命題9:無と同等の片鱗
怒りを拳に込めて思い切り引くと、俺は女に殴りかかった。
しかし、それを黙って見ている女じゃない。
彼女は田中へと繰り出していた三叉の槍を呼び戻すと、俺の方へと刃を向けた。
それでも俺は止まらない。
否、もう止まりたくない。
死ぬならさっさと死んでしまえばいい。
ただ、コイツの思い通りになるままに死ぬのだけは嫌だった。
だから、俺はこの拳を止めない。
「畜生ォォォォ!!」
俺が拳を突き出したのと、彼女の三叉の槍が蠢いたのはぼぼ同時。
そこから先は――まるでスローモーションのように見えた。
三叉の槍先は一度ぐるりとネジ巻いたかと思うと、そのまま鋭く俺の心臓を的確に狙いを定めてくる。
しかし、俺には何故だかわかっていた。
槍先がどこに来て、どうやって避けるかも……!!
俺はダンスのターンのように回って女の背後に回り込んだ。
そのとっさの動きに、三叉の槍の追尾が僅かに遅れ…
その遅れを利用してこっちも的確に槍の来る位置と角度を測り……
そして、再び俺は女に拳を突き出した。
ガッ!!という音が会議室に響く。
女は今度こそ驚愕で言葉と笑みを失った。
しかし何より驚いたのは俺だ。
なんと、俺は三叉の槍の三つにわかれた先端の内の長いほうを、握り締めた拳の人差し指と中指の間で挟んで止めていたのだから。
「私の三叉を……止めた!?」
「……!!」
俺は今、何をした――?
たった今の刹那の中で…
自分の意識の外で、俺はとんでもない事を考え、それも実行に移した気がする。
蠢く槍を握り拳の人差し指と中指で止める。
人差し指から血が出ているが、これは恐らく槍を止めた際に切ったからだろう。しかし、普通であればこんな怪我では済まない。
偶然、いや、もはや奇跡だ。
まともな神経ならやれない芸当だ。
「仁科……!!」
背後から聞こえた竹田の声でようやく我に返ると、俺は今の状況を確認する。
俺の右手で止められた三叉の槍は既に動きを止めていた。
どうやら三叉に別れている内の一本でも動きを止められると、他の二本も動きを封じられるらしい。
偶然開かれた、絶好のチャンス。
逃す手はない!!
「ハァァァァァア!!!!」
俺は空いている左手を思い切り握り締めると、目の前の女との距離を一気に縮め、そして、握った拳を――
叩き、込めなかった。
俺の体は痙攣を起こしたように振動し、一切の意志を受け付けなくなった。
「な……ッ!?」
ぐらりと揺れる視界。
倒れる中で右手を見ると、握った槍からスパークが出ていた。
(この槍、電気も出せるのか――!!)
膝を付く。
埃まみれの床に顔が近づく。
そして、そのまま痺れて倒れこんだ俺の意識は、深い闇の中へと落ちていった―――。
〇〇〇〇〇〇〇〇
「仁科ァ!!!」
倒れこむかつての級友、そして今は善きターゲットである仁科を見て、竹田は叫んだ。
「結局みんな……死んじまうのかよ…!!」
正確には、仁科は死んではいない。
しかし、それが現実となるのも時間の問題だった。
そしてその現実が訪れるのは、何も仁科だけではない。
竹田とて例外では無いのだ。
女―字那ゆま―は、まさにその現実を実現させるべく竹田へと歩みを進め、ついに手に持った槍を竹田の首筋に触れさせた。
「ひっ……!!」
「動かないでくださいねぇ…。動けば刺します。動かなければ、このまま殺してあげます。ですから安心してください…。あなたもすぐに仲間のもとへ行けますから、ね♪」
その一切安心出来ない台詞は、竹田の逃げる意志を奪うのに充分だった。
動けない。
動けば、殺される。
しかし、動かなくても殺される。
死から逃れるすべなどもう無かった。
そこでは、ただ処刑を待つ時間と恐怖しか存在を許されない。
竹田は短すぎる人生に幕を下ろされる覚悟を決め、静かに目を閉じた。
「いいですわ……。往生際はやはり、ある程度良くないと。」
そして、女は、ゆまはやはり不気味な笑みを浮かべて槍を今付き立てんと振りかぶり、……………。
一瞬だった。
ゆまの手から槍が吹き飛ばされた。
「……あ……?」
悦楽を奪われ、唖然とする女。
「誰ですのぉ…? 私のォ……大事な大事な殺戮タイムを邪魔してくれたのはぁ……?」
僅かに怒りの表情を含んだ視線ぶつけた先には――、窓。
そして、その窓には銃痕があり――その銃痕を確認できた瞬間。
窓を割ってノゾキ達が派手に乱入してきた。
「竹田!!田中!!北川!!橋岡!!」
「仁科!!」
各々が助けた少年たちの名を叫びながら。
しかし、そこには倒れたままの仁科と、恐怖に怯えながら首から血を流す竹田と――首から上だけで槍に刺さった北川と橋岡がいた。
それは助けたはずの命が奪われた凄惨な現場だった。
「字那ゆまァ………!!!」
状況をすぐに判断した笠音もまた、髪を逆立たせるほどに怒り狂っていた。
「貴様……無関係で無力な人間にまで手を出すか……!!」
ノゾキもまた、その怒りを隠さない。
すると、先ほどの怒りを落ち着かせた字那は…
「無関係?無力ぅ?ふっはっはははっ!!」
また笑いだした。
「何がおかしいっていうの!!」
「ハッ!! 可笑しいにもほどがありますわ…!! この世界にいながら、戦いに無関係な奴なんか存在しません!! この世界に存在するだけで、この世界の本質を動かす力の片鱗を担っているのですよ? たとえそいつの力が微弱で、無いに等しかったとしても!! この世界は等しく他者から影響を受ける!!
それに何? 無力ですって? 無力なのは私のせいじゃないわ。全ては弱い奴の責任!! 弱いくせにこの世界に来たその身勝手さが悪いのであって、それで私を非難するだなんて、ちゃんちゃら可笑しいですわ!!」
「そ・れ・に」と字那は付け足す。
「弱い奴が強者たるこの私に殺されることに何の不自然さがありますの? これは必然!! 当然の報いと運命なのですわ!!」
もうその目は笠音を見ていない。
奢りと欺瞞と独善に支配された目に映る景色は、彼女の理想しか映さない。
「アンタ……!! いいわ……。ここで会ったが百年目、アンタを潰す!!」
笠音はそんな字那へと己の力の矛先を向ける。
「……うるさい方ですわねぇ……。今は私、戦いたくありませんの。誰かさんが私の余興を邪魔してくれたおかげでね!!」
そして、倒れたまま気を失っている仁科を掴むと
「――というわけで、私は帰りますわ。―この人間は手土産に貰っていきます。
では、ごきげんよう。」
と言って自信の鎧に能力を込めはじめた。
「待ちなさい!! まだ話も決着も終わってないわよ!!」
そう言いながら笠音は字那へと突撃する。
が、突如字那の周囲から爆炎があがり――
爆炎が収まったころには、その姿はすでに無くなっていた。
怒りのぶつけどころを失った笠音が壁を殴り、その壁を吹き飛ばす。
そして――
「…ァァァァ………!!
ア゛ア゛ア゛ア゛アア゛!!!」
その怒気をはらんで慟哭する声だけが、ボロボロとなったビル内にこだました。




