あの子は
•瑞希:クラスの中心にいる人気者。明るい笑顔の裏に、誰にも見せない冷たい一面を隠している。
•凛:瑞希の幼馴染。穏やかで慎重だが、瑞希の秘密を知ってしまい、心が揺れ動く。
•雫:教室の隅で本を読む少女。冷静な観察者であり、全てを見ているかのような沈黙を保つ。
•美波:明るく噂好きなクラスメイト。他人の秘密を暴くことに快感を覚える。
クラスの人気者・桐生瑞希は、明るく社交的で誰からも好かれる存在だった。
しかし放課後、校舎裏で偶然それを目撃してしまった——瑞希が人を殺す瞬間を。
目撃者は幼馴染の凛。
凛は恐怖と疑念を抱きつつも、幼い頃からの絆ゆえに「信じたい」という気持ちを捨てきれない。
一方、クラスの隅でいつも本を読んでいる雫は、その場面を別の角度から見ていた。
そして、噂好きの美波は、凛の動揺を感じ取り、危険な興味を抱き始める——。
4人の視線が交錯する中、嘘と真実が入り混じる心理戦が始まる。
場面:放課後、夕暮れの校舎裏。
冷たい風が吹き、桜の花びらが足元を転がる。
⸻
瑞希
「……きれいだね、凛。ほら、手を出して」
(桜の花びらをそっと乗せる)
「儚いものって、すぐ壊れちゃう。だから、触れるなら優しく……」
凛
「……うん……」
瑞希
(微笑んだまま、花びらを握りつぶす)
「でもね、壊すときは、一瞬で。迷ってたら全部、汚れちゃうから」
(手のひらから粉々になった花びらが落ちる)
凛
「その横顔が、夕日に照らされて……どうしようもなく綺麗で、冷たかった」
(足音)
雫「……やっぱり、ここにいた」
(本を閉じながら、瑞希と凛を見る)
「校舎裏に来るなんて、珍しいね。ふたりとも」
凛
「雫……」
瑞希
(花びらの欠片を払いながら微笑む)
「雫ちゃんも、桜を見に来たの?」
雫
「……それだけならよかったけど」
(視線を地面へ――血のように濡れた土)
「この匂い、覚えてるよ。昨日も、ここで……」
(スマホのシャッター音)
美波
「やっぱり面白いことしてたんだね、瑞希」
(スマホを掲げて笑う)
「ほら、証拠写真。凛、あんたも映ってる」
凛
「やめて……美波、それ消して!」
瑞希
(ゆっくりと美波に歩み寄る)
「消す? どうしようかな」
(桜の花びらを一枚、美波のスマホにそっと置く)
「ねぇ、美波ちゃん。儚いものってね……壊れる瞬間が、一番きれいなんだよ」
美波
「……なに、言って……」
雫
「そのとき、風が吹いた。桜と埃と、冷たい匂いだけが残った」
場面:放課後、校舎裏。西日が傾き、光が長く地面を這う。
桜の花びらと土の匂いが混じり、遠くから部活の掛け声がかすかに響く。
⸻
美波
「……あんた、本当は頭いいよね」
(唇に指を当て、にやりと笑う)
「だからこそ、あんたと組みたいんだ。瑞希」
瑞希
「……組む?」
(目線をゆっくりと合わせ、花びらを指先で撫でる)
美波
「この写真、あんたのことも凛のことも、雫だって巻き込める。
味方にしとけば、私も安全だし……あんたも損はない」
(スマホの画面を瑞希に向ける。そこには、昨日の校舎裏の鮮明な一枚)
瑞希
(画面を覗き込み、微笑む)
「……綺麗に撮れてる。夕日の赤と、血の色が混ざってるみたい」
美波
「でしょ? SNSに出すのはもったいない。
使うなら、もっと——生きた人間の感情を動かすために」
(歩み寄り、距離を詰める)
「共犯になろ。お互い、守り合えるじゃん」
瑞希
(少し間を置いて、頬に髪をかける仕草)
「……守る、か。いいね、それ」
美波
(安堵の笑みを浮かべ、スマホを差し出す)
「でしょ? あんたみたいな人気者となら——」
瑞希
(スマホを手に取るが、その指先はひどく冷たい)
「でも、美波ちゃん」
(視線を落とし、かすかに笑う)
「守るって、守る価値があるからするんだよ」
美波
「……は?」
瑞希
(スマホをひっくり返し、地面に落とす)
——パシャッ、水たまりが弾ける音。
「価値のないものは……壊れても、誰も悲しまない」
美波
「なに言って——」
(腰を引くが、瑞希は一歩踏み込む)
瑞希
(耳元で囁く)
「共犯になんて、最初からする気はないよ。
……あなたが邪魔だから、消すだけ」
美波
(息が詰まり、声が出ない)
瑞希
(背を向け、夕焼けに照らされながら歩き出す)
「桜って、散るときが一番きれいだよね」
美波
「足元で濡れた花びらが潰れる音がした。
——あれは、私の心臓の音だったのかもしれない」
場面:体育館裏の影。西日の角度が変わり、影が長く伸びている。
二人は壁に身を寄せ、校舎裏の瑞希と美波を見ている。
声ははっきりと聞こえ、桜の花びらが風に乗って視界を横切る。
⸻
凛(心の声)
「……やだ……聞こえちゃう……」
(瑞希の声が、冷たい水の底から響いてくるように感じる)
「こんなの、瑞希じゃない……私の知ってる瑞希じゃ……」
(膝が小さく震える)
雫
(視線は一点、瑞希の横顔から逸らさない)
「……」
凛
「雫……止めないと……」
雫
「無理だよ、今は」
(声は淡々としているが、その指先はかすかに強張っている)
「止めた瞬間、次は私たちがあそこに立つことになる」
凛
「でも……でも、瑞希は——」
雫
(凛の言葉を遮るように)
「瑞希は、瑞希だよ。
あなたが信じたい瑞希も、今そこにいる瑞希も、全部同じ」
(その目は冷静だが、奥に沈んだ怒りのような感情が揺れている)
凛
「違う……違うって言ってよ……」
雫
「違わない。だから、怖い。
あの笑顔とあの冷たさが、一つの顔の中に共存していることが——何よりも恐ろしい」
(遠くで、水たまりにスマホが落ちる音)
凛
(顔を伏せ、唇を噛む)
「……どうすれば、いいの……」
雫
(ほんの少し視線を凛に向け)
「……決めるのは、あなたじゃない。瑞希だよ」
(再び校舎裏へ視線を戻す)
「私たちは、ただ見届けるしかない」
(沈黙のあと、凛が一歩踏み出す)
雫「……凛、待って——」
(手を伸ばすが、もう遅い)
凛
「瑞希っ!」
(声が震え、夕暮れに反響する)
瑞希
(振り返り、穏やかに微笑む)
「あれ、凛。どうしたの?」
(その声に、先ほどまでの冷たさは微塵もない)
美波
(驚いたように目を見開き、口元に笑みを浮かべる)
「……へぇ。見てたんだ」
凛
「何を……してるの……?」
(視線がスマホの残骸と濡れた水たまりに向く)
瑞希
(花びらを拾い上げ、凛の手にそっと乗せる)
「ねぇ、儚いものって……守りたくなるでしょ?」
凛
「……これは、守るじゃない……壊してる……」
瑞希
(ふっと笑い、花びらを握らせる)
「じゃあ、壊さないと壊されるときはどうするの?」
(その瞬間、背後から雫の声)
雫
「——その二択、あんまり賢くないね」
(影から姿を現し、瑞希と美波の間に視線を送る)
「本当に賢い人は、壊すふりをして……奪う」
美波
(挑発するように)
「へぇ……じゃあ雫、あんたは何を奪うつもり?」
雫
(わずかに口角を上げ)
「——真実」
瑞希
(その表情に一瞬だけ笑みを消し、すぐに作り笑いに戻す)
「面白くなってきたね」
凛
「風が吹き、花びらと埃が舞った。
この場にいる全員が、もう後戻りできない場所に足を踏み入れた——そんな気がした」
瑞希
(花びらを手の中で転がしながら)
「ねぇ、美波ちゃん……あの写真、バックアップはないよね?」
美波
(ニヤリと笑い)
「どうだろうね。……もしかしたら、雫に預けてるかも?」
雫
(涼しい顔で)
「残念。私はそんな危ないもの、触らないよ」
(瑞希に視線を向け)
「でも、もし本当に消したかったら……方法はいくらでもあるんじゃない?」
瑞希
「方法?」
(声色は柔らかいが、瞳の奥が鋭く光る)
雫
「そう。たとえば“持ち主ごと消す”とかね」
凛
「雫っ……!」
(制止するが、雫は微動だにしない)
美波
(挑発するように瑞希へ一歩近づく)
「やってみる? 私を消してみればいいじゃん」
瑞希
(微笑みながら美波の髪に付いた花びらを取る)
「……そうだね。でも、そうしたら凛が泣くよ」
凛
(息を呑み、視線を逸らす)
「……なんで、そこで私……」
瑞希
「凛は優しいから。私が誰かを傷つけたら、必ず止めに来る。
——だからこそ、私の側にいてほしいの」
雫
「つまり、凛を盾にして自分を守るってこと?」
瑞希
「盾なんて言い方やめて。……大事な友達、って言ってるだけ」
(凛の肩に手を置く)
美波
「大事な友達を利用するんだ?」
瑞希
「利用っていうより……一緒に生き残るってこと」
(その言葉に、ほんの一瞬だけ笑みが薄れ、儚い表情が覗く)
雫
「——ああ、この人は本気だ。
生き残るためなら、何でもするつもりだ」
美波
「……じゃあさ、誰が“最初に”消えるか決めようよ」
(目を細め、瑞希・雫・凛を順に見る)
瑞希
「決める必要なんてないよ」
(花びらを手放し、微笑む)
「——順番なんて、運が決めるんだから」
雫
(静かに微笑む)
「じゃあ、運任せにする前に……試してみない?」
瑞希
「試す?」
雫
「うん。“誰が一番信用できるか”をね」
(ポケットから小さなボイスレコーダーを取り出す)
「さっきの会話、全部入ってる」
美波
(目を見開く)
「は? あんた……録音してたの?」
雫
「たまたまよ。さっき、校舎裏で妙な音がして……興味が湧いただけ」
(瑞希の目を真っ直ぐ見て)
「でもこれ、使い道は色々ありそう」
瑞希
(柔らかい声色で)
「雫ちゃん……それ、消してくれるよね?」
雫
「どうしようかな。……美波、この音声が欲しい?」
美波
(口角を上げる)
「もちろん。証拠になるからね」
雫
「じゃあ……どっちが先に“信用”をくれるか、見てみようか」
凛
「雫、やめて……そんなことしたら——」
雫
「凛。これは“やめる”ための交渉だよ。
どちらか一人でも私を信用できるって証明すれば、この音声は消す」
瑞希
(美波へ視線を送る)
「……つまり、どっちかが選ばれるってこと」
美波
(挑発するように)
「面白いじゃん。あんたを信じるか、この冷たい観察者を信じるか……凛はどっちを選ぶんだろうね」
凛
(息を呑み、全員を見回す)
「……私……」
雫
「さあ、選んで。
あなたの選択一つで、この場の力関係は全部変わる」
凛
(視線を落とし、拳を握る)
「……私は……瑞希を信じる」
瑞希
(ゆっくりと微笑む)
「ありがとう、凛」
(その声にはかすかな安堵と、計算された柔らかさ)
雫
(わずかに目を細め)
「そう……」
(手の中のボイスレコーダーを弄びながら)
「じゃあ、この音声は——美波に預けるわ」
美波
(口元を歪めて笑う)
「へぇ……いい判断じゃん、雫」
凛
「ちょっと待って……! なんで美波に……?」
雫
「あなたが選んだのは“瑞希を信じる”こと。
つまり、私を信じないってことよ」
(美波にボイスレコーダーを手渡す)
「だったら、私もあなたを守る理由はない」
美波
(レコーダーを手に、瑞希をじっと見る)
「これで、あんたの手札は一枚減ったね」
瑞希
(微笑みは崩さず、美波に近づく)
「でも、あなたの寿命も短くなったよ」
雫
「力の天秤が傾く音がした。
——凛が選んだのは、信じることじゃない。生き残るための“片方の死”だった」
(西日が完全に沈み、校舎裏は影に沈む)
(静寂の中、雫と美波が背を向けて歩き出す)
凛
「……瑞希、私……間違ってないよね?」
瑞希
(優しく微笑む)
「もちろん。凛は私を信じてくれた……それだけで充分」
(そのまま凛の手を取る)
「——だから、最後まで一緒にいてね」
凛
(少し安心したように微笑む)
「うん……」
(背後から、カチリと小さな音)
美波
(歩きながら)
「雫、今の音……」
雫
「録音、再開しただけ」
(低く笑う)
「今度は“凛も共犯”として残しておく」
美波
「やっぱりあんた、性格悪いわ」
(楽しそうに笑う)
瑞希
「いいよ、記録しても。
最後に残るのは……私の声じゃなくて、あの子たちの悲鳴だから」
(夕闇の中、風が吹き、桜の花びらと一緒に水たまりの赤が流れて消えていく)
(夕闇の中、雫と美波が歩き去る足音。瑞希と凛は校舎裏に残る)
瑞希
(凛の耳元で囁く)
「ねぇ……凛。信じてくれたお礼、ちゃんと返すね」
凛
「え……?」
(その瞬間、鋭い金属音と何かが崩れ落ちる音)
雫
(背中越しにふと振り返る)
「……今の、なに?」
美波
(目を細める)
「……聞こえたよね。あの音」
(次の瞬間、校舎裏から裂けるような悲鳴が響く)
雫
「……やっぱり、選ばれなかった方が先に消える」
(風が吹き、桜の花びらが暗闇に飲み込まれていく)
——終。