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「おはようございます、ルージュ様」

 聞き慣れた声音に目を開ければ、既に悪夢のような夜は明けて眩い朝日が窓から斜めに差し込んでいた。

「……おはよう、ギャルソン」

 ギャルソンはこの公爵家に代々使えている執事である。たぶん六十をいくつか過ぎていると思うのだが、ルージュが子供の頃から全然変わっていないので定かではない。ルージュは眠い目を擦りながら伸びをすると、ベッドの上に起き上がった。

「今朝の紅茶はダージリンでございます」

「うん」

 ギャルソンから紅茶の入ったティーカップを受け取り、コクリと飲んで左手のソーサーに戻す。

「今朝のお食事はマフィンとソーセージとオーガニックサラダでございます」

 ルージュはギャルソンの言葉に再び「うん」と答えると、半分ほど飲んだカップをソーサーごと執事に渡した。

「着替える」

「かしこまりました」

 ギャルソンがティーカップを盆に載せ、いそいそとテーブルの上に運んで行く。ルージュはベッドを降りて寝衣のボタンを外すと、肩を肌蹴たところでピタリと動きを止めた。その目の前で、ギャルソンが壁一面に作り付けられた大きなクローゼットの扉をゆっくりと開ける。その奥に並んでいる色鮮やかなドレープの波を見て、ルージュはクラリと眩暈を覚えた。

「そうだった……」

 そこに並んでいたのはいつもの男物の服ではなく、急遽取り揃えられた女物のドレスである。

「今日は何色になさいますか、ルージュ様? こちらの花柄などはルージュ様にとてもよくお似合いかと存じますが」

 ギャルソンが至極真面目な顔で言って、ドレスの裾を摘まんで見せる。

「勘弁してくれ……」

 ルージュは思わずがっくり項垂れると、ポスンとベッドに腰を下ろして「ハァ……」と大きな溜息をついた。




「十時からお茶の作法、十一時からフラワーアレンジメント、昼食の後は一時から五時まで国の歴史と諸外国との国交についての講義が入っておりますのでお忘れなく」

「休み時間はッ?」

 ギャルソンが読み上げた本日の予定の内容に、ジャムをたっぷり載せたマフィンを頬張っていたルージュは慌てて叫ぶ。

「トイレ休憩はございますのでご心配なく」

 ギャルソンは澄ました顔で答えると、紅茶のお代わりをティーカップに注いだ。

「国王家に嫁がれるのですから基本的なことはしっかり学んでおきませんと」

 老執事の言葉に、ルージュはムスッと口を引き結んで「わかってるよ」と答える。

「やればいいんだろ、やれば」 

「それと、お手紙が一通」

「手紙っ?」

 ルージュは途端にパッと顔を上げて笑顔になると、ギャルソンから一通の封筒を受け取った。

「誰からだろ」

 その封筒にはきちんと封蝋がされているが、差出人を示す印璽は無い。もちろん差出人の名前も無かった。封筒に鼻を付けてクンクンと匂いを嗅いだルージュは、「女だ!」と叫んで嬉々としてペーパーナイフを取り出す。スラリと開いて便箋を取り出すと、確かに女ものの香水の香りが周囲にこぼれた。

「おお、いい匂~い」

 高級そうな香りだが、しかしガールフレンド達のものではない。ウキウキと便箋を開いたルージュは、しかし紙面に書かれた文字を見るなり「は?」と言って顔をしかめた。

「なんだコレ」 

 『お前に呪いを解くことは出来ない』

「呪い?」

 ルージュの言葉に、ギャルソンも脇から首を伸ばしてその紙面を覗き込む。

「ふむ、それはきっと王子に掛けられた呪いのことでございますな」

「なんだ、ソレ!」

 ルージュは驚いて素っ頓狂な声で尋ねる。ギャルソンはゴホンと小さく咳払いすると、おもむろに口を開いた。

「あれは今から十八年前のことでございます」


 その当時、王には最愛の妃がいたが、子供にはなかなか恵まれなかった。やがて、その妃にやっと待望の男の子が生まれる。大喜びした王は国中の魔女を召喚すると、集まった九人の魔女たちに第一王子に祝福を与えるよう命じた。

「では、私は王子に賢者の知恵を授けよう」

 魔女の中でも一番力のある老魔女が、まず最初に進み出て王子に祝福を与えた。

「では、私は最高の美を」

「では、私は最高の声を」

「では、私は天賦の才を」

 魔女たちは次々と揺り籠に歩み寄り、王子に祝福を与えていく。しかし、八人目の魔女が祝福を与えたその時、一天俄かに掻き曇り、ピカッと稲妻が空を切り裂いたかと思うと、ガラガラガラッと物凄い音の雷鳴が轟いた。

「よくもアタシを呼ばなかったねええッ!」

 それは、北の山奥に棲む魔女だった。王は国内にいる魔女全てに招待状を出すよう命じたのだが、手違いでその魔女にだけ手紙が届かなかったのだ。怒った魔女は窓から部屋に飛び込むと、すやすやと赤子が眠っている揺り籠を見下ろしてニヤリと笑った。

「では、アタシからもこの赤子に祝福を与えよう」

 そしてそう言うと、赤子の前に両手をかざして大きな声で呪文を唱える。

「この者に『疑いの心』を! 他人を信じることの出来ない王子は、誰も愛せず、誰にも愛されず、孤独のまま一生を終えるであろう!」

 そして魔女は王子に怖ろしい呪いをかけると、高らかに嬌笑しながら再び箒に乗って窓から飛び去ってしまった。

「おおッ、なんということだ……!」

 王はその場にがっくりと膝を突くと、ようやく授かった我が子の不幸に言葉を失う。その時、絶望に打ちひしがれる王の前に、1人の魔女がしずしずと進み出た。それは、一番年若い十番目の魔女だった。

「王様。私の魔力はまだ弱く、北の山の魔女の呪いを解くことは出来ません。その代わりに私は王子に希望を与えましょう。大人になった王子がもし間違えることなく運命の相手を見つけることが出来たら、王子は失った愛を取り戻し、幸せな一生を送るでしょう」


「ちょっと待て。どこかで聞いたことのある話だな、おい」

 ギャルソンの昔話に、ルージュはすかさず茶々を入れる。

「何を申されますか。これは実話でございますぞ」

 ルージュの言葉にギャルソンは心外そうに返すと、白磁のティーポットをテーブルに置いた。

「この話は東西南北どの公爵も知っている公然の秘密です。しかし、誰もがすぐに忘れてしまわれた。なぜなら、ノアール王子は誰の目から見ても一点の曇りも無い完璧な第一王子だったからです」

「性格以外はな」

 ギャルソンの言葉に、再びルージュが茶々を入れる。

「ルージュ様」

 ギャルソンは、ハア、と大きな溜息を一つ吐くと、ルージュの手から便箋を取り上げた。そして、それを再び丁寧に四つに折る。

「ノアール様はご自分のお立場を重々ご承知の上で、敢えてご主人様を助ける為にルージュ様を花嫁にとおっしゃって下さっているのです。そんな心にも無いことを言うものではありません」

「そ、そんなのわかってるよ……」

 ルージュは老執事の言葉に、口を尖らせて不承不承返す。

「だから俺だって父上の為にノアールの嫁になってやるって言ってんだろ」

 ブツブツと文句を垂れると、その言葉にギャルソンは再び大きな溜息をついて、テーブルの上の封筒を手に取った。

「おや?」

 折り畳んだ便箋を元の通りに仕舞おうとしたギャルソンが、ふと気付いたようにその封筒をしげしげと見詰める。そして封蝋の辺りを指でなぞると、蝋を指先でそっと剥がした。

「ふむ……この封筒は南公爵家のものですな」

「えッ?」

 ギャルソンの言葉にルージュは驚いて目を丸くすると、その手から封筒を取り返してためつすがめつ眺める。

「封蝋の場所に家紋が入っております。この筆跡はお若い女性のものですから、きっと南公爵家のどなたかでしょう」

「ということは……オディール姫か!」

 オディールは南公爵が溺愛している一人娘で、ルージュと同じくノアールに嫁ぐことになっている。

「でも、なんでオディールが?」

 自分にこんな手紙を寄越したりしたのだろうか。不思議に思って首を捻ると、それを見たギャルソンが、ハァ、と再び溜息をついた。

「まだルージュ様にはご自覚が無いのですな」

「何がだよ」

 ギャルソンの言葉に、ルージュはムッとして尋ねる。

「いいですかな」

 ギャルソンはそう言ってルージュから封筒を取り上げると、畳んだ便箋を丁寧にしまった。

「四人同時にお興し入れなさるということは、先にお子を身篭られた方が第一王妃になられるということです。西公爵のご令嬢はまだ二歳ですからいいとして、自分以外に子を身篭れるのは東と北。東の姫は既にトウが立っておりますれば、残るライバルは北の姫のみとオディール姫はそう思われたのでございましょう」 

「はあッ???」

 その説明に、ルージュはそれこそ目玉が飛び出しそうなほど驚いて大きなアーモンド形の目を見開く。

「誰が何を何だってッ?」

「何を驚かれますか」

 ギャルソンはルージュの言葉に落ち着き払った声音で答えると、再びティポットを持ち上げてお茶のお代わりを尋ねた。

「嫁がれるからにはルージュ様にも産んで頂きますからね、第一王子を」

 残りの紅茶を飲み干そうとしていたルージュは、その言葉に口の中の紅茶を盛大に噴き出す。

「無茶を言うな!!!」

 口元を袖で拭いながら真っ赤になって怒鳴ると、老獪な執事はニヤリと笑って恭しくお辞儀をしてから部屋を出て行った。




「またここにいたのか。今度は何だ」

 その言葉が指す『ここ』とは、言わずと知れた馬屋の干草部屋の中である。うず高く積まれた干草の真ん中に体を丸めて埋まっていたルージュは、その低音の声音に思わず目をギュッとつぶると、膝を抱えて更に小さく体を丸めた。

「……放っといてくれ」

 ここにいる理由はノアールに会いたくなかったからだ。しかし、今日は会いたくないのではなくて、会ってもどんな顔をしたらいいのかわからなかったからだった。

「どうした、ルージュ。何かあったのか?」

 放っておいてくれと頼んでいるのに、しかしノアールはズカズカと干草部屋に入って来る。ルージュは目を閉じたままキュッと唇を引き結ぶと、スンと小さく鼻を啜った。

「泣いているのか?」

 その微かな音に、ノアールが驚いたのか立ち止まる。しかし、すぐに再び歩き出すと、ルージュの傍まで来て膝を突いた。

「どうした、ルージュ。いつもの能天気はどうした」

 そしてそう言いながら、手を伸ばしてルージュの前髪を優しく撫でる。

「お前はそれでいいのか……」

 ルージュが目を開けて小さく尋ねると、その言葉にノーアルは「?」と眉を顰めた。

「また唐突だな。何の話だ?」

 確かにこれだけでは何のことだかわかるまい。ルージュはウッと言葉に詰まると、再び目を閉じて縮こまる。それを見たノアールはフゥと小さく溜息をつくと、ルージュの隣に腰を下ろした。

「俺に関係することなんだな。まさか、まだ結婚したくないとか駄々を捏ねているわけではあるまい?」

 ノアールの言葉に、ルージュは小さく首を横に振って「そうじゃない」と返す。

「そのことじゃないんだ……」

「じゃあ何だ」

 ノアールとしては至極当然の言葉である。ルージュは再び言葉に詰まると、そっと視線を上げてノアールを見上げた。

「お前にかかってる呪いのことだ……」

「ああ、聞いたのか」

 ルージュの言葉に、しかしノアールは平然と答える。そして反対に「誰に聞いた?」と尋ねた。

「わからない……今朝、誰かから手紙が来て……」

 ルージュはボソボソと答えると、今朝あったことをノアールに話す。ノアールはそれを全て聞き終えると、ふぅん、と言って膝の上で頬杖を突いた。

「お前に要らぬことを吹き込んだのはオディールか」

「要らぬことって何だよ!」

 途端にルージュは牙を剥いて怒る。

「お前に関することだろ! 俺だけ知らないなんてイヤだ!」

 それに、差出人はまだオディールと決まったわけではない。そう言うと、ノアールが再び「ふぅん」と言って横目でジッとルージュを見た。

「まさか、あんな女が好みだとか言うんじゃないだろうな」

 探るような言葉に、ルージュはカッとなってノアールを睨む。

「ひとが真剣に悩んでるってのに!」

 思わず怒鳴ると、その言葉にノアールがフッと目元を和らげた。

「お前が悩む必要はない。それに、城には陰で悪口を言いながら表で媚びを売るような奴等ばかりだ。呪いなんかなくたって始めから誰も信じられはしない」

 ノアールの言葉に、ルージュは驚いて目を見開く。

「そうなのか? 俺はガキの頃からみんなにチヤホヤされてるお前が羨ましかったけどなぁ」

 呑気な声音でそう言うと、ルージュの言葉にノアールがプッと噴き出して笑った。

「お前は昔と変わらないなぁ、ルージュ」

 揶揄うようなその言葉に、途端にルージュはムッと顔をしかめて「何だよ!」と返す。

「俺だってちゃんと成長してるぞ!」

 プンと怒って口を尖らせると、ノアールは笑いながら再びルージュの額に手を伸ばし、柔らかな金色の前髪を撫で上げた。

「お前は変わらなくていい。いつも能天気な顔で笑っていろ、ルージュ」

「何だよそれは!」

 ルージュはその言葉にカッとなって、ノアールの手をピシャリと払い除ける。そして勢いよく立ち上がると、反対にノアールを干草の上に突き転がした。

「触んな! お前なんか嫌いだ!」

 捨て台詞と共に立ち去ろうとしたルージュの手首を、しかし仰向けに倒れたノアールが素早く掴む。

「離せ!」

 ノアールはルージュの手首を掴んだままグイと体を起こして立ち上がると、低い声音で「離さない」と答えた。

「絶対に離さないから、覚悟しておけ……」

 いつにない真剣な眼差しと声音に、ルージュは驚いて漆黒の瞳を見詰める。ノアールは無言でルージュを見詰め返すと、やがてスルリとその手を離した。



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