私も昔はああだった~時には女子トークを~
私、相田広子。32歳。
転職して今の職場で事務職をして3年。
なんとか慣れぬパソコンを使い、安い給料を貰いながら、ほそぼぞと暮らしている独身アラサー女子である。
私の昼ご飯はだいたい社食か、昨日の晩の残りを持ってくるかのどちらかだ。
そりゃいい年齢の女子としては、外でおしゃれランチとかしてみたいけど、そんなお金の余裕はない。
今日は一応、余り物ばかりの茶色い弁当を自席で食べようとしていた。
すると営業二課庶務係の純野萌子がお弁当を持ってやってきた。
営業二課は、8つの営業係と庶務係からなる。
他の庶務係女子はお洒落ランチに行ったようだ。
「相田さん、一緒にいいですか?」
「いいよ。今は誰もいないし」
下がった眉をさらに下げ、困ったように笑う。
でも別に困ってはない。そう見える顔なのだ。
純野さんは可愛いお弁当袋を机に置くと、私の前の席に座った。
私の前は同じ係の菊池さんの席だ。
菊池さんは、同じ係の小堀主任と一緒にカレーを食べに出かけていて留守だ。
彼らがいない時(まぁほとんど昼はいないけど)よく純野さんは私とご飯を食べたがる。
他の庶務係の女子とご飯をすることもあるが、きっと気を遣いすぎてしんどいのだろう。
その点私は誰にも気遣わないし、気遣わなくても気にしないので楽なのかもしれない。
色白でふっくらした、おっとり系女子の純野さんは御年26歳。
世間に染まらない感じが実に奥ゆかしい大和撫子である。
庶務係の女子は、ファッション雑誌に書かれているような、フェミニンまゆの着回し1週間!みたいな服を着て、流行りの化粧をして、これまた雑誌に書かれているような習い事や趣味にいそしむ、私充実してますって感じの子が多い。
素のお洒落女子から必死に食らいついていこうとしているオサレ女子までピンキリだが。
私のようなファッション雑誌に背を向けている芋い女は少数派だ。
純野さんもファッション雑誌女子ではないが、年齢的に私ほどお洒落から遠ざかれていない感じはある。
分かるな~この、少しはお洒落女子でいたいって感じ。
今はこんな私だが、数数年前まではそれなりに気にしていたのだ。人の視線ってやつを。
私にだって、それなりに人との関わりに気にしていた時代はあったし、人に恥ずかしいやつだと思われたくなくて、必死に周りから浮かないようにしていた。
それがあなた、人の視線や気遣いなるものから解き放たれたら、背中に羽が生えたのだ。
妄想という悪魔の羽が……。
さて、妄想といえばBL。
実はお淑やかな純野さんも私と同類だ。
本人の口からカミングアウトされたことはないけど、BL好きは何故か空気で分かる。
純野さんと話していると、そういう気があることが言葉の端々に混じっている。
だけど、残念、彼女とは系統の違いがある。
純野さんは、歴女な上に健全な小説を好む。
どうもノーマルな中に垣間見えるストイックな友情が好きらしい。
なんていうか、こう、絡むとかまぐわうとか、そういうよこしまでいやらしい系に惹かれる私からすると、もどかし過ぎて鼻血が出そうなくらい純なのがいいみたいだ。
相手を思いやり、冗談を言い合い、時に互いを思いやるがための喧嘩をし、でも好きだから身を挺して守る。時に劣情を抱いても友情を守るためにその感情を押し殺す、みたいなのに胸が震えるみたいだ。
まぁ本人の口から聞いたわけじゃないけど、それほど外してはないと思う。
故に自分の好みについては純野さんには言えない。
きっとピュアな彼女にトラウマを植え付けることになるだろうから。
「ちょっと、マスクぐらいちゃんと取ったら?相田さん」
二人でお弁当を食べようとしていると営業二課3係の茨城幸子がコンビニの袋を下げてやってきた。
私の顎にかかったままのマスクを見て、顔をしかめる。
茨城さんは何も言わずに小堀さんの席に座る。
彼女も時たま私と一緒にご飯を食べたがる。
女子はいくつになっても群れる生き物なのだ。
茨城さんは事務職ではなくて、歴とした営業職だ。
事務職とは給料が違う。
もちろん、仕事の量も違うし、求められているものも違う。
お洒落な格好をして、時間が自由に使える女子が勝ち組なのか、それともバリバリと仕事をして、自分の能力を高め、周りから認められるのが勝ち組なのか。
どっちがいいのか分からない。
でも男が多い営業の中で必死に頑張っている彼女を見てると、勝ち組女子にしてやりたくなる。
まぁ仕事に追われ肌はボロボロだし、服装も堅いスーツが基本だし、営業職だから色々と走り回らされてるし、上司に嫌味を言われ、女だからとかセクハラまがいのことを言われてるし、休みも不安定だし、彼氏もいないけどね。
でも彼女は女であることも、男に混じって仕事をやり続けることも諦めてはいない。
なんていうか、全国大会常連の運動部みたいなんだ。
監督!まだいけます!とか、叫んでそうな感じだ。
でもそういうポジションで仕事をしているためか、自分のプライドを守るためか、ファッション雑誌女子を目の敵にしているようなところがある。
女の敵は女というが、茨城さんはそれを地で行く人だ。
まぁ彼女たちも茨城さんのことを避けているところはあるな。
営業職ゆえ男性との関わりも多く、キャピキャピと群れたがる彼女からすれば、憧れのポジションなんだろう。その仕事の種類は別として。
だから、ひがみの対象としてよく影口を叩かれている。
そんな女子たちに真っ向からぶつかろうとする茨城さん。
本当に高校生みたいだ。もう少し上手にさばける術を学べばいいのに。営業なんだし。
もう少しオサレ女子に迎合すれば、彼女もすぐに彼氏ができるかもしれない。
27歳といい年だし、見た目も普通で、どこにでもいそうなアラサー女子なのに、そこの私生活が充実していないのは実に残念だ。
まぁ仕事に走った女の多くはそうなる。
仕事もできて、家庭も充実しているのは、本当にハイスペックな女子だと思う。
きっと仕事に生きる女子は理想が高いのだろう。
いや一つの方向に猪突猛進になってしまって、二兎を追えないのかもしれない。
まぁ彼女の恋愛事情なんて、私にはどうでもいいだけど。
「また、失礼なこと考えてたでしょ?」
おにぎりのパッケージを破りながら、茨城さんは渋い顔をした。
おにぎり2つに、サラダ一つ。それにペットボトルのお茶。
なんていうか、寂しいな。仕事ができるのに、なんでこんなに涙を誘うんだろう。
「考えてないですよ」
そう言いながら、私は茨城さんの指摘を受け、マスクを顎から外した。
「純野さんのそれ、おいしそうね」
茨城さんの指摘通りにしたのに、彼女はそんなことには気にも留めず、可愛らしい純野さんのお弁当に視線を送っている。
「あ、えっと、クックパッドに載っていて……」
少し恥ずかしげに自分のお弁当を見る純野さん。
茨城さんがもの欲しそうにしていたのは、鮭のゴマ焼きという料理らしい。
純野さん曰くゴマをつけて焼くだけだから楽だと言っていたが、私は自分でしようとは思わなかった。
もし機会があれば実家の母にやらせようと、そう心に決めた。
私は料理が好きではない。
金銭的な理由から必要にかられ、野菜を刻み、焼くか蒸しているだけだ。
蒸すのも蒸し器に入れてレンジでチンだ。
そんな私のお弁当を見て、茨城さんが一言。
「その、くたってなったやつ、なに?」
失礼にもほどがある発言だ。
料理をしない人にだけは言われたくない。
冷蔵庫で腐りかけていたやつがコラボした、なんか炒めて煮たやつだ。
味は白だしで濃いめにしているので、冷めればまずくはない。
「純野さん見習ってまともなもの作りなよ。けっこう女子はこういうの見てるよ。ただでさえ社内でも人気の高い菊池くんと、そこそこの小堀主任と同じ係なんだから!」
茨城さんの発言に他意はない。
彼女は真面目で実直な体育会系女子なので、本心から助言をくれている。
私からすれば大きなお世話だし、小堀さんからすれば先輩捕まえてそこそことかどういう了見だって話だが、彼女の頭にはそういうことは浮かばないようだ。
「あの、えっと、わたし、こんな見た目だし、食べるのが好きだから、その……」
自分を貶めて、空気を和ませようとする純野さん。
別にそんな気を遣わなくても茨城さんは気にしないと気づけばいいのに。
茨城さんは私にだけは好き勝手なことを言う。
いつもは懸命に猫を被り、本音を言わないことで、なんとかやり過ごしているみたいだ。
ただ基本は小堀さんと同じで単純なので、猫が全然かぶれていないのだが。
男の中で仕事をすることはきっと大変なのだろう。
同じ男の中で仕事をしていても事務の私はそこまで求められていない。
しかもBLが好きな私は、どれだけ腹立たしいことを言われても、いいように脳内変換できるようになっているので、特段の支障はない。
例えば厭味ったらしい庶務課のおやじに書類のことでグチグチ言われても、嗚呼、この人は小堀さんが好きで、一緒に仕事をしている私を僻んでいるんだと思うと、なんだか優しくしてやりたくなる。
ごめんなさいね~小堀さんの隣に座って、ぷぷっと心の中で笑ってやるのだ。
さすがにくたびれたおやじと小堀さんの絡みを妄想でも遠慮したい。
何事も考え方次第。
私にだって純野さんのように純粋な時も、茨城さんのように直向きに仕事にまい進していた時もあった。
二人とご飯を食べていると、昔の自分と一緒にいる気がしてくる。
30を過ぎた私からすれば、どっちも可愛らしい。
早くこっち側にくればいいのに。
などと、すでに女であることを諦めた女子相田は思った。