血も涙もない佐藤のスカウト術
次の日。
俺は再び、全校生徒の笑いものになっていた。
あゆっちが恐るべき反射神経で激写したあの写真は、あろうことか学校の新聞部へと流出。その日のうちに学校内ネットニュースのトップを飾ることになったのだ。
【悲報】2-Bの一ノ瀬和哉、ついに女子トイレで現行犯
そんな悪意100%の見出しと共に、涙目でおにぎりを抱える烏丸さんの手前で、なぜか仁王立ちで道を塞いでいる俺の写真がデカデカと拡散されていた。絵面が完全に変態のそれである。しかも個人特定できる程度に修正が入れられているのが、いっそう不審者に見えた。
当然、俺の朝は教室ではなく、重苦しい『生徒指導室』から始まることになった。
そこでの俺は、まさに死に物狂いだった。
急激な腹痛に襲われてやむにやまれず駆け込んだのだと涙ながらに訴え、さらには今の時代におけるジェンダーフリーの観点まで持ち出して、必死に弁明した。
――が、そんな涙ぐましい悪あがきも、ゴリラ教師の冷徹な眼光の前には一切通用しなかった。
結局、女子トイレ侵入の罪として、たっぷりと反省文を書かされる羽目になったのだった。
こうして、せっかく持ち直しかけていた俺の人権は、音を立てて再び地に落ちた。
昼休みの教室は俺に対する冷ややかな視線とヒソヒソ話で満ちており、まさに針のむしろ状態。とてもじゃないが息すらできない。
俺は教室を脱出し、心の安息地を求めてオカルト部の部室へと逃げ込んだ。
ガラッ
「――やあ一ノ瀬君。ジェンダーフリーを盾にした素晴らしい弁明だったよ」
「うるせえ佐藤! どの口が言ってやがる!」
そこには、すべての元凶である佐藤が、相変わらず平然とした顔で眼鏡のブリッジを押し上げていた。
だが、いつもと違うのは、佐藤の対面の席に、ちょこんと小さくなって座っている先客がいたことだ。
長い前髪の隙間から、怯えたような瞳でこちらを見つめてくる少女。――烏丸穂乃花さんだった。
「あ……一ノ瀬、くん……。あの、ごめんなさい、私のせいで、ニュースに……」
「いや、烏丸さんは悪くないよ。元はといえば俺がやらかしたのが原因だし……それより、体調は大丈夫?」
俺がパイプ椅子に腰掛けながら尋ねると、彼女は小さく頷いた。
どうやら、俺の対極で注目された烏丸さんを、佐藤が彼女をここまで誘導して保護してくれていたらしい。
佐藤が手元の資料をトントンと整えながら、静かに口を開いた。
「さて一ノ瀬君。君が社会的抹殺を対価にして得た成果だ。烏丸さんから詳しい事情聴取をさせてもらっていたところだよ」
俺は居住まいを正し、烏丸さんに向き直った。
烏丸さんの口からぽつり、ぽつりと語られた内容は、胸が締め付けられるほどに生々しい、彼女の「孤独」の記録だった。
彼女は毎日、あの特別棟3階の女子トイレの個室という閉鎖空間で、一人きりで昼食を摂っていたという。
「クラスのみんなが……楽しそうにグループで話してるのを見るのが、辛くて……。私だけ、どこにも居場所がなくて、自分から距離を置いちゃって……」
烏丸さんは、細い指先をぎゅっと握りしめながら俯いた。
「毎日、狭い個室でおにぎりを食べながら……どうしても考えちゃうの。なんで私ばっかり、こんなに惨めなんだろうって。みんな楽しそうなのに、どうして私だけ独りぼっちなんだろうって」
胸の奥に澱のように溜まっていく、周囲への強い不満。
誰にも打ち明けられない、底なしの孤独感。
「最初は、ただの愚痴のつもりだったの……。でも、毎日あそこで一人で呟いているうちに、なんだか頭がぐにゃぐにゃしてきて……みんな、消えちゃえばいいのにって、呪うように……」
彼女の告白を聞きながら、俺の霊感応能力が、彼女の背後にうっすらと漂うドロドロした黒いオーラを感知していた。
間違いない。
毎日同じ時間、同じ閉鎖空間で、一人の少女が放ち続けた純度の高い孤独のエネルギー。
それがあのトイレの空気を汚染し、熟成され、夕方になると怪異として具現化していたのだ。
「――なるほど」
すると、佐藤が眼鏡の奥の目をきらりと光らせ、冷徹な分析官のような口調で言い放った。
「素晴らしいね。烏丸さん、君は呪術師として極めて優秀だ」
「……え?」
佐藤の予想外の言葉に、烏丸さんが呆然と声を漏らす。もちろん、俺もひっくり返りそうになった。
「おい佐藤、何言ってんだお前!? 彼女は怪異を生み出しちゃって悩んでるんだぞ!」
「だからこそさ、一ノ瀬君。普通、素人が吐き出す程度の呪詛は、その場の空気に混ざってすぐに霧散するものなんだ。だが、彼女の呪詛は散らない」
佐藤はホワイトボードに向かい、さらさらと図を書き込んでいく。
「彼女は毎日同じ時間、同じ場所、同じ感情を正確に反復し続けた。その結果、無意識のうちに呪術的な儀式を完全な形で成立させていたんだよ。呪詛が極めて安定しており、再現性がある。夕方になれば確実に怪異化するだけの、異常な密度を持っているんだ」
淡々と語られる佐藤のロジックに、烏丸さんは怯えたように自分の手を見つめた。
「じゃあ……私のせいで、また、あの怪異が生まれるの……?」
「ああ、生まれる。君が普通に学校生活を送り、昼休みに孤独を感じる限りは、何度でも自動的に具現化するだろう」
「そんな……!」
絶望に顔を伏せようとする烏丸さんに、佐藤は言葉を続けた。
「勘違いしないでほしいが、問題は君の人格やメンタルにあるんじゃない。君に、その強大すぎる才能を制御する知識がないことだ」
烏丸さんは縋るように、前髪の隙間から佐藤を見上げた。
「じゃあ……私、どうすればいいの……?」
「呪術を学ぶべきだ」
佐藤は至極当然のように言い放った。
「感情の正しい流し方。呪詛の制御方法。そして怪異を発生させないための基本理論。それらを体系的に学べば、二度と暴走を招くことはない。――基礎程度なら、僕が教えてあげられるよ」
「君には、それだけの価値、才能がある」
佐藤の言葉が、彼女の冷え切った心をじわりと溶かしていく。
烏丸さんは深く息を吸い込み、まだ少し震える声ながらも、明確な意思を宿した瞳で俺たちを見た。
「……入ります。オカルト部。私、自分の呪力を、ちゃんと抑えられるようになりたいです」
「――賢明な判断だ。歓迎するよ、烏丸さん」
佐藤が満足そうに口元を緩める。
新部員、加入。
ひとまずは最悪の怪異暴走を防ぐ道が見え、俺は大きく一安心した。
(……ふぅ、よかった。これで一安心だな。あとは放課後に反省文を書くだけだ……)
俺は胸を撫でおろし、背もたれに深く体重を預けた。
そのとき、ノックもなく部室の扉が開かれた。
「失礼する」
そう言って入ってきたのは、結衣会長だった。
結衣会長は遠慮なく部室の中へと入ってくると、上座の空いているパイプ椅子に静かに腰掛けた。
その態度は豪快そのものなのに、指先一つの動作はどこまでも美麗で、不思議な威圧感を放っている。
そんな会長が、俺と佐藤、そして怯える烏丸さんを順番に見据え、不敵な笑みを浮かべて口を開いた。
「『女子トイレの怪』ご苦労だった。これで女子トイレを怖がる噂もなくなるだろう」
「……え?」
てっきり「学校のネットニュースを騒がせやがって!」と、説教されると身構えていた俺は、完全に拍子抜けしてしまった。
「あ、の……結衣会長? 怒って、ないんですか……?」
「怒る?何を寝ぼけたことを言っている」
結衣会長はふんと鼻を鳴らし、美麗な動作で髪をかき上げた。
「一ノ瀬が女子トイレで不審者扱いされてネットニュースで晒されてるのは、まあ、いつものことだ。そんなことより、怪異の原因を突き止めて学校の平穏を守ったんだ。生徒会長として、まずはその功績を褒めてあげるよ」
豪快に笑う会長。
しかし、その鋭い視線が、机の上のおにぎりと、小さくなっている烏丸さんへと向けられた瞬間、その瞳に妖しい光が宿った。
「で……そっちの大人しそうな子が、今回の『主』だね?」
ひっ、と烏丸さんが肩をすくめる。
すかさず、それまで黙っていた佐藤が、眼鏡のブリッジを押し上げながら、机の上へすっと一枚の紙を滑らせた。
「会長、彼女のことは僕に任せてほしい。彼女の入部届です」
「ほう?」
結衣会長は美麗な手つきでその紙を拾い上げ、じっと目を落とした。
「二年、烏丸穂乃花、ね。なるほど、今後は佐藤が彼女を指導するってことだね。了解した」
結衣会長は満足そうに小さく頷くと、入部届を制服のポケットへと綺麗に収めた。
「学校の安全のためにはそれが一番手っ取り早いか。じゃあ、今回の報酬はオカルト部の部活予算に加算してから、しっかりたのむよ」
「感謝するよ、会長」
その横で、俺は「え、予算増えるの!?」と現金な驚きに目を見張っていた。社会的抹殺を喰らった俺への慰謝料は一円も出ないが、ひとまず部の財政が潤うなら万々歳だ。
「それじゃ、私はこれで失礼する。一ノ瀬は放課後、ちゃんと反省文を書きに行きなよ?」
結衣会長は立ち上がると、最後に俺にだけ釘を刺し、優雅な足取りで部室を去っていった。
嵐が去ったような静けさが、再び部室に戻ってくる。
「……ふぅ。これで本当に、一件落着、なのかな?」
新部員、加入。オカルト部の予算、アップ。
そして俺の社会的地位はどん底のまま――。
犠牲になったのは俺の尊厳だけ。
まあ、いつものことだ。




