14.約束
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水族館をたっぷり満喫して、私たちは帰路についていた。
「これからどこ行くの?」
「あー、俺んち、行こうかなって」
ハルキはちょっと照れたように言った。
「一人暮らしなの?」
「うん。今はパチンカスも死んでいないしさ」
「死んだ……」
パチンカス、というのはハルキの両親のことだろう。自分の親が死んだという話なのに、ハルキはとても嬉しそうだった。
「俺が働き始めてすぐ、組長に殺された。俺嬉しかったよ。おかげで金を全部自分で使えるようになったから」
「組長は、ハルキのために殺したの?」
「いや、組に借りてた借金が返せなくなったんだって。組長は内臓全部売らせて返させたんだ」
「そうなんだ」
物騒な話、というか。勇気からもそういう話は聞かされていたけど、やっぱり、ヤクザはやることが恐ろしい。
「ハルキ、他にしたいことある?」
「俺は夢が叶ったからわりともう良いかも。ナホはなんかある?」
「私は……」
ナホ、と呼ばれることに慣れつつ、何をしたいか考えてみる。
私のしたいことって、なんだろう。自由になって、色んなことをしたいと思っていた。でも、いざ自由になってみると、何も思いつかない。
「遊園地……」
「遊園地行きたい?」
「うん」
ふと思い出した。勇気の車の中で見た遊園地。あそこに行ってみたい。
「この近くに遊園地あるし、チケットとって今度行こう」
「お金、大丈夫なの?水族館でも私の分まで払ってくれたけど……」
「うん、俺、他のことに使うより、ナホに使う方がずっと楽しいから」
変なの、と思った。こんな、赤の他人に近い女に使うのが楽しいなんて。
私はハルキの様子に不安になった。悪い人に騙されたりしないだろうか。
「ハルキ、無理しなくて良いよ。私、生きていられるだけで幸せだから」
「でも、せっかく付き合ったんだから、恋人らしいことしようよ」
「……そうだね」
仕方なく頷く。ハルキはにこにこしていた。
それから暫く車に乗っていた。やがて、車は高層マンションの駐車場に入っていく。
意外、と思った。話しぶりからして、てっきり、貧乏なのかと思っていたけれど。
「ここが俺んち」
「立派だね」
「組長がくれた」
「可愛がられてるんだね」
「ここ、全部組長のだから。人が居ても居なくても変わらないんだって」
「そうなんだ」
そう話している間に車は止まり、ハルキは扉を開ける。私も扉を開けて車を出た。
二人でマンションの中に入る。
エレベーターで12階まで上がり、一番端の部屋に入った。中は殺風景だった。必要なもの以外なにもないみたいだった。
「ねえ、ナホ。俺のこと、どう思う?」
ソファに座って開口一番、そんなことを言われた。
その目は思いの外暗い光を放っていた。
私はその質問の意図が掴めず戸惑う。
「かっこいいよ」
「本当に?俺に殺されたくないからわざとそう言ってるんじゃないの?」
「そんなことないよ。ハルキと付き合えて良かった」
それは半分嘘で半分本心。
なんとなく、ハルキは寂しい人なんじゃないかと思った。だから、優しくしてあげたい。彼女なら、その資格があるんじゃないかと思うから、彼女になれて良かった。
もちろん、こんな短期間に本当に好きになれるはずもないし、ほとんど他人みたいな人と付き合うことは少し怖い。だから付き合いたくない気持ちもある。
だけど、私はもう、生きたいんだ。勇気のために。勇気と、二人で幸せに暮らすために。そのためには、これは必要なこと。
私が真っ直ぐハルキを見つめると、ハルキは突然目に涙をためて私を抱きしめた。
加減もしていないような強い力。ハルキは勇気ほどじゃないけど体も大きいし力も強い。だから痛い、と心の中で思った。
でも、なんとなくそれは言わない方が良いような気がして、されるがまま、受け止める。
「そんなこと言ってくれるの、ナホだけだよ……ナホは俺のこと、愛してくれる?」
「うん。ハルキは、私のこと愛してくれるの?」
「うまくできるか、分からないけど……俺はナホのこと、もう離したくないって思うよ」
ハルキは切迫したような声で言った。心からの言葉なんだと直感で悟った。
どうしよう。ずっと離してくれないのは困るんだけどな。
でも、ハルキはきっと、そういう風にしか好きを伝えられないんだと思う。好き、も愛、もよく分からないのかもしれない。私と、同じ。
こうして強く抱きしめるのは、誰かに抱きしめてもらいたいからなんじゃないかと思った。
ゆっくり、ハルキを抱きしめ返す。
「大丈夫、大丈夫……私はいなくならないよ」
「本当に?離したら、ナホ、逃げたりするんじゃない?だって俺なんかのこと、本当に好きになってくれる人なんていないよ……実の親だって好きになってくれなかったんだ……目的もなしにそんなこと言う人なんて」
あ、良くない……かも。なんか、ハルキ、駄目なスイッチ入っちゃってる。
私はそんなこと言っちゃ駄目だよ、って伝える気持ちで、ハルキの話に割り込んだ。
「ハルキ、私は、違うよ。ハルキのお父さんとかお母さんとは違う。だから、ハルキから逃げたりしない。ハルキのこと、好きだよ。ずっと好きでいるよ」
好き、と本心から言えているかは、私にも自信がなかった。でも、とにかくハルキを慰めてあげたかった。好き、なんて私にも分からないけど、ハルキの気持ちは分かる。何を言ってほしいかも。
まるで自分に話しているみたいだった。
私の言葉に、ハルキはぶつぶつと呟くのをやめて、暫く黙り込む。
私を抱きしめるのをやめて、私の肩を手で掴みながら、ジッと私の顔を見つめた。
「ナホ、嘘じゃない……?」
深淵を見ているようだった。暗くて底なし沼みたいで、あまりにも深い。私がむやみに入るべきじゃないのかもしれない、と思った。
それでも、今、彼を助けてあげられる人は私だけなんだろう。きっと。だから、私はその目を同じように見つめ返した。
「うん。……約束、する?」
「してくれるの……?」
私はこくりと頷いて、肩に置かれたハルキの手をそっと握って私たちの真ん中に持っていった。
そして、彼の小指と私の小指を絡ませて、囁くように歌う。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った!」
ハルキは呆然としたようにそれを眺めていた。ずっと、何も言わなかった。
ただ、やがて震えだした手をジッと見つめて、ぶわり、と目から涙を溢れさせた。
「お、俺、ずっと、ナホのこと、好きでいるから……っ!だから、ずっと、一緒にいて……」
そう言って、ハルキはまた私のことをぎゅっと抱きしめた。やっぱり強くて、少し痛かった。
私は子どもをあやすようにハルキを抱きしめ返して背中を撫でる。大丈夫だよ、良い子だからね。そんな風に言うみたいに。
そうやってどのくらい経っただろうか。ハルキはゆっくりと私を離し、真っ赤な目ですがるようにこちらを見た。
「ハルキって、筋肉あるんだね」
私はその腕を見つめながら言った。
力が強いのも当然かも。細く見えた体は、実は隅々まで筋肉がついていた。ちゃんと男の人なんだ。そう思うと、少し怖い。
この手も、誰かを殴るのかな?そういうのは、あまり見たくないんだけど。でも、ヤクザだったら、きっと、そういうことはするよね。
強い人は、好き。私を守ってくれるから。でも、同時に怖い。強い人には、逆らえない。
ハルキは私が唐突にそんなことを言ったので、綺麗な目を大きく丸めた。
「……ナホは、筋肉あるのいや?」
「ううん。強そうでかっこいいよ」
「そ、そう」
ハルキは照れくさそうに目を伏せた。私はそっとハルキの頬に手を添える。
ゆっくりとまぶたを上げるハルキを見つめる。ハルキは私の手が触れているところを見た。
「ハルキ、私のこと、守ってね」
私がそう言うと、ハルキは静かに瞬きをした。
「うん、守るよ。何があっても、どんなものからも、俺の全部をかけて守る」
まるで王子様みたい。私はその言葉に嬉しくなった。
「ありがとう」
内から自然に笑みをこぼす。口角を上げて、目を細める。
ハルキは目を見開いて私を見た。頬が赤く染まっていき、瞳の奥が揺れる。
からんころんと、何かが落ちた気がした。それはハルキの心の音なのかもしれなかった。
私はハルキの頭をなでた。優しく、何度も何度も、かつて私がされたかったみたいに。ハルキは目を閉じて、じっとそれを受け入れていた。私はそれが嬉しかった。
さっき出会ったばかりの人。でも少しだけ知ることができた人。愛されずに泣いていた、私と同じ境遇の人。
彼を救えたら、私も救われるのかな。そう、思った。
だから、これは私のための優しさ。
暫くして、私はおもむろに立ちあがった。
「ハルキ、そろそろ7時だよ。ご飯食べよう」
ハルキはパッと目を開けて私を見た。そして、うん……と夢の中にいるように返事をする。
「冷蔵庫、見ても良い?」
「いいよ……でも、なにもないんだよね」
その言葉通り、冷蔵庫は空っぽだった。何のためにあるのかも分からないほどに。
「ハルキ、何食べたい?」
「俺……俺、どうしよ。彼女と一緒に食べるものまでは考えてなかった……」
「考えなくていいよ。今欲しいものを教えて」
すると、ハルキは暫くうーんとうなっていた。
「俺、あんまり、食べることが好きじゃないんだ。だから、食べたいとか、そういうのってないんだよね」
「そうなの?好き嫌いとかない?」
「……オムライスは、嫌」
ハルキは暗い目をして言った。
オムライスが苦手なんて、珍しいな。大体皆好きなのに。でも、そういう人もいるのかも。ケチャップご飯が苦手とか、卵焼き系が苦手とか……。
「そっか。じゃあ、そうだな……カレーライスは?」
「カレーライス?俺、食べたことないや」
「そうなの?」
「うん……そういう凝ったものって、あんまり、作ってもらえなかったから」
そうなんだ……。ハルキは、やっぱりつらい思いをたくさんしてきたみたい。カレーライスなんて別に、どこの家庭でもありふれているものなのに。
「じゃあ、今回が初めてのカレーライスだね。なるべくおいしく作るから、材料買いに行こう」
「わ、分かった。車出せばいい?」
「うん」
私がうなずくと、ハルキはのろのろと立ち上がり、玄関へと進んでいった。
私もその後をついていく。
外に出ると、空は曇り空だった。
……あ。
雨だ。
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