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「ただいま」
といっても、返事がないのは先刻承知の上のこと。
それでも、条件反射というべきか、思わず口にしてドアを閉める。
靴を脱いで、洗面所へ向かい。
手洗いをして、うがいをして。
自分の部屋に戻り、制服をハンガーにかけると、居間に戻る。
留守電があるか、電話をみて、着信がないことにほっとする。
これから風呂を済ませて、それからずっと此処にいてもいいし、子機をもって部屋に戻ってもいい。
親が帰ってきたら、今日はまっすぐ早めに帰ってきたと言えばいい、と言い訳を考える。
旅行の準備で、早くなった、でも。
行きたくはない、旅行。
かといって、断る理由が思いつかない。
積み立てをしてくれている親に、それを無駄にするのが申し訳ない。
毎月の積み立てが戻ってくれば、親が欲しがっていた新しい鞄も買えるのに、と思って溜息をつく。
「……お風呂、しちゃおうかな」
電話の子機を持って、浴場へ向かう少女。
あ、河合さん、これからお風呂?
いいよね、昼間のお風呂。
明るくて、視界はばっちり、湯気でふんわり。
嬉しいな、お外寒かったから早く入ろうよー?
ボクね、頭にタオルまいてさ、お湯につかってるうなじが大スキ。
こう、ぴよーんって後れ毛があってさ、いいよね、アレ。
思わず引っ張って、指でくるくるしたくなっちゃう。
あ、キミもちょっとされてみたい?
ボクのテクにクラクラしちゃうよ?
だって、危険なセクシーダンディだからね、ボク。
「ふぅ」
昼間のお風呂って、変な感じ。
電気つけなくても明るくて、あたりまえだけど、外は昼間で。
ゆっくりと湯船につかり、冷えた体を温める。
指先までピンク色に染まり、湯気で満ちた浴室に自分の溜息が響く。
ちゃぷん、と湯に手を沈めて、皮膚に少しずつ気泡がついていくのをじっと見つめる少女。
なにか、考えなくては、とも思う。
かといって、何が思い浮かぶわけでもなく。
ただ、温かいその湯に体を浸しては溜息をつく。
んー、たまらないねっ?
やっぱ、お風呂ってボクだーいすきさ。
ピンク色の肌って、すっごいイイよね?
ボク、ドキドキしちゃう。
ほっぺたも、うなじもピンク。
うん、オンナノコってやっぱり大スキ。
後れ毛くるくる、したくてたまらなくなっちゃう。
いやん、とかいわれちゃったら、ボク、どうしよー?
ねぇねぇ、キミならわかるよね、このロマン。
「それじゃ、そろそろでよっかな」
一人、呟いて湯船から出る。
湯から出た途端、ずしんっと体が重くなるのを感じて、ほんのわずかにだるさを感じるが、それでも体があたたまるのは心地よい。
どうしようかな。
宿題…もないし、予習…
──明日、学校いきたくないよ…
このまま、いかなくてすむのなら、いいのに。
でも、そしたら、親心配するよね…
体を拭いて、頭を乾かす少女。
未だ湯気がひかない体とは裏腹に、加速して冷えて行く心。
部屋着に着替えて、再び溜息をつく。
お弁当、今日はいいよっていっておいて、良かった。
全て学校に置いて来てしまったことを思い出す。
昼飯を購買で買うつもりだったので、お弁当を作ってもらわなかったのは、正解だった。
今から取りにいくなんて、出来そうにない。
再び学校を思い出すだけで、一層心が冷えて行くのを感じる。
戸棚からカップラーメンを出すと、電気ポットから湯を注ぐ。
しゅわっと湯気をあげて、食欲をそそる臭いがふわっと立ち上る、が。
───……っ。
行きたくないよ……っ
ぽた、と涙が零れ落ちる。
あと、20時間もしないうちに、再び学校にいかなくてはいけない。
それを思うと、どうしようもなく哀しくて。
立ち上る湯気が温かく、心地よい、が。
ほんの少し顔を背ければ途端にどうしようもなく冷たくなる。
行きたく、ないよ。
行きたくない、よ。
──生きたく、ない…