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その国の王には、年頃になる王子が一人いた。
「そろそろいかがですかな、王子に嫁取りなどなさっては」
のどかな春の昼下がり。国王の城での定例会議を終えてゆっくりと午後のお茶を楽しんでいた面々は、一人の公爵の突然の言葉に驚いて目を丸くした。
「なに、我が息子に嫁取りとな」
公爵の言葉に、国王はウ~ムと唸って思案顔になる。若くして妻を娶った国王は、しかしずっと子宝に恵まれず、ようやく子を成したのは四十過ぎであった。その王子も今年で十八。そろそろ跡取りとして妻を迎えてもいい頃である。
「実は私にも年頃の姫が一人おりまして、そろそろ良い相手を探そうと思っているのですが……」
先の公爵の言葉に、途端に周りにいた公爵たちが「なにッ?」と言って気色ばむ。ちなみに、その国は東西南北に分かれており、それぞれの公国を四人の公爵が治めていた。
「ズルいですぞ、南侯爵殿! ならば、ウチの姫を!」
憤慨したように声を荒げる東公爵の言葉に、「いやいや、ウチの姫を是非!」と西公爵が続く。
「何だと! そなたの姫はまだ二歳ではないか!」
「何を言うか! そなたの姫は出戻りであろう!」
口汚く罵り争いを始めた東西の公爵を、南公爵が「まあまあ」と言ってなだめる。そしてゆっくりと国王に向き直ると、柔和な笑みを浮かべた。
「ここはいかがでしょう。平等を期して東西南北全ての公国から姫を迎えては」
南公爵の治める国は、風土も豊かで外国との貿易も盛んである。国王に莫大な金や物資を献上している南公爵は、当然東西南北の中でも特に発言力が強い。その南公爵が『自分の姫を』ではなく『みんなの姫を』と進言したことは実に稀有なことであった。
「うむ、そうじゃな」
南侯爵の言葉に国王は大きく頷く。
「では、ここは公平に……」
国王が続けて言い掛けたその時、南公爵が突然思い出したように「ああ」と言っておもむろに北公爵に視線を向けた。
「そういえば、確か貴公のところには姫がおられませんでしたな、北公爵殿?」
南公爵の残念そうな言葉に、それまで息を殺して小さくなっていた北公爵は「えッ?」と声を裏返して慌てる。
「いやッ……あの……」
思わずシドロモドロになる北公爵を見て、途端に東西の公爵が喜色満面で身を乗り出した。
「なんと! 北には姫がおられませんでしたか!」
「それは残念!」
東と西のさも気の毒そうな言葉に、北公爵は慌てて「いえ!」と叫んで首を横に振る。
「お、おります!」
北の公国は国土も貧しく、もちろん東西南北の中でも力関係は一番弱い。ここで北だけ姫を出さねば、その差は歴然となってしまうであろう。
「おや、これは失礼」
必死の形相で答える北公爵に、南公爵がニヤリと含みのある笑みを浮かべて言う。そして、おもむろに国王を振り返ると、満面の笑みで言葉を継いだ。
「これで決まりですな。すぐに合同結婚式の準備を始めましょう。なに、全ての段取りは私にお任せください。諸外国の来賓も招いて盛大な結婚式にして差し上げましょう」
「うむ。任せたぞ、南公爵」
国を挙げての豪華な式典は、国王の権力と国家の安定を諸外国に示す絶好の機会になる。それが時期国王の結婚式ともなれば尚更であった。
「どうしました、北公爵殿。お顔の色がすぐれませんが?」
南公爵の窺うような言葉に、途端に真っ青な顔で呆然と俯いていた北公爵はギョッとして慌てる。
「な、な、な、何でもございません!」
そして、声を裏返して叫ぶようにそう言うと、国王への挨拶もそこそこに逃げるようにしてその場から退出した。
「はあッ? オレに『嫁に行け』だと~ッ?」
城から戻るなり突拍子も無いことを言いだした父、北公爵の言葉に、自室のベッドの上で剣の手入れをしていたルージュは驚いて目を丸くすると、思わず素っ頓狂な声を上げた。
十人兄弟の末子である自分に家督の順番が回って来ることはまず無い。いずれはどこぞの領地に城を持たされるか、どこぞの姫君に婿入りするのであろうと思っていたので、突然『結婚しろ』と言われても驚かないが、この言い間違いは頂けない。
「『ムコに行け』の間違いだろう、父上?」
自分の息子を捕まえて、嫁に行けとは何事か。さてはもう『もうろく』したかと、ルージュは思わず苦笑しながら剣を鞘にしまって枕元に置く。
「それで? オレはどこに婿入りすればいいんだ?」
きっとどこぞの姫君が自分に一目惚れでもしたのであろう。遊びならともかく、結婚となれば相手の身分も関係してくる。まがりなりにも公爵の息子を婿に欲しいと言うからには、相手は由緒正しき家柄の姫君に違いない。きっとどこかで自分を見初め、父親に泣き付いたに違いなかった。
(モテる男はツラいぜ)
母親譲りの甘いマスクに碧の瞳。特にその黄金色の髪は、常は後ろで一つに束ねているが、解くと腰の辺りまで豊かに波打ち、陽に透けて光り輝くその様はまるで本物の黄金のようで、その見事さはいつも冷淡で辛口な幼馴染みさえも認める程の美しさだった。この恵まれた容姿のお陰でルージュはローティーンの頃からガールフレンドは数知れず、十八となった今では夜会に来る若い女性の半数がルージュ目当てであった。もちろん、残り半数の視線を集めているのは、言わずと知れた幼馴染みのノアールである。
黒髪黒瞳のノアールは、元々整った顔立ちをしていたがここのところグッと大人び、最近では妙な色気まで漂わせている。ジッと見詰められると男の自分でも思わずドキドキしてしまい、自分から視線を逸らしてしまうことも多々あった。
(なんか『負けた』感がして屈辱だ……!)
ルージュは嫌味なくらいに整ったノアールの顔を思い浮かべ、思わずムッとして唇を尖らせる。
(だいたいアイツ、生意気なんだよな!)
昔は半年だけ生まれの早い自分を「ルーたん、ルーたん」と慕って来たのに、今や小バカにしたような上から目線で「おい、ルージュ」と呼び捨てである。
(だが、結婚はオレ様が一歩リードだぜ!)
こうなったら美人の嫁さんをゲットして幸せな結婚生活を見せ付けてやろう。ルージュはフッフッフと不敵な笑みを浮かべると、再び「それで?」と父公爵に尋ねた。
「相手は美人だろうな、父上!」
ルージュの嬉々とした問い掛けに、北公爵はフムと言って斜め上に視線を向ける。
「まあ、美人かと問われれば美人じゃな」
「マジでか!」
父公爵の言葉に、ルージュは喜色満面で身を乗り出す。
「いったい誰だッ? それほどの美人なら名前くらいは聞いてる筈だ!」
浮かれ喜ぶルージュの姿に、しかし北公爵は複雑な顔をする。そしておもむろに口を開くと、「ルージュよ」と言って言葉を継いだ。
「残念ながら、先の言葉は言い間違いではない」
「は?」
父公爵の言葉に、ルージュはどの言葉のことかとキョトンとして小首を傾げる。
「嫁に行くのはお前じゃ、ルージュ。お前は女として嫁ぐことになったのじゃ」
「はあッ?」
驚くのも道理である。ルージュは間違っても女ではないし、女っぽくもない。れっきとした男だ。
「何をアホなことを。遂にボケたか、父上」
ルージュが思わず呆れて言うと、父公爵は「それがな」と言って、つい先刻国王の城で交わされた会話の一部始終を息子に話した。
「すまぬな、ルージュ。ここで我が国だけ嫁を出さねば立場が無くなってしまうのじゃ。我慢してくれ」
「いや、我慢って問題じゃないだろう! 身の丈6フィートの花嫁なんかいるもんか!」
ルージュは思わず呆れて怒鳴り、その言葉に父公爵が手で口元を覆いながらププッと噴き出して笑う。
「何を言うか。お前は6フィートも無いじゃろう。こんなところで見栄を張らんでも」
「悪かったな!」
確かに自分は5フィートちょっとしか無いが、少なくとも背が低い方ではない。ノアールには抜かれてしまったが、公達の中ではかなり高い方である。しかも幼い頃から剣技で鍛えているので、細身ながらも程々に筋肉が付いて若者らしいしなやかな体躯をしている。決して夜目でも女に間違われたことなど無かった。
「大丈夫じゃよ。お前は母親に似て美人じゃし、髪を下ろしてドレスを着て椅子に座っておれば絶対にバレんて」
「んな無茶苦茶な!」
父公爵の呑気な言葉に、ルージュは呆れて声を荒げる。
「だいたい、声はどうする! この声じゃ絶対にバレるだろ!」
ルージュの声はノアールほど低くはないが、しっかりアルトの男声である。そう言うと、父公爵は再びフムと言って渋い顔をした。
「仕方がない。他人の前では黙っておれ。絶対に喋るんじゃないぞ」
「はあッ?」
ルージュは父公爵の言葉に今度こそ呆れて目を丸くする。そして、思わずハアアッと大きな溜息をつくと、一番肝心なことを言った。
「だいたい、いくら女に化けたって夜になればすぐにバレるだろ」
どんなに綺麗に着飾ったところで、服を脱げば一巻の終わりである。そう言うと、ルージュの言葉に父公爵が「なに、案ずるな」と言って呑気に笑った。
「相手は全て承知済みじゃ。お前は安心して嫁げばよい」
「なッ……!」
『絶句』とはこのような状態のことを言うに違いない。ルージュは目を剥き出したまま口をパクパクさせると、すぐにハッと我に返っていきり立った。
「このクソ親父! オレを変態ジジイに売りやがったのかッ?」
夜会に行くと、若い女性と同じくらい……いや、もしかしたらそれ以上の男たちから好色の目を向けられることが多い。相手もそれなりに身分があるからいつもはやんわりとかわしていたのだが、もしかしたらその中の誰かが実力行使に出たのかもしれない。
「まさか、金で売ったんじゃねえだろうな!」
まさかとは思いながらも尋ねると、父公爵が「何をバカなことを」と言って慈愛の瞳でルージュを見詰める。
「末子とは言え、お前も可愛いわしの息子じゃ。金と引き換えになどするわけがなかろう」
そして、しみじみとした口調でそう言うと、「覚えておるか」と言って窓の外に視線を向けた。
「四年前じゃ。我が国が酷い寒波に見舞われて作物が全く取れなかった年があったであろう。あの時に、自分の財を投げ打って我が国を救って下さったのがそのお方なのじゃ」
「えっ……」
その大凶作のことはよく覚えている。穀物も野菜も全く取れず、家畜がバタバタと倒れていく中、突然どこかからたくさんの援助物資が届いて領民を飢えから救ってくれたのだ。あの時は父公爵が救世主として讃えられたが、では本当の救世主はその男だったということになる。
「知らなかった……」
思わず小声で呟くと、その言葉に父公爵が「そうじゃろう、そうじゃろう」と言いながら満面の笑みで振り返った。
「そのお方が、お前を嫁にくれるならその時の借金をチャラにしようと言って下さってな!」
「やっぱり金で売ったんじゃねーかよ!」
父公爵の嬉々とした言葉に、ルージュは目尻を吊り上げて怒鳴る。
「じょーだんじゃねえ! 可愛い息子が男に掘られてもイイって言うのか!」
牙を剥き出してそう言うと、父公爵は両方の耳穴を人差し指で塞いでうるさそうに顔をしかめた。
「お前の汚い尻でもいいと言って下さるのじゃ。掘って貰えるだけありがたいと思え」
「はあッ?」
ルージュは父公爵のあまりの言葉に、思わずあんぐりと口を開ける。
「とにかく、もう決まったことなのじゃから、お前は輿入れの日まで尻でもどこでも磨いておれ!」
北公爵は一方的にそう言って会話を打ち切ると、「そうじゃ、花嫁衣裳の支度をせねば!」と言いながらいそいそと部屋を出て行こうとした。
「ちょっと待て! まだオレは相手の名前を聞いてねーぞ!」
ルージュが慌ててその背に叫ぶと、呼び止められた公爵がドアを開けながら振り返る。
「聞いて驚け」
父公爵はもったいぶった声音でそう言うと、嬉しそうにニンマリと笑った。
「なんと、お相手は国王の第一王子じゃ♪」
「………………は?」
ルージュは一瞬何を言われたのかわからなくてキョトンとする。
「これ以上の玉の輿はないぞ、ルージュよ。頑張れよ」
父公爵はそう捨て台詞を残して部屋を出ると、「玉の輿~、玉の輿~」と歌うように言いながら廊下を去って行った。
「な……な……な……」
目の前で扉がパタンと閉まるのを見詰めながら、ルージュは口をパクパクさせる。
「何だってえええええッ?」
そして思わずそう叫ぶと、ベッドの上にひっくり返った。
「国王の第一王子って言ったら……えええええッ?」
混乱する頭の中で、黒髪黒瞳の幼馴染みが形の良い唇を横に引いてニッと笑う。
「ノアールじゃんか! ノアールじゃんか! あいつ、何考えてんだよ!」
ルージュは人を小バカにしたようなノアールの笑みを思い浮かべてジタバタとベッドの上で暴れると、思わず「うぎゃあ!」と叫んで布団を頭の上まで引き被った。