第一話「魔剣疾駆」
吹雪でほとんど前が見えない。
麓の穏やかさが信じられないほどの悪天候だった。辺りは既に夜闇に包まれていて、先を行く従者の二人は体力の限界に見える。これ以上は危険だ。ランスロットは彼らを呼び止めて、言った。
「おい、もういい。ここから先は私一人で行く」
ランスロットの言葉に、従者たちが振り返る。
「そんな、ランスロット様!俺たちだって、ここで帰るわけにはいかねえ!」
「俺たちみたいな下っ端にも、下っ端の矜持ってもんがあります!」
従者たちの訴えは理解できる。実際、彼らの仕事はしっかりとしたものだった。
だが、ここから先は違う。
「お前たちの働きには感謝している。ここまでお前たちが盾となって私を守り、荷物を運んでくれたおかげで体力を温存できた。
だが……」
この山は王国の人間は足を踏み入れない、魔境だ。
騎士として心身ともに鍛えられたランスロットですら、生きて帰ることが約束されているわけではない。体力を失った従者二人は役に立つどころか、危険を招く可能性が高かった。
「ランスロット様……」
「ありがとう。ここで荷物を軽くすれば、まだ引き返すことはできるだろう。
麓の村で待っていてくれ」
従者たちに最低限の食料と明かりを残し、ランスロットは荷物を受け取った。
ここから先は、一人だ。
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隣国、ガディス王国が攻め込んできたのは突然だった。
ランスロットたちアルテアの騎士団も応戦したが、国境の戦いでは犬のような顔をした半獣半人の軍団に力で押し込まれ、商業の中心である大都市モーガルをめぐる戦いでは降り注ぐ炎で大きな打撃を受け、撤退を余儀なくされた。
ガディスが魔法の力を復活させた。それは誰の目にも明らかだった。
全世界を巻き込んだ魔法戦役の後、人類が放棄した超自然的な力。獣人の軍団も、炎の雨も、戦役の記録に残っているものだった。
一方、自国に魔法の力はない。ただ一つの例外を除いて。アルテア国王は苦渋の決断を迫られた。
自己防衛のためとはいえ、自らもまた放棄したはずの力に手を付けるのだ。
「魔剣ラブレスの封印を……解いてきてくれ」
ランスロットは国王に命じられ、北のホワイトウォールと呼ばれる山脈に旅立った。
若くして騎士になったばかりのランスロットにとって、この任務は大抜擢だった。国王陛下に信頼されている。ランスロットは喜びと使命感に震えた。
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ホワイトウォールの洗礼は、ますます厳しくなってきた。ランスロットは寒さと孤独に耐えながら、ラブレスが封印されているという山頂を目指した。
ガサッ!
突然、ランスロットの目の前に、何かが飛び出してきた。
「ウー……ッ!」
夜闇と吹雪の中でもわかる、金色に輝く瞳。
「……ホワイトファングか!」
白い毛で体を覆われた巨大な狼だ。たとえ明るい場所で体調が万全でも、一対一でこれに勝てる人間はいないだろう。
「ガアアッ!」
飛び掛かってきたホワイトファングを、間一髪でかわす。暗闇の中で距離感がない。ほとんど勘に頼るしかなかった。次は、ないだろう。チャンスがあるとしたら、今だけだ。
「すまない!」
「ギャンッ!」
ランスロットはすかさず剣を抜くとホワイトファングの後ろ足を斬りつけ、逃げた。
相手の機動力を奪ったうえで逃げる。これが唯一、生き延びる方法だと考えた。通常の戦場であれば、敵に背を向けるなどもってのほかである。しかし、相手は自然だ。加えて、自分は重要な任務を背負っている。
とにかく、任務を達成して帰らなければならない。
「グアア……ウウッ!」
走り去るランスロットの背中から、ホワイトファングのうめき声と雪の中で巨体が転げる音が聞こえた。
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山頂には石造りの小さなほこらがあった。
正面は、やはり石の扉で閉ざされている。ランスロットは国王から預かった鍵を差し込んだ。かくして、ほこらの封印が解かれる。
ほこらに入って正面の壁に、一振りの黒い両刃剣が刃を下にして固定されていた。
「これが……魔剣……」
刀身はすべて漆黒だが、刃の根元には唯一赤く輝く石がはめこまれている。魔法戦役以来とすれば五百年ほど経過しているはずだが、その輝きは褪せていなかった。あるいは、これが魔法の力を司っているのかもしれない。ランスロットは剣の異様に息を飲みつつ、柄に手を伸ばした。
そのときだった。
「えっち!
ちょっと……レディの扱いがなってないんじゃないの!?」
女性の声がした。
ランスロットは反射的に柄から手を離し、辺りを見回す。
「誰も……いないよな?」
「いるわよ!あんたの目の前に!
まったく……久しぶりに誰か来たと思ったら、急に脚を触られるなんてね!」
すかさず非難の声は続いた。ちょっとショックだ。
騎士として、女性は守るべきものだ。接し方も学んできた。非難されるなんて、思いもしなかったことだ。しかも、どうやら声の主は……
「魔剣……お前か?」
「そんな名前じゃないわね。あと、お詫びがまだ」
「……ラブレス、か。すまなかった。非礼をわびる。
知らなかったのだ」
どうやら魔剣は女性らしい。
ランスロットは人間の女性にするように、魔剣の前で左ひざを突くと、右手を剣の赤い宝石のあたりに差し出した。
「んふふ……意外といい男じゃない。
許してあげる」
ラブレスは笑っているようだ。用件を切り出すなら今だろう。事態は一刻を争うのだ。
「非礼を重ねるようだが、頼みがある」
「また戦争?」
ランスロットが言い終えるより先に、ラブレスは切り返した。
「あんた、魔法戦役って知ってる?知ってるわよね」
「あ、ああ……」
「ふん、知っててあたしのところに来たんだ……
人間って、成長しないものね」
「国の危機なのだ!
隣国のガディスが、魔法の力を使ってアルテアに攻めてきている!
魔法が禁忌なのは、王もご存知だ……
だが、今はこちらも魔法の力を得なければ、国が滅びてしまう……」
ランスロットは半ば反射的にまくしたてた。
魔法が禁忌でなくても、自分の力で祖国を守れないのは騎士であるランスロットにとって恥だった。だが、今はそんなことにこだわっていられない。こうしている間にも、ガディスは侵攻を続けているのだ。
「ふーん……ま、いっか」
「……今、何と?」
「ま、いっかって言ったの。協力してあげる。
あんた、いい男だし」
拍子抜けした。何と軽い返事なのだ。事態が理解できていないのか、それとも国の危機さえこの魔剣にとっては些事だというのか。
「でも、魔と付くものに力を借りたら、代償は……わかってるわね?
お安くないわよ」
「……安くない、というと?」
「さあね、考えとく。
ほら、行くわよ!」
「よ、よし!」
ランスロットはあらためて、ラブレスを手に取った。
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目の前にいるのは、ホワイトファングの群れだ。一、二、三……ゆうに十数匹はいるだろうか。そのうちの一匹は、後ろ足を引きずっていた。
「グルルルルッ……!」
恨みがましい唸り声を漏らしている。
「なーに、この犬っころ。
あんた、何かしたの?」
「先ほども襲われたので、足を斬りつけて逃げた。
だが……」
この数はまずい。せっかく魔剣を手に入れても、山を下りられなくては意味がない。
「やれやれ……まあ、寝覚めの運動にはちょうどいい相手ね。
構えて」
「は?」
「は、じゃないでしょ。
この犬っころを追っ払って、さっさと山を下りるわよ」
「馬鹿を言うな!
この数のホワイトファングをどうにかできる人間なんて……」
「あんたね、何のためにあたしのところに来たの。魔剣ラブレスを信じなさい!
……って、来るわよ!」
ホワイトファングの一頭が、しびれを切らして飛び掛かってくる。
ラブレスと話すのに気を取られすぎた。かわしきれない。
「あたしを犬っころの方に向けて!」
ラブレスの声。反射的に剣を抜き、向かってくる獣へ刃を向ける。獣がその口を開いた。
魔剣よりも、自分の腕よりも、はるかに太い牙が並んでいる。勝負にならない。ランスロットは死を覚悟して、目を閉じた。
「うわああああっ!」
「ガアアアアアッ!」
意外なほど衝撃は軽かったが、温かい血が顔にびちゃびちゃと跳ねるのがわかった。
想定とは違い、自分の足はまだ地に着いている。獣の声がやみ、辺りを一瞬、静寂が支配した。
「ちょっとおー、あんた騎士でしょ?
なーに間抜けな声出してんのよ」
あきれたような、誇らしげなようなラブレスの声が聞こえて、ランスロットは恐る恐る目を開いた。
剣を支えていた腕が血に染まっている。だが、自分は無傷だ。血は返り血だった。自分の両脇に、真っ二つになった獣が転がっている。
「こ、これは……!」
「どおー、あたしの力。すごいでしょ?」
すごい、などというものではない。完全に人智を超えている。
「グ、グルルルルッ……!」
他のホワイトファングたちが唸り声を上げながら、後退していく。
ランスロットを中心にできていた扇形が、徐々に広がっていく。
「一気に行くわよ!走って!
正面突破!」
「よ、よし!」
未だ道をふさぐ獣の群れに向かって、魔剣を一振り。切っ先から衝撃が走り、雪と土がはじけ飛ぶ。獣たちはあわてて道を開けた。
すかさず、ランスロットは駆け出した。
体が軽い。先ほどまでの疲労が嘘のように。
視界が開ける。相変わらずの吹雪の夜なのに。
体の内側から弾けるような熱を感じ、ランスロットは吼えた。
「うおおおおおっ!」
雄叫びが、ホワイトウォールを駆け下りていく。
んふふ……ラブレスよ。
第一話、読んでくれてありがと。
まあ、犬っころぐらい、あたしにかかったらチョロイもんよ。
あたしが何者かって?
知りたかったら、続きも読んでね。
作者のサワハトが、最後まで書ききるといいんだけど……
根性なしだからね。
それじゃ、また。
次でね。