第2話:婚約者・エドワード王子の冷たい視線。そして、悪役令嬢の第一歩
「本日、王子殿下がお見えになります。応接室にてお待ちくださいませ」
侍女の言葉に、私はわざとらしいため息をついた。
「まあ、なんて面倒なことでしょう。私からお時間を差し上げるというのに、あの方ったらいつも素っ気ないのだから」
本音を言えば、冷や汗をかいている。
ゲームの中ではエドワード・アストリア王子――この国の第一王子であり、リリアーナの婚約者――は、リリアーナに対し一貫して嫌悪感を抱いていた。
傲慢で自己中心的、使用人を虐げ、ヒロインをいびる――そんな“典型的悪役令嬢”への嫌悪。
その嫌悪こそが、婚約破棄と断罪への伏線だった。
だが、私はそれを逆手に取るつもりだった。
あえて“演じる”ことで、私が今後どう動いても王子は疑念を抱かない。
悪役が何をしても「どうせそういう女だ」と思わせれば、裏での行動は全て“予想通り”の枠内に収まる。
私は、仮面を整えるようにゆっくりと微笑んだ。
「――殿下、どうかお嫌いになっていてくださいね。その方が、こちらも楽ですから」
応接室に現れた彼は、相変わらず完璧だった。
エドワード・アストリア。王国を継ぐにふさわしい美貌とカリスマ。
長身に整った金髪、そして氷のような青い瞳。
貴族や淑女たちの憧れであり、理想であり、だからこそ“恋愛ゲーム”のヒーローになった男。
その彼は、私を見るなり、冷ややかな声を発した。
「リリアーナ。今日も華やかだな。誰を苛める予定で着飾った?」
「まあ、ひどいことをおっしゃるのね。私はいつも通りよ。貴方が私の趣味に口を出すなど十年早いわ」
私は軽く笑いながら、わざとらしくティーカップを手にした。
カップを持つ手を小さく震わせていたのは、当然彼には見せない。
「本題は何かしら? まさかご機嫌取りに来たなんて言わないでしょうね?」
「逆だ。今日、王宮で催される晩餐会のことを覚えているか?」
「当然よ。退屈極まりない集まりね」
「……相変わらずだな。貴族間の関係を築くための会だ。お前も少しは公爵令嬢としての自覚を持て」
「うるさいわね。私は貴族よ。それもヴァレンシュタイン家の娘。自覚も誇りもあるわ。
ただ、あなたの隣に立つとなると、どうしても見劣りする気がして、退屈な振る舞いでもしないと釣り合わないのよ」
一瞬、王子の眉がわずかに動いた。
……あら、引っかかったかしら?
冗談めかした皮肉の中に、少しだけ“哀しみ”を滲ませた。
ほんの少し、わざとらしくない程度に。
「……お前は、本当に……何を考えているのか分からない」
「それは結構なことね。女は少し謎めいていた方が魅力的だもの」
私は妖艶に笑ってみせる。
この人に期待などしてはいけない。
けれど、ほんの少しでも“疑念”を抱かせておけば――
その芽は、いずれ真実を暴く種となる。
そして私は立ち上がり、王子に向かって優雅に一礼した。
「それでは殿下。今夜の宴でお会いしましょう。私は悪役令嬢らしく、場を乱して差し上げますわ」
「……余計なことをするなよ、リリアーナ」
冷たい視線が私を突き刺す。けれど、私は背を向けた。
この“冷たさ”が、むしろ安心できる。
――このまま、あなたには私を“悪役”として見ていてもらうわ。
本当の顔は、誰にも見せない。
だからこそ、裏で自由に動けるのだから。
廊下に出ると、妹・フィリーネの部屋の前を通った。
扉の向こうから、かすかに咳の音が聞こえる。
「……必ず、助けるから」
誰にも聞こえない声で、私はそう呟いた。
「お姉様は、“悪女”で、“冷酷”で、“最悪”よ。
でもそれは全部――あなたの未来を守るためなのよ」
今日も私は、仮面をつけて生きる。
憎まれ役を、完璧に演じるために。
――それが、私にできる唯一の戦い方だから。