初戦
ラーファはいつもより、少し早く起きた。
別に何か理由があるわけじゃない。強いて言うなら今日から戦武会があるからだろう。
いつもの着なれた黄土色の服を着て、赤のスカーフを巻く。早く起きたので、少し時間が開いてしまった。
することがないので、少年は二段ベットの上で膝を抱えて、皆が起きるのを待つ。
『誰かに会いたいだなんてくだらない!』
昨日のテオの言葉が頭をよぎる。テオは大した意味で言った訳ではないんだろう。テオの望むことに比べれば、ほんの些細な問題なのかもしれない。
けど、ラーファの心はそれは受け入れなかった。
くだらなくなんてない。
テオの考えも間違えじゃない。それはテオの中では一番だ。けど、ラーファの中ではそうじゃない。
考えながら思い出した銀髪の少女。最初にあったのが、遠くの街の道端。雪より輝いていた銀髪と、触れるととても暖かかった手。
ラーファに初めて優しい言葉をかけてくれ、寒い風の中、一緒に居てくれた少女。
そして最後にあったのが、灰色の空の下、火薬の臭いが混じった夜の戦場。会った時から変わらない手足、とても悲しそうな涙を浮かべた目……背中に生えた大きな鋼の翼。
あの子はなぜ泣いていたのだろう? こんなにも会いたいと思ってやまないのに、戦場で会った時の彼女は泣いていた。
あの涙の意味が……解らない。
最初に会った時の少女は笑っていた。けど、戦場で会ったときは泣いていた。
五番隊野の中でも見ない少女。
そして……背中の鋼の翼は……。
部屋に起床のベルが響いた。金属と金属がぶつかり合う高い音に、部屋にいるB班の少年兵たちは目を覚ます。
クラリスもB班だが彼女は女の子なので五番隊の数少ない女の子たちの部屋に居るのでここにはいない。
「おはようラーファ。ベルの前から起きてたの?」
アルが着替えながら声をかけてきた。
ラーファはアルに顔だけを向けて、小さくうなずいた。
「相変わらず無口だね。もうちょっと喋ってくれてもいいじゃん」
頬を膨らませながら文句を言うが、もちろん冗談だ。ラーファがめったに喋らないってことは、もうB班の中じゃ当たり前の事だ。
今日から戦武会だ。最後まで勝ち続ければ、何でも願いがかなう。
そのせいか、いつもより少年兵たちの動きは早かった。いつもより少し早く、少し楽しそうに着替える。
『何でも願いがかなう』。
戦武会で優勝して最終戦に勝てばその権利が得られる。
アルの様に両親と会いたいと思っている子供は少なくないだろう。そのせいか、今日は皆顔が少しばかり緩んでいた。
「みんな! 聞いてくれ!」
ナコルが部屋の中央で着替えているB班のみんなに声をかけた。皆、手を止めてナコルのもとに集まる。
「今日から戦武会なのはみんな知ってるな。優勝して、ファイナルにも勝てば何でも願いがかなうぞ!」
期待の笑顔に顔を膨らませて少年兵たちは飛び跳ねたり、近くの者と喋ったりする。
アルやナコルと同じように両親に会いたい、自分の帰るべきところに帰りたいと思っている者がほとんどだ。ファイナルに勝てばそれが叶う。自分で掴みとれるかもしれない明るい未来があることに、喜ばない者などいないのだ。
だが、その明るい未来を掴めるのは一人だけ。
「だけど願いを叶う権利をもらえるのは一人だけだ。けど、誰が勝っても恨みっこなしだ! 誰と当っても正々堂々と戦おう! じゃあみんな……がんばるぞ!」
「「おー!」」
ナコルが腕を高く上げて言うと、皆もそれに続いて笑顔で腕を上げた。ラーファも一緒に右腕を上げる。手首の錠に巻きつく短い鎖が小さく音を立てる。
再びベルが鳴った。今度は朝食のベルだ。
着替え終わった子供から部屋を出ていき、食堂に向かう。今日は食堂には朝食と対戦表があるのだ。自分の相手は誰かと、食堂に向かう足はどの子もいつもより少し早かった。
ラーファは挙げた右腕と、それに繋がる鎖を見つめ静かに目を閉じる。
頭に浮かぶは……もちろんあの子。
ラーファは首のスカーフを結び直して食堂へ向かう。いつも以上の決意を胸に刻んで。
絶対に勝つ……と。
◆◇◆◇◆◇
ラーファが食堂に着いた時、すでに入口は人だかりができていた。食堂の入り口の横に対戦表が張り出されているのだろう。
ラーファは対戦票を見に行こうとはせずに、入り口にできた人だかりを抜けて食堂に入った。先に朝食をカウンターで受け取って、後で確認するのだろう。
適当な空席に付き、いつも通りの不味いスープと堅いパンを口に運ぶ。いくらまずくても食べられないよりはまし。そう思ってか、この食事に文句を言う人はいない。
やがて、半分を食べた所でナコルとアルがラーファの向かいの席に座った。
「あれ? ずいぶん早いね。ラーファ、対戦表見てないの?」
ラーファは堅いパンをちぎりながら首を横に振る。後で確認する予定だったから、もちろん見てない。
「僕はグループHだったよ。僕以外にB班の人はいなかった」
「俺はグループXだった。出番が最後だ……。B班のやつは一人いたが、手加減はしないな」
アル、ナコルの順に応える。ラーファは二人のいるグループではないらしい。
すると、ラーファの隣に赤髪の少女が座った。クラリスだ。
「食事の後に行ったんじゃ対策ができないわよ。ちなみに私はグループM。私しかB班はいなかったわ」
ラーファは何も反応せずにスープを流し込む。相変わらず不味いが、残すことは絶対にしない。
「ちなみにあなたはグループF。そこもB班は一人……あなただけだったわ」
クラリスの言葉を聞いてラーファは少なからず安心した。同じ班の人と対戦するのはできるだけやりたくはないのだ。
相手も優勝を狙って……自分の願いのために頑張っているんだ。それを潰すのは、少なからず罪悪感を覚える。しかし、ラーファにも願いはある。もし、同じ班の人と対戦することになったとしても、相手もラーファも手加減することはないだろう。
「ラーファ。朝ご飯が終わったら、軽くウォーミングアップしようよ。出番はまだちょっと先だからさ」
「んじゃ。俺も参加していいか?」
「うん。ナコルも一緒にやるって。ラーファ、どう? やる?」
ラーファは残り少なくなったパンを口に押し込み、コップの中の水を一気に飲む。
コップをトレイに置いて、ラーファは小さくうなずいた。
「よし、じゃあちょっと待ってて。急いで食べるから」
「む、クラリスはどうするのか? やるか? ウォーミングアップ」
「私はいいわ。先の対戦を見とくわ」
「ん。そっか……あ、そうだ。A班のテオってわかるか?」
「ええ。ツンツン髪のA班班長ね」
「ああ、確かあいつはグループBだったと思う。できれば後でどんなナイフ捌きだったか教えてほしいんだけど……」
「承りました。班長さん」
クラリスはいつの間にか食べ終えた後のトレイを片付けて、先に食堂を出ていった。
女の子のクラリスが接近戦だけのナイフ戦が得意だとは思えないが、妙に余裕があるようにナコルの誘いを断った。去っていく彼女の背中には理由のない自信のような雰囲気があった。
その後、三人は塔の外のグラウンドへ行き、軽くウォーミングアップした後に戦武会ナイフ戦の本会場……第一演習場へ向かった。
やはりナコルは強かった。ラーファは一度、ここに来たばかりの時にナコルとナイフ戦をしたことがあるが、身のこなしがはるかにうまくなっていた。
ナコルは油断せず、冷静でいればかなり強い。ラーファとの初めての対戦の時はラーファを多少なりとも舐めていたのだろう。その結果、ナコルは負けた。その教訓を経て、彼は今かなりの強さにまで成長していた。
アルも小さい体にもかかわらず、時折大胆な攻撃に出たり、素早くナイフを振ってくる。
二人とも、かなり強かった。いずれ戦うとき、油断すればラーファは負けるだろう。
勝ちへの執着。
二人の強さはここに在るのだろう。なによりも自分の願いのために走る人間は、何よりも強い。
それは……ラーファも同じ。
◆◇◆◇◆◇
第一演習場はナイフ戦のためだけの演習場だ。壁は金属板、床は木の板で敷き詰められたかなり広い空間。中央に入った位置のナイフ戦用の少し高いフィールド。実戦を想定して土が盛られている。塔の外の乾いた土だ。いつも、訓練しているのと同じ土。
今はグループEの試合をしていた。おそらく、グループE最後の試合だろう。これに勝った方が先のトーナメントに進める。
二人の少年兵がナイフを振っていた。時に蹴りや殴りもいれている。片方が突き出したナイフをもう片方が上体を反らして避け、そのまましゃがんで足払いをした。思わぬ反撃に転んでしまい、起きようとした時には首元にナイフが当てられていた。
「終了!」
教官の試合終了の合図に、二人は礼をして応援フィールドの周りにいたそれぞれの班の仲間の元へ戻って行った。
勝った子はかけ寄る仲間に笑顔で拳を出し、親指を立てた。
とてもさわやかな笑顔、無邪気な笑みはとても戦時中の少年兵の笑顔とは思えなかった。それだけ、この戦武会は子供たちにとっての希望なのだろう。
「次、グループFのの四人。フィールドに上がれ」
ラーファはアルやナコルに顔を向けた後、特に緊張する様子もなく、中央の土のフィールドに上がった。
グループEの初戦はラーファとC班の男の子だった。ラーファと同じくらいの背で、短い黒髪の子。彼の目からは『勝ちたい』と言う意思がみなぎっていた。
「では、構え……」
教官の手が挙がる。それと同時に二人は腰からナイフを取り出し、体勢を低くして構える。
ラーファはナイフをしっかりと握って相手の目を見る。伸びきった銀髪に隠れて相手からは見えないが、ラーファの目にも強い意志が宿っているのは分かる。
「始め!」
試合開始の合図とともに二人は走りだす。
塔に来たばかりのころ、ナコルとのナイフ戦の時は自分から攻撃することのなかったラーファだが、今回は違った。まっすぐ相手に向かって行く。
相手の手に、足に、視線に、ナイフに意識を集中させる。相手はすぐそこに居るのに、なぜか時間がゆっくり流れているかのような錯覚に陥る。もうここに在るのは、自分と相手だけ。自分の静かな心臓の音、相手の微かに聞こえる呼吸音。周りには何もない世界を作って、ラーファは地面を蹴る。
重心を少しずつ横にずらしながら走り、体を傾ける。右手のナイフを下げて、相手に突っ込む。
間合いに入った。
そう思った瞬間に相手のナイフが飛び出した。ラーファの左肩に向かって伸びるナイフ。けど、突き出されたナイフは空を切る。ラーファが右膝を曲げて体を落としたのだ。
ラーファはそのまま体を落とし、勢いのついた相手の足を払う。相手はラーファの後ろに跳んでそのまま地面に転がる。立ち上がろうとした時はもう遅い。
ラーファは左手で相手のナイフを持つ右手を押さえ、右手を相手の首元に当てる。
「やめ! 勝者、B班、ラーファ」
ラーファはナイフを仕舞って男の子を開放し、手を差し伸べる。男の子はその手を握って立ち上がり、頭を下げてフィールドから出ていった。
ラーファも男の子と教官に礼をして、アルとナコルの元に戻る。
「すごいよラーファ! あんなに早く決着つくなんて! それにすっごい綺麗に避けてたし!」
「上手いな……やっぱりお前、つえーな」
賞賛の言葉を並べるアルとナコルに迎えられ、グループEの最後の試合を思い出した。そして、二人に顔を向けながら、親指を立ててみた。
突然のラーファの行動にアルとナコルは硬直する。
しばしの沈黙の中、ラーファは首をかしげて手をおろした。
「あなたにそれは似合わないわよ」
アルの後ろからやって来たクラリスがそういうと、アルとナコルは互いの顔を見て、声を上げて笑った。
ラーファには二人な何故笑っているのか分からなかった。
「ハハハハ、お前はそういうキャラないよ」
「アハハハ、そーだねー。ラーファには全然似合わない」




