寝ずの番
音を意識した恐怖ってなんだろう。
一人称は俺に変換したが実体験が元。
未だに分からない。
祖母の訃報が届いた。
盆と正月程度しか顔を合わせなかったが声を荒立てている所は一度も見たことがない。
交友関係は派手な人ではなかったようで近親者のみの葬儀を行うことになり祖父は既に亡くなっていたので長男の父が喪主になった。
問題は通夜の後に行う寝ずの番だ。
昔からのしきたりで誰かが祖母の遺体を見守ることになっているのだが喪主の父は体力的に難しい。
そのため俺が寝ずの番を務めることになった。
昔、ご遺体を鼠が齧った事があったそうで鼠よけの効果がある香を焚いて見守った事が始まりらしい。
肝心な葬儀の時にご遺体に鼠が齧った傷が残されているのは良くないのだろう。
「後はお願いね。」
通夜を終えて、母が心配そうに差し入れの珈琲をもってきた。
ローテーブルに置かれたマグカップからゆっくり揺れる湯気越しに見える部屋は灯りがついているのに何処か薄暗く夏の蒸し暑さがある筈なのに寒々しく感じた。
耳の奥が痛くなるような沈黙。
深く息を吸い込むと寝ずの番で焚くお香は少し喉に刺激を感じた。
蝋燭の残りを意識しながら気をつけてお香を焚いていたがいつの間にかうたた寝してしまったようだった。
最初の異変は小さな衣擦れのような音。
軽い布をめくるような小さな物音だった。
そしてスッッ…スッ…スッッと片足を引きずるように畳を歩く音に変わった。
先ほど珈琲の差し入れをした母が再び様子を見に来たのかと思ったが…違った。
山登りが趣味の母は健脚で足を引きずらない。
ローテーブルの冷めた珈琲の入ったマグカップを眺めていたが突如被さる様に床に向かって伸びる艷やかな黒髪によって視界を遮られた。
背後に誰かいる。
そして通夜の参加者の最年少は俺で赤みの強い茶髪、参列していたのは白髪混じりの親戚ばかりで黒髪の人はいない。
ドッ…ドッ…ドッ…。
恐怖と混乱で破れそうな心臓の音が耳奥で煩い。
ソファーの後ろから誰かが俺を頭上から覗き込んでいるようで暖かく生臭い息を後頭部から首筋に感じた。
まるで何かが腐敗するような甘く饐えた臭い。
動けなかった。
動いたり、起きている事に気付かれたら負けだと思った。
ジッ…ジジッ…
蝋燭の芯が燃える音が聞こえるくらい静かな部屋で謎の人物の息遣いと俺の破裂しそうな心臓の音が聞こえる様だった。
時間がどれくらい経過したのだろうか。
不意に外から威嚇するような猫の鳴き声がした。
バッ!っと布を勢い良くめくるような音と共に視界を遮っていた髪が見えなくなった。
現れたときのゆっくり引きずるような足音ではなく
ドサドサ…バサバサ…と慌てながら畳を這いずる様な音だった。
築年数が経ち歪んだ雨戸の隙間から光が差し込み朝が来たのだと思ったがマグカップの珈琲に口を付ける気持ちにはならなかった。
朝が来た、それだけがただうれしかった。
葬儀前に和尚から『良くない物が憑いてるね。』と背中を強く叩かれたのも今となっては良い思い出。




