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 会場がシンと静まり返る。誰もが息を詰めて自分たちを見ているのがわかった。先ほどまで会場を埋め尽くしていた人々が、今は壁際に下がって自国の第一王子が選んだ婚約者を品定めする。

「随分と背の高い姫だこと」

 誰かがルージュにも聞えるようにヒソと囁き、それに応えるように複数の女性がクスクスと笑い合うのが聞こえた。

(怖ェェェェ……!)

 ルージュは途端にドッと全身にイヤな汗をかき、ゴクリと喉を嚥下させる。それを見て、正面に立ったノアールがルージュの手を掬い上げながら囁いた。

「ギャルソンからの伝言だ」

「え?」

 ノアールの突然の言葉に、ルージュは驚いて小声で聞き返す。ノアールはルージュをまっすぐ見詰めると、楽しそうに目を細めて言った。

「『後ろ』だそうだ。何のことだかわかるか?」

「『後ろ』……」

 ルージュはその言葉を口中で呟き、あ、と言って目を見開く。

「『ホールドの形を取ったら、後ろ、とお唱え下さい。魔法の呪文でございます』って言われた。凄いな、お前のところは執事も魔法が使えるのか」

 楽しそうに問われて、ルージュは途端にプッと噴き出す。そしてヒソヒソ声で「そうなんだ」と答えると、肩を震わせながら必死に笑いを堪えた。

「うちの執事は天下一品だからな」

 ノアールの肩に軽く手を載せてピタリとホールドの形を取ると、それに合わせてゆるやかな音楽が静かに流れ出す。ルージュはノアールの黒瞳を見詰めて息を合わせると、右足をスッと引いて優雅に踊り始めた。

 オオッ……!

 二人の軽やかなステップに、途端に会場中から感嘆の溜息がもれる。ワルツの音色に合わせてフワリフワリとステップを踏みながら、ルージュも感心してノアールを見詰めた。

(こいつ……上手い)

 思えばルージュはノアールが踊っているところを見たことが無かった。誘えばどこの夜会にも顔は出したが、いつも壁際でチビチビと酒を舐めているだけだったので、ダンスは苦手なのだろうと勝手に思っていたのだが、それは全くの勘違いだったらしい。ノアールのリードは『オレ様』な性格からは想像も出来ないほど優しく優雅で、そしてびっくりするほど踊り易かった。

「なんだ、上手いんじゃないか」

 ニッと笑いながら揶揄うように小声で言うと、ノアールが澄ました顔で「お褒めに預かり」と答える。

「お前もなかなか上手いぞ。どこから見ても立派な姫に見える」

「悪かったな!」

 続けて言われた言葉にルージュがムッとして囁き返すと、ノアールが「馬鹿」と言って笑った。

「綺麗だって褒めたんだよ」

「ぅえッ……?」

 ノアールの意外な言葉にルージュは驚いて目を丸くする。次の瞬間、その頬が見る間にカァァァッと真っ赤になった。

「おおおおおおお前がそんなに女たらしだとは知らなかったぞ」

 あまりの恥ずかしさにそう嫌味を返したルージュは、ノアールの視線を避けて肩口に顔を伏せる。しかし嬉しい気持ちは本当で、自然と頬や口元が弛んでニヤけた。その耳元にノアールが唇を寄せてそっと囁く。

「南公爵の奥方に気を付けろ」

「え……?」

 ノアールの突然の言葉に、ルージュは驚いて顔を上げる。

「それってどういう……」

 理由を問おうとすると、ノアールが再び耳元に唇を寄せて、シッ、と囁いた。

「南公爵の隣に座っているのがその奥方だ。オディールにとっては継母になる」

「え……」

 オディールも母を亡くしていたのだと知り、ルージュは驚いて目を見開く。そっと示された方を窺うと、国王の左隣に座っている南公爵の横で妙齢の美しい女が不機嫌そうに盃を傾けていた。

「しかも、オディールが言うには後妻は魔女で、目的の為には手段を選ばないらしい」

「も、目的……?」

 恐る恐る尋ねると、ルージュの問い掛けにノアールが「そうだ」と言って頷く。

「魔女云々はともかく、彼女がオディールを俺の第一王妃にしたがっているのは事実だ。その彼女にとって、お前は目の上のたんこぶ。何よりも邪魔な存在ということになる」

「あ、だからか……」

 ノアールが最後の曲をルージュに踊れと言った時、だからオディールはあんなに強く反対したのかと、ようやくルージュは得心する。

 『お姉様では危険です!』

 ルージュはオディールの必死の形相を思い出し、不思議に思ってノアールを見た。

「だったらオディールの言う通り、彼女と踊れば良かったんじゃないか? 行く行くはオディールが第一王妃になるんだからさ」

 男の自分に第一王子を産むことは出来ない。そう思って言うと、ルージュの言葉に途端にノアールの眉がピクリと寄る。

「お前は何もわかってない……」

 口元に柔和な笑みを貼り付けたまま不機嫌そうに言われて、ルージュも微笑みながら「何がだよッ」と反撃する。その時、優雅なワルツが静かに終り、会場を割れんばかりの拍手が包んだ。

「素晴らしい!」

「なんてお似合いのお二人だこと!」

 皆が口々に二人の息の合ったダンスを称賛し、その婚約を祝福する。そっと視線を向けると、南公爵の奥方がプイと顔を背けて足早に会場を出て行くのが見えた。




「え、何だって……?」

 舞踏会が終って通されたのは、それはそれは豪華な客室だった。居室には豪華なソファセットが置かれ、いかにも高そうな調度品や、見たことも無いような素晴らしい白磁の皿や銀食器が詰まったサイドボードもある。窓には厚いどっしりとしたカーテンが高い天井から床まで下がり、壁には骨董品なのか由緒正しそうな二本の長剣がクロスするようにして飾られていた。

 そのフカフカのソファセットに腰掛けてメイの淹れてくれた高級そうな紅茶をグビグビ飲んでいたルージュは、その乳兄妹の言葉に目をパチクリして問い返す。

「ですから」

 メイはにっこり微笑んでそう言うと、リンゴのタルトを切り分けながら言った。

「ここはルージュ様の居室でございますわ。これからルージュ様はずっとここでお暮らしになるのでございます」

「はい?」

 メイの言葉を理解出来ずに、ルージュはキョトンとして返す。

「それは『結婚したら』っていう意味か?」

 確認するように尋ねると、メイは小さく切ったリンゴのタルトを無造作に口に入れながら、いいえ、と答えた。

「今日からずっとでございますわ。ルージュ様はもう北公爵家にお戻りになることはございません」

「何だよ、それ!」

 思わず声を荒げたルージュは、メイにシッと口前で人差し指を立てられて慌てて口を噤む。

「さては騙したな」

 声を潜めて責めるように言うと、メイはニッコリ微笑みながらタルトを載せた皿をルージュの前に置いた。

「どうぞ、ルージュ様」

 乳兄妹のいつもと違う行動に気付き、ルージュはギョッとして目を見開く。

「まさかお前、自分で毒見をしたのかッ?」

 思わず蒼くなって尋ねると、ルージュの言葉にメイはモグモグと口を動かしながら頷いた。

「当然でございますわ。ルージュ様をお守りするのが私の務めでございますから」

「メイ……」

 メイの覚悟を知り、ルージュはギュッと眉を引き寄せる。王家に嫁ぐと言うのはこういうことなのだと改めて知り、グッと唇を引き結んだ。

「わかった……俺も男だ、覚悟を決めたよ。だが毒見はするな。ノアールに言って何かいい案を考えてもらうから」

 そこへコンコンと軽いノックの音がして、正装から着替えたノアールが入って来る。ノアールはまだ口をモグモグ動かしているメイを見ると、プッと噴き出して言った。

「あんまりこいつを脅かすな、メイ。食いたいなら好きなだけ食えばいいだろう」

 ノアールの笑いながらの言葉に、メイが「あら」と言って楽しそうに微笑む。

「ただ食べたのでは面白くありませんでしょ?」

 その言葉に、メイにからかわれたのだと気付いたルージュは途端に目尻を吊り上げる。

「騙したな、メイ!」

 声を潜めて詰め寄ると、その剣幕を見てメイは楽しそうにコロコロと笑った。


「城のコックが作った料理は毒見済みだ。心配は無い」

 向かい側のソファに腰掛けて、メイの淹れてくれた紅茶を飲みながらノアールが言う。まだ笑いを噛み殺しているのを見て、ルージュはブスッとしたまま「あー、そうかい」と答えた。

「だが、他からの貰い物は絶対に食べるな。何か貰ったらすぐにメイに渡せ。いいな」

 どんなに好物でもだぞ、と念を押されて、ルージュは「はいはい」とぞんざいに答える。

「俺、そんなに食い意地張ってないし」

 ルージュが口を尖らせて言うと、途端にメイがプッと噴き出し、ノアールも口元を押さえて視線を逸らした。

「ともかく、その『俺』はやめろ。どこに他人の耳があるかわからんからな」

 ノアールに釘を刺されて、ルージュは口前で両手の人差し指をクロスさせると不満そうに「へーへー」と答える。そして再びフォークを手に取ると、二切れ目のタルトを真上からグサッと突き刺した。

「ところでさ、何で俺はもう帰っちゃいけないのよ?」

 そのタルトを大きなまま口に運びながら、ルージュは疑問に思って尋ねる。しかし、ノアールが両目を据えてジッと自分を睨んでいることに気付き、慌てて「あたしあたし」と言い直した。

「『あたし』じゃなくて『わたくし』と言え」

 ノアールは呆れたように大きな溜息をつきながらそう言うと、自分も同じようにフォークを掴む。そして、タルトの上に載っているリンゴの甘煮に突き刺すと、ホレ、と言ってルージュの前に突き出した。

「好きだろ。食え」

 ルージュは、あ~ん、と言って口を開けると、そのリンゴの甘煮にパクンと食い付く。

「なんれ帰っちゃいけないのよ?」

 モグモグと口を動かしながら尋ねると、ノアールは視線を逸らしてタルトを一口大に切り分けながら答えた。

「単なる危険の回避だ。北公爵家に姫がいるとわかった以上、これからは毎日のように夜会への招待状が届くだろうからな」

 断れば角が立つし、出席すればボロが出る。その杞憂を無くしてやったのだと言われて、ルージュはとりあえず「そりゃどうも」と答える。すると、それを聞いていたメイが同じようにリンゴのタルトを口に運びながらクスクスと笑った。

「ノアール様はご心配なのですわ。ルージュ様に悪い虫が付くのではないかと」

「は?」

「うるさいぞ、メイ」

 メイの言葉にルージュとノアールが同時に返す。ルージュはノアールに視線を向けると「そうなのか?」と尋ねた。

「危険の回避だ。それ以上でも以下でもない」

 ノアールはゴホンと咳払いして答えると、食べ掛けのタルトの皿を置いて立ち上がる。そして、上着を掴んでドアに向かうと、思い出したように振り向いて言った。

「それからアレだ。今日から俺もここで寝るから」

 俺が遅い時は先に寝てていいぞ、という言葉に、ルージュは驚愕して「ハアッ?」と声高に返す。ノアールは口の前で人差し指を立てると、再びゴホンと小さく咳払いしてから言った。

「危険の回避だ。不届き者が夜中に忍んで来ても困るからな」

「不届き者はお前だ!」

 ルージュは声を潜めて怒鳴り返すと、さっさとドアを開けて出て行くノアールの背中に向かってアカンベをする。それを見て、メイがクスクスと笑いながらルージュのカップに紅茶のお代わりを注いだ。

「ノアール様はルージュ様のことがご心配なのですわ、ルージュ様。いろいろ考えられた上でのお言葉なのでしょうから、どうぞあまりお責めになりませんよう」

「それはわかるけどさあ」

 ルージュは溜息をつきながらそう言うと、ノアールの食べ掛けの皿を引き寄せる。だいたい、王城にいるというのに、第一王子の婚約者に夜這いを掛けて来るような命知らずな奴などいるのだろうか。残りのタルトにフォークを突き刺しながらそう言うと、問われたメイは斜め上に視線を向けて、ひぃふぅみぃ、と指折り数えた。

「舞踏会が終ってからルージュ様が湯浴みを済ませてお着替えになられるまでに、もう五名の殿方からお茶のお誘いがございましたわ」

「なんだとッ?」

 寝耳に水の言葉に驚愕して立ち上がったルージュは、「もちろん丁重に辞退させて頂きましたので」というメイの言葉にホッとして、再びドカッと乱暴に腰を下ろす。

「ダレンのクソ馬鹿野郎ならともかく、そんなバカ共が他に四人もいるのか!」

 腹を立てるよりも呆れて言うと、ルージュの言葉にメイがニッコリ笑って言った。

「このことはまだノアール様には報告しておりませんので」

「言わなくていい! ってか、言うな!」

 ルージュは慌ててメイに口止めすると、ハァァ、と大きな溜息をついてテーブルに突っ伏す。

「なんでみんなそんなにサカッてんだよ……」

 思わず脱力して呟くと、その言葉にメイが「あら」と言って答えた。

「それはルージュ様が『人妻』になられたからですわ」

「はあ?」

 ルージュは意味がわからずに、どういうことかと問い返す。

「独身に手を出すとすぐに結婚を迫られますけど、人妻だったら大人のアバンチュールが楽しめると思われるようですわよ、殿方は」

 メイは蔑むようにそう言うと、ですから、と言って言葉を継いだ。

「私もノアール様がこちらで寝泊りして下さるのには賛成です。いくらなんでも、私はルージュ様と同じ寝室で寝泊まりするわけにはまいりませんので」

 確かに、ルージュだって年頃の若い娘と同じ寝室で寝るわけにはいかない。もちろんメイは乳兄妹だから絶対に手を出さないと誓って言えるが、周囲はそうは思わないだろう。そこまで考えたルージュは、すぐに「ん?」と首を捻る。

「でもさ、今は俺は女なわけだから寝室が一緒でも大丈夫じゃないか?」

 なんならお前の寝室を隣に用意してもらってさ、と言うと、その言葉にメイがきっぱりと首を横に振った。

「国中の人間が気にしなくても、ノアール様は気になさいますわ。私はあの方を敵に回したくはございませんので」

 メイはそう言うと、空になったティーセットをワゴンに載せて戸口へと向かう。そしてドアの前で立ち止まると、ルージュを振り返ってニンマリと笑った。

「今宵は『初夜』でございますわね、ルージュ様。どうぞくれぐれも失礼の無きよう」

 メイは含みのある笑みを浮かべながらそう言うと、「では、おやすみなさいませ」と言って部屋を出て行く。

「しょッ……!」

 ルージュは目をまん丸にして絶句すると、顔を引き攣らせながらその後ろ姿を見送った。

「初夜……」

 メイの言葉を口中で繰り返したルージュは、次の瞬間、カァァッと耳まで赤くなる。そしてゆっくりと視線を廻らせると、寝室に続くドアを呆然と見詰めた。


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