無気力戦国記~万太郎の大誤算~
前作、万太郎の高笑いの続編です。
ほーほけきょと鶯が囀るのどかな昼下がり、お八つの大福を食していた万太郎は、右腕の言葉に、歯形がついたそれをぽろりと落とした。
「あっ、もったいないなー」
花乃助が転がった饅頭を拾い上げるが、万太郎はそれ所ではない。
精悍な顔を引きつらせて、忠治に尋ねる。
「今、なんて言った?」
「ですから、万太郎様もそろそろ奥方を迎えるべきではございませんかと、申し上げたのです」
「……そうか、聞き間違えじゃねぇのかよっ!」
思わず乱れた口調に、忠治がすかさず叱責を飛ばす。
「万太郎様っ、お口が悪ぅございまずぞ! 貴方様は今年で二十と一つ、程よく適齢期ではありませぬか。そのお年で正室は元より側室もいらっしゃらない方が珍しいくらいです」
「やかましい。大体、それを言うなら先にお前が室を取れ。お前の方がオレより上だろうが」
「忠治のことはよいのです。私は貴方様にお仕えすることこそが、至上の喜びなのですから!」
「……とか言っちゃって、本当は女が怖いだけじゃん」
胸を張る忠治に、花乃助がぼそりと突っ込む。忠治は以前、仄かに好いていた女子に、夜這いをかけられたことがあるのだ。幸いと言って良いのかわからないが、未遂で終ったその事件は、彼の心に深く傷を残している。右腕曰く、女は怖いものだと。
「聞こえていますぞ、花乃助殿っ!」
「ひゃっ」
目を光らせた忠治に怒鳴られ、花乃助は飛び上がった。その拍子に歯形が増えた饅頭が、またしても転がり落ちる。
それを見て、忠治が雷を落とした。
「貴方と言う人は、いつの間に万太郎様の饅頭を食していたのですっ!」
「こ、転がってたし、いいかなぁって思って……」
大きな身体を小さくして、それでも名残惜しげに饅頭に視線を送る花乃助に、万太郎は呆れた。
「良いわけがあるか、この阿呆。お花、お前は一応武将だろうが、拾い食いなんかするんじゃない」
「一応って、酷いよ。だって……、旨そうだったんだもん」
「花乃助殿っ!! そんな姿を部下に見られたら何とするのです! 示しがつきませんぞっ!!」
「わーっ、ごめんなさいっ、もうしません!!」
がみがみと叱られる花乃助が少しばかり気の毒に思え、万太郎は饅頭を皿の隅に拾い上げて、助け舟を出してやる。
「忠治、それよりも話を戻せ。オレはまだ室を取る気はないぞ」
「それならばいつなら宜しいのです?」
「さぁーなぁー」
「そのように、のらりくらりと忠治を煙に巻こうとしても無駄ですぞ! 曙家の当主たるもの、子孫を残すも大切なお役目の一つ。万太郎様にはきちんとした奥方を迎えて頂かないと」
「奥方なぁー」
万太郎はなんとも言えない顔で、新しく皿にある饅頭をぱくりと食す。そのやる気がまるでない態度に、忠治は熱くにじり寄る。
「僭越ながら、私が奥方候補を集めましょう。ご要望があれば何なりと申してくだされ。貴方様のお気に召す女子を、必ずや探し出して見せましょうぞ!!」
まん前まで顔面を寄せる右腕に、万太郎は手刀をくれてやる。
「暑っ苦しいわ! 鼻息荒く寄るんじゃない。オレは女なんぞどうでもいい。お前の嫁候補でも探して来い」
よほど痛かったのか、顔を上げた忠治の目にはうっすらと涙の膜が張っていた。
しかしそれでも右腕はめげない。
「ぐぐっ、見事な手刀ですな、万太郎様。お強くなられて、忠治は嬉しゅうございますぞ! ですが、それとこれとは話が別でございます。いずれ必ずや、奥方様を迎えていただきますぞ。それになにより奥方様をお迎えすれば、少しは天下取りにもやる気が出ましょうぞっ!!」
「またそれか……ったく、あいつのせいで踏んだり蹴ったりだな」
万太郎はため息を吐く。実は、この間の内案はある人物に阻止されてなかったことにされてしまったのだ。
おかげで、せっかく忠治を丸め込んだのも無駄になり、万太郎はまたしても右腕に天下取りを迫られている。
その時、ふいに廊下から足音が聞こえてきた。
「殿、昌義でございます。失礼しても宜しいでしょうか」
噂をすれば影だ。
「いいぞ、入れ」
入室を許可すれば、にこやかな笑みを浮かべた背の高い男が入ってきた。
花乃助ほど筋肉質ではないが、ほどよく筋肉がついた男はすらりと背が高い。顔は面長で、この男は基本的にいつも穏やかな眼差しをしている。
だが、なかなかの食わせ物で、万太郎はこの男、笹本昌義が苦手だった。
「やれやれ、三本が揃ったか」
ぼやいた万太郎を、昌義はおかしそうに笑う。
「殿は面白いことを仰いますな。さしずめ、小生はそのまま三本ですね」
花乃助がきょとりと首を傾げる。
「なにそれ?」
「殿が付けて下さった小生達のあだ名よ」
頭の回転が速い男はこれだから嫌なのだ。まだ何のことだかわかっていない花乃助の方がよほど可愛げがある。
万太郎はため息交じりに口を開く。
「お前達は全員苗字にもとがつくからな。花乃助は二本だな。そして一本は、忠治だ」
「えー、オレ二本なんて嫌だよー」
「何を仰います、花乃助殿! 万太郎様がつけてくれたあだ名でしたら、忠治は一生大事にしますぞっ!」
「あーそうかい」
どう考えても、花乃助の反応が正解だろう。忠治は嫌がらせに気付きもせず、本気で嬉しそうな顔をしている。
万太郎は右腕に向けていた半眼を、昌義に戻す。
「それで、昌義はオレに何の用だ?」
「ご報告に来たのですよ。申し訳ないのですが、殿にはこれより一週間、執務漬けになって頂きます」
「何っ!? 何故だ、オレは執務を溜めることなく、期日も守っているはずだぞ?」
執務漬けの一言に、万太郎の目に強い光が宿る。冗談ではない、今日の執務を終えれば明日は休みのはずだった。
しかし殺気交じりの視線を受けた昌義は、穏やかな笑みを崩さない。
そして次の瞬間、爆弾を落とした。
「殿には一週間後、お見合いをして頂きます」
「はぁ!?」
「なんですと!?」
「へー、お見合いかー」
約一名、のん気な反応をしているが、問題はそこではない。
「なんだって急に見合いなんだっ? その話を聞いたのは今日だぞ、ついさっきだぞ、半々刻も経ってないんだぞ!?」
「そうです、その通りです、早すぎましょう! 私はまだ、奥方候補を捕まえてもいませんぞ!?」
「大丈夫だ。小生に抜かりはないぞ、忠治殿。今回はあちらからの申し出ですので、最終的にお断り頂いても結構。しかし相手への礼儀として、その場には必ず出てもらいますのであしからず。まぁ、物は試しと申しますし、気楽に行きましょうか、お二方」
にっこりと肩を叩かれて、万太郎は絶叫した。
「ふざけるなーっ!!」
二つの歯型をつけた饅頭が、皿の上でころりと転がった。
忠治を丸め込めた彼も、昌義にはたじたじでしたね。
はたして万太郎はこの後、お見合いを回避できたのか?それとも昌義に押し通されてしまったのか? どちらでしょうね?
それでは最後に、読んでくれた貴方がほのぼのできたなら幸いです。