第3話:乙女ゲームのヒロイン、エミリア・ローズウッドとの出会い。そして小さなほころび
王宮の晩餐会――
貴族たちが贅を競い、言葉の裏に剣を隠す、見栄と政治の仮面舞踏会。
「本当に、退屈な場所だこと」
私は長い銀髪を一振りしながら、会場の隅に陣取っていた。
周囲の令嬢たちは私の姿を見るなり、ぴたりと話を止め、距離を取る。
視線には恐れと嫌悪と、そして少しの羨望。
――上等だわ。思惑通り。
私は“嫌われる”ことで自分の行動を自由にしている。
孤立するほど、私の監視は薄くなる。
その分、宰相の動きにも近づける。
……だが。
今日の目的は、もう一つあった。
この晩餐会には、ゲームの“ヒロイン”――エミリア・ローズウッドが招かれているはず。
子爵家の令嬢。慎ましく、穏やかで、礼儀正しく、そして――
この世界の“主人公”だ。
王子の心を動かし、周囲を味方に変えていく。
かつての私が感情移入し、シナリオを何度も追った少女。
その彼女に、私は今日、初めて会う。
「――あっ、ごめんなさい! すぐ拭きますので……!」
紅茶を運ぶ使用人とぶつかり、ドレスにしみができた。
その中心にいたのは、一人の少女だった。
ふわりとした栗色の髪、大きく澄んだ翡翠の瞳。
気品の中に素朴さがあり、媚びのない優しさがある。
そして、今この場で唯一――“私に気づいていない者”。
エミリア・ローズウッド。やはり、本人ね。
私は、少しだけ唇を吊り上げた。
あくまで“悪役”として。
「まあ、随分と派手な登場をなさるのね。子爵令嬢ごときが、私に紅茶をぶちまけるなんて」
「……っ!」
「普通なら、その場で跪いて謝罪するものだけれど?」
「申し訳ありません! 本当に、不注意でした……!」
エミリアはすぐさま深く頭を下げた。震えている。
この場にいる誰もが、彼女のことを“悪くない”と知っている。
だが、リリアーナ・ヴァレンシュタイン公爵令嬢が睨めば、誰も助けには入らない。
……そう。これが“悪役令嬢”の特権。
「ま、いいわ。気分が悪いから帰ることにするわ。王子にも伝えておいて。『退屈だった』って」
そう吐き捨てて、私は踵を返す。
一切の温情も、許しも、偽りの仮面で塗りつぶす。
……でも。
「え……?」
去り際。ほんの一瞬。
私は、こっそりエミリアの手にハンカチを押し付けた。
それは公爵家の刺繍入り。誰が見ても“私のもの”だと分かる高級品。
「……次は気をつけなさい。ローズウッド令嬢」
わずかに視線を合わせた。
驚いたように見開かれたエミリアの目。
怯えと戸惑いの奥に、ほんの一粒の――疑問。
その夜、私はベッドの上で静かに目を閉じていた。
「……仮面の下、見せすぎたかしら」
ほんの一瞬の甘さ。
けれど、彼女の目は見逃さなかった。
ヒロインは人の“裏”を見る力がある。
だからこそ、皆の心を溶かしていく存在なのだ。
「でも……気づいてしまったなら、利用させてもらうわ」
エミリア。あなたが味方になれば、宰相を倒すための“選択肢”が増える。
だから私は、演じ続ける。
悪役として、憎まれ役として。
その裏で、たった一つの真実だけを守るために。
「家族は、私が必ず守る」
それが、リリアーナ・ヴァレンシュタインの唯一の願い。
たとえ、この世界すべてに誤解されても。