第7話:悪役令嬢の仮面が落ちた日。世界が、彼女を見る目を変え始める
断罪の場が終わって数日。
あの壮絶な一件は瞬く間に王都中に広がり、貴族も平民も皆、口々に言った。
「ヴァレンシュタイン公爵令嬢は、真の悪を暴いた」
「宰相が逃亡中らしい」
「彼女が“演じていた”と気づかなかったのは、我々の方だった」
そして、もう一つの事実――
「公爵令嬢は、“悪役”などではなかった」
私はというと、王宮から少し離れた療養地にいた。
妹フィリーネの療養のために、エドワードが特別に手配してくれた“静養の館”。
王城の陰謀も喧騒も届かないこの場所で、私は久しぶりに一息ついていた。
フィリーネは順調に回復し、今は小鳥のさえずりを聞きながらうたた寝をしている。
(……ああ、本当に……終わったのね)
心の底から、安堵した。
あの日から、私はもう“悪役令嬢”ではなくなった。
仮面を外した私は、何者なのだろう。
今も、まだ自分自身がわからない。
そんな折、館を訪れた来客があった。
エドワード・アストリア。
第一王子にして、かつて私の婚約者だった男。
「静養は順調か?」
「ええ。あなたの配慮に感謝します」
私が冷ややかに応じても、彼はもう怯まなかった。
むしろ、どこか柔らかな眼差しで私を見つめてくる。
「……君は、俺の想像よりも、ずっと強かった」
「皮肉かしら?」
「いいや、敬意だ。あれほどの圧力の中、自分の信念を貫ける人間はそういない」
しばし沈黙が流れたあと、エドワードは静かに言った。
「……リリアーナ。俺は、君に謝らなければならない。
君の本心に気づかず、“仮面”だけを見て、判断していた」
私は彼の顔を見つめる。
真剣なまなざし。
その中に、かつて私が惹かれた“まっすぐな正義”があった。
「でも、仮面を被っていたのは私の方よ。誰にも、見抜かれたくなかった。
見抜かれたら、弱さを知られるようで……怖かったの」
「弱さを見せるのは、強さの一つだと、君に教わったよ」
そう言って彼は、そっと私の手を取ろうとする。
私は――
迷って、その手を取らなかった。
「今はまだ、その手を握れるほど……私は自分を許せていないの」
王都では、エミリア・ローズウッドが貴族令嬢たちの間で「リリアーナ擁護派」の中心となっていた。
彼女は各所で語る。
「リリアーナ様は、本当はとても優しい人。誤解されただけなんです」
その言葉に、少しずつ世論が変わっていった。
かつて“悪役”と嘲られた令嬢の元に、ひとつ、またひとつ、手紙が届くようになった。
「あのとき、貴女が庇ってくださったことを忘れていません」
「ヴァレンシュタイン家の名誉は、貴女のおかげで守られました」
「謝りたい。ずっと、貴女を誤解していたことを」
過去の行いがすぐに帳消しになるわけではない。
それでも、少しずつ――
世界は、彼女を“悪役”ではなく、“英雄”として見はじめていた。
リリアーナは、窓辺に立って空を見上げる。
柔らかな日差し。澄んだ風。鳥のさえずり。
「……世界って、こんなに、穏やかだったかしら」
かつては仮面の内に押し込めていた想いが、少しずつほどけていく。
次に進むために。
新しい人生を歩むために。
――でもその一歩を踏み出すには、まだ時間が必要だ。
彼女は微笑む。
「今はまだ、悪役令嬢でいいわ。
でもいつか、本当の私として、誰かに微笑める日が来るなら……」
それが、望外の幸せなのかもしれない。
そして、宰相ルシウス・クロウリー――
彼はまだ、どこかで息を潜めている。
最後の戦いは、まだ終わっていない。
だが、それはまた別の話。