに空気が一定のリズムで鼓膜を震わす中クラリスはラーファに話しかける。独り言をつぶやくかのように一方的に。


「そんなに叶えたい事があるの?」

「うん」


 短く答えても、足は緩めない。クラリスはかまわずラーファに話し続ける。


「わたしもね、願いはあるよ? 叶えたい事は……」


 瞬間全身の毛が逆立った。クラリスの発しなかった言葉は心臓を鷲掴みするかと思うほどの殺気で満ちていた。

 すべての汗腺から冷や汗が吹き出たかと思うほどの寒気。ラーファは立ち止まり、クラリスに体を向ける。邪気の無い素直な笑顔でクラリスは笑っている。曇り気の無い透明すぎる笑顔。

 けれどラーファはまたすぐに演習場へ走り出す。

 考えない。考えちゃいけない。何も考えずに、自分の思いだけを持っていればいい。大切な願いを強く思っておくだけでいいんだ。

 演習場にはすでに五番隊のほとんどの少年兵たちで埋め尽くされていた。決勝トーナメントを見ようと集まっているのだ。クラリスや、ナコル、テオを応援するものは数多くいるが、ラーファを知っている子供は少なかった。


「ではこれより、戦武会決勝トーナメントを始める! 第一試合、B班ラーファ。同じくB班クラリス。フィールドに上がれ」


 教官の声が演習場の空気を隅々まで震わし、一瞬静かになる。しかし、沈黙は歓声となりラーファとクラリスはフィールドに上がった。

 定位置についてナイフを抜く。腰を低くして姿勢を整える。だがクラリスはナイフを抜くだけで自然体でいた。


「はじめっ!」


 先手必勝。自然体でいたいのならそれでいい。相手がそうだからといって手加減なんて一切しない。クラリスの左腹に向けてナイフの切っ先を刺す。

 だが寸前でラーファの右手は止まる。クラリスに右手を掴まれた。それと同時に彼女のナイフがラーファの肩でも頭でもない、掴んだラーファの右手に銀色が迫る。

 避けられない。掴まれた手は離れず、銀色に光るナイフが迫る。ラーファは左手を伸ばしてクラリスの手を止める。しかし、ラーファの手が触れる直前にクラリスの手は動きが変わった。ラーファの左手を避けるようにして右手に迫る。空気を裂く音の中、ラーファの指先がクラリスの手を捉える。力の入りにくい指先に精一杯の力を一瞬込めるが大きな軌道修正はできない。

 クラリスのナイフはまっすぐラーファの手首を捉える。とっさの軌道修正だったのだが、ナイフはラーファの腕は重い手錠で防がれた。短い金属音がして、ひるんだクラリスの手から抜け出し、後ろへ飛んで距離をとる。


 強い。技術もとっさの判断も速さもどれをとってもクラリスはすごかった。しかし、それ以上にある強すぎる思い。

 その思いだけで生きているのかのように一色にクラリスを染めた思い。

 けど、思いの強さなら僕も。


 クラリスは自分から向かってくる素振りは一切無く、両手をだらりとさげて力を抜いている。 

 ラーファは軽く息を吸い込み、軽くナイフを振る。空気を切る音が耳をなでる。そして、クラリスに顔を向ける。

 すると、だんだんと観客の声が聞こえなくなった。過度の集中による自分だけの世界。自分、ナイフ、クラリス、クラリスのナイフ。

 ラーファは少しひざを曲げ地面を蹴って一気に間合いをつめる。そして、ナイフを一線。左肩から斜めに振り下ろす。金属と金属がぶつかる音がしてラーファのナイフははじかれる。だが、ひるまず二撃目。クラリスの上がった右腕を狙ってナイフを伸ばす。クラリスは右腕を曲げてナイフを避け、そのままラーファ向けてナイフを突く。こめかみを狙ったナイフを体全体を横にずらして避ける。

 伸びきったクラリスの腕を横に押しのけて、吐息がかかりそうなほどまで間合いをつめて、クラリスの首元にナイフを当てる。


「僕の勝ち――ッ!!」


 勝利を確信したラーファの首の後ろの冷たい感覚が背筋を凍らせた。クラリスの首にナイフを当てたまま固まるラーファにくすりと小さく笑う。笑うクラリスの右手はラーファの首の後ろでナイフを握っていた。


「どっちが早く切れるかしら?」


 恐れなどまったくない。まじりっけの無い笑顔でクラリスは言う。

 首の後ろから伝わる金属の冷たさがじわじわとラーファの心を揺さぶる。考えなかった、でも当たり前にあるこの気持ち。


「前に話したわよね? 戦う理由」


 ナイフを動かさずにクラリスはささやく。ナイフをお互いの首に当てたまま動かない選手に観客は固唾を呑む。物音一つしない静かな演習場の中、クラリスはラーファだけに聞こえる小さな声でささやく。


「死にたくないから戦うの? 今……あなたは死にそうよ?」


 クラリスはナイフの腹をラーファの首にゆっくり押し当てながら問いかける。ラーファは何も答えない。


「死にたくないの? どうしてほしいの?」


 彼女の言葉がラーファの頭の中を支配する。

 ラーファは言葉をつむごうとした開きかけの口を閉じた。


 死にたくない。死にたくない。何がなんでも死にたくない。動かないはずだった願いがじわじわと犯されていく。

 殺される。恐怖が手の力を奪っていきそうだ。ナイフを持つ手が震えそうだ。膝から崩れ落ちてしまいそうだ。心臓が大きく脈打ち、息が荒くなってしまう。


「死にたく――……」


 死にたくないという気持ちに染まった心が紡ぎそうになった言葉をラーファは必死に飲み込んだ。

 違う。そうじゃない。持っていた思いはそれじゃない! 一番強い思いはそれじゃない! 僕が望む願いはそれじゃないんだ!


「僕は……」


 染まった心からずっと持っていた気持ちを引っ張り上げる。一番大切な気持ち。恐怖につぶされそうになったこの気持ち。


「それ以上の願いがある」


 肩を震わせ、力なくやっと立つラーファ。それでもナイフはしっかりと握り、自分の気持ちを確かめるように大切に紡ぐ。


「好きな子に……会いたい」


 息を吸い込み、吐いて呼吸を整える。上下する肩とそれにあわせて動くさらさらした銀髪。かすかに湿った細い髪の間から一瞬見えた黒い目。

 クラリスはラーファの黒い目を見て、ナイフを放した。

 冷たい感覚から解放されたラーファの鼓膜を教官の試合終了の声が響いた。クラリスは離れないまま静かに笑う。


「わたしの願いは、わたしの力だけで叶えるわ」


 クラリスはラーファの手を引いてフィールドから降りて、アルやナコルに見つかる前にラーファの銀髪を指で持ち上げて額に軽くキスをした。


「おまじないよ。願い……がんばってね」


 頬を微かに紅潮させながらかわいらしく笑って、赤髪を振ってラーファから離れていった。


 次は決勝戦。

 ラーファは自分の確かな願いを感じ、クラリスの願いに言いようの無い不思議な不安を抱いた。

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