妄想は夜のオカズ
「外回りお疲れ様でした」
得意先から帰ってきた二人に、私はアイスコーヒーを入れ出してやる。
それぞれの机に置いたグラスに、二人はそろって「おー」と歓声を上げた。
汗拭きシートで顔をぬぐいながら、屈託のない笑顔を浮かべる小堀さん。
「相田さん、ありがと」
ネクタイを緩め、汗を拭く感じが実にいい。
ほっそりとしたのどをごくごくと震わせながら、おいしそうにコーヒーを飲みほした。
「のど乾いてたんッスよ~!さすが相田さん!先輩、缶コーヒーすらおごってくれないですよ?ひどくないですか?」
同じく汗拭きシートで顔を拭いている菊池さんは、暑さなんて感じさせない爽やかスマイルだ。
「なにが、ひどいだ!たーこ!缶コーヒーは1日1本までだ!ちなみに缶コーヒーの代わりにレッドブルを買いやがった日は次の日の缶コーヒーなし!覚えとけ!あ、後、先輩じゃなくて主任って呼べ、主任って!」
「えーそんなの聞いてないっすよ!しかもレッドブル1缶が缶コーヒー2缶分とか、けちくさいっす」
「おごられてる身分で、何を偉そうに言ってんだよ!」
ガンッ!と、小堀さんが勢いよく菊池さんの椅子を蹴った。
衝撃でわあっと言いながら、菊池さんがよろける。
「先輩、ひどいっすよ。おれ、コーヒー飲んでんのに!」
「書類にだけはこぼすなよ!」
両手でグラスを包んで守る菊池さんに、小堀さんはふんっと鼻を鳴らす。
「相田さ~ん、見ました?これパワハラですよ!今流行りのヤツっすよ!おれが先輩を訴える時はぜひ、証言してくださいね」
急に私に話題を振ってきたかと思うと、爽やかスマイルを浮かべる。
こういう周りに万遍なく気を回して話題を振り、上手に小堀さんを非難する菊池さんは卒のない人だ。
「な~にがパワハラだ!そしたらお前のタカリの方がずっと深刻だぞ!タコ!」
パワハラとなじられ、何故か本気で怒り出す単純な小堀さん。
冗談だよ、旦那。
と、私は心の中で言いつつも、生暖かい目で二人のやり取りを見守る。
ガンガン菊池さんの椅子を蹴る小堀さん。
調子に乗って、パワハラだと大げさに騒ぎながら防御に入る菊池さん。
必死に短い足で攻める小堀さん。
スマートな動きで、しかも余裕な顔で受け流す菊池さん。
踊らされてムキになる小堀さん。
踊らせて楽しんでいる菊池さん。
何、この感じ。
二人とも私の好みを知っていて、やってくれているの?
なんて美味しいんだ。
この強気な受けが必死に食って掛かるのをあえて止めずにどこまでできるのかを楽しんでいる鬼畜攻め。
そして、ここからは攻めの逆襲が始まるのよ。
カチッ―――。
『フフッ、もう終わりですか?そんなんじゃいつまでたってもおれに届きませんよ?あなたの本気はこんなものですか?』
『っざけんな!お、俺はまだ本気出してないだけ……』
フッと黒い笑顔を浮かべる菊池に、少し涙目で噛みつく小堀。
椅子に悠々とかけて足なんか組んじゃう菊池と、浅く腰掛けながら足を大きく開いて、両手を足の間に置く小堀。少し前傾姿勢だとよりグッドだ。
エイッと一生懸命に菊池を掴もうと攻撃を仕掛ける小堀だが、すべて菊池に避けられ、逆におちょくられる。
さらに小堀は涙目になり、頬を紅潮させ、息も上がってくる。
対するスマート菊池は平常のまま。
『あれ?まだ本気出してないんですか?じゃあ、早くあなたの本気、見せてください。じゃないと今度はおれが……』
『え?』
一瞬動きを止めた小堀の隙を突き、椅子を蹴る菊池。
バランスを崩し、倒れそうになる小堀。
『っ、う、うわあぁ!』
「……ださん、あ……」
倒れこむ寸前。
小堀の腕を掴んで、引き上げる菊池。
そのまま素早く自分の方に抱き寄せ、耳元で一言。
『さぁ、本気、見せてください』
「いや~見事に無表情のまま、集中してますね、邪魔しちゃダメですよ、先輩」
「いっつも思うけど、この人すげーよな。淡々としてるクセに、きっちり俺らのフォローしてくれるし、コーヒー出してくれたり気が回るし」
「ですよね~、素っ気ない、この感じが堪らないというか、おれ、もっと冷たくしてって思いますもん」
『な、なに、言って……』
「お前、何言ってんだよ。変態か。……まぁ俺も……」
頬を染め、視線を逸らす小堀。
畳みかけるように顔を寄せる菊池。
『あなたの本気で余裕がない顔を見たいんです』
「相田さんの本気で余裕がない顔、見てみたいな」
ん?今、私の心の声が外の世界から聞こえたぞ。
もしや、口から妄想が飛び出していたのか。
無意識に何かやらかしたらしい。
こんな、こんなやばいBL妄想を口にしだすとか、もうセクハラの域を超えている。
むしろ死。社会的死を意味するのでは!
私はどっぷりと浸かっていたヘドロのような妄想の世界からざぱぁっと浮かび上がった。
パチッとスイッチが切り替わり、見慣れたデスクに視線が戻る。
と、同時に珍獣でも見るかのようにこちらを見ている二人と目があった。
「あ……」
「お……」
「ああ、お帰りなさい、相田さん」
何故お帰りなのだろう。
私はドックドックと高鳴る鼓動と、滝のように背を流れる冷や汗を気づかれぬように、ごくりと喉を鳴らした。
「あの、私……」
「いや、なんでもないよ、相田さん。すっげー集中力だなって、菊池と話してただけ」
「呼びかけても反応ないんですもん。すごいですね~」
「よ、呼んでらしたのですか?すいません、気づかなくて」
どうやら妄想が口から出たわけではなかったようだ。
じゃあ、何故私の心の声が外から、しかも小堀さんの声で聞こえたのか……。
まあそんなことは些細なことだ。
私はホッと胸を撫で下ろした。
この妄想の続きは夜にとっておこう。
ホクホクした気持ちで、私は仕事を再開した。