美桜と華
佐伯美桜は、居間で母に浴衣の帯を結んでもらっていた。
母の手際は慣れていて、帯がきゅっと背中に締まる。
「美桜、あんたもそろそろ自分でできるようになりなさいよ。」
「え? でもお母さんがやってくれるし……。」
「出先で帯が緩んだらどうするの。自分で直せないと困るわよ。」
母の声には、少しだけ現実的な響きがあった。
でも美桜は首を傾げたまま、鏡の中の自分を見ている。
「出先で……着物脱ぐことなんてある?」
その問いに、母はほんの一瞬黙ったあと、
「そうね、ない方がいいわね。」と笑った。
その笑みには、どこかホッとしたような、少しだけ残念なような感情が混ざっていた。
美桜はその意味を考えもしないまま、帯の感触を確かめていた。
駅前の広場。
浴衣姿の高城華が軽やかに手を振った。
「美桜ー! こっちこっち!」
美桜も浴衣を着ていたが、足元は歩き慣れたサンダルだ。
「華、すごい似合ってるね。帯もかわいい。」
「でしょ? 写真撮ってもらおうっと。あ、ねぇ美桜は? 好きな人いないの?」
突然の質問に、美桜は一瞬足を止めた。
「え? 私?」
「うん。だって浴衣着て花火だよ? 誰か意識する人くらいいるでしょ?」
美桜は視線を逸らして笑った。
「そういうの、あんまり考えたことないな。」
「えー? もったいないって!」
華はからかうように肩をつつきながら歩き出す。
美桜は笑顔のままだったが、その胸の奥は静かだった。