34.タマちゃんとチロちゃん
時は2016年、恭作が埼玉工場に帰任して2年経った。恭作の人生の中で最も多忙で充実していた時期だった。平穏な優子との半同棲生活が続く中、毎月の関西出張、隔月の中国出張、年1回ずつのアメリカと欧州とタイと韓国への出張をこなし、家に帰っては娘の部活応援にマッサージ師、家庭教師をするという忙しさだった。
そんな中、恭作が大阪でスタッフと飲んでいる時にいきなり携帯が鳴った。優子からだった。飼っている2匹の兄妹猫の雄のタマちゃんが急におかしくなったらしい。あまりの急病なので初めは様子を見ていたのだが普通じゃ無いのでかなり遠くの24時間やっている動物の救急病院に連れて行くというものだった。彼女は運転免許もクルマも無いので往復タクシーを使ったが特に夜中帰ってくるのが大変だったらしい。その後も夜中に連絡を取り合い、心臓関係の病気でかなり悪い状態になっていてそのまま入院する事になった事を聞いて翌日の仕事を半日で終わらせて新幹線に飛び乗って帰った。何故か新幹線と在来線の接続がびっくりするくらい良く、今でも'何でそんなにな早く帰れだんだろう'と思う位の時間で彼女のマンションに着いた。すぐに恭作のクルマで病院に向かったがその最中に救急病院から電話がかかってきた。危篤の知らせだった。
病院に着く時はまだ何とか生きていてくれたが、もう助かる見込みは無いのでこのまま病院で息を引き取るまで入院させておくか、最後自宅に連れ帰って看取るかの選択を迫られた。彼女はパニくっていて判断等出来る訳も無く恭作の判断に委ねられたてかなり悩んだが後者を取る事にした。今は人工呼吸器でなんとか命を繋いでるので家までもたないかもしれないとも言われた。恭作はタマちゃんを抱き抱えクルマまで戻り運転中は彼女のお膝の上に横たわっていたが、クルマを走らせて10分も経たないうちに彼女が悲鳴をあげた。タマちゃんの最後だった。
享年7歳4ヶ月、死因は心不全(肥大型心筋症)で猫の突然死によくある病気で、なかなか普通の健診では見つからない病気だとその後主治医から聞いた。優子は気が付いてあげられなかった自分をかなり責めた。’タマちゃんは保護された家のコタツで生まれて最愛の優子のお膝で亡くなったんだから幸せだった筈’と恭作は慰めたがペットロスは重症だった。
数日後、ゴルフをしていた恭作はプレー終了後携帯電話に留守電が入っていた事に気がついた。優子がまさかの時の為に契約していたALSOKからで、彼女が救急車で運ばれたというものだ。自宅で倒れたのでALSOKの緊急ボタンを押したらしい。とにかく私は風呂も入らず同伴者に事情を説明して一目散に病院に向かった。’大した事じゃありませんように’と祈りながら。
病院に着くと彼女は診察中で普通に主治医と話をしていた。恭作はホッとして涙が込み上げてくるのをごまかすためにとりあえずトイレに駆け込んだ。主治医の説明によればペットロスによる強烈なストレスからくる過呼吸だそうた。また直接関係無いのだろうが強く禁煙を勧められた。(これをきっかけに彼女はついに禁煙をトライして半年くらいで成功した)
残された雌猫のチロちゃんはなぜかとても良い子に変貌した。亡くなったタマちゃんは大食いだがトイレの粗相はした事無いし控えめで甘えるのも下手でいつもチロちゃんに譲っていた。一方チロちゃんは食が細くワガママの甘えん坊でU子のお膝は独占するし、粗相はしょっちゅうだった。ところがタマちゃんが亡くなって暫くしてからチロちゃんの粗相は激減し、食は太くなった。まるでタマちゃんの魂が宿った様に…
残された雌猫のチロちゃんは歯以外は健康だった。この頃から元々あった歯周病がひどくなり、歯が抜けたり抜かざるを得なくなったりで獣医さん通いが増えた。タマちゃんの事もあり一時獣医さんを変えてみたが新しい獣医さんは神経質過ぎる方で逆に二人もチロちゃんもたまらん(食事を始めとしてあれもダメ、これもダメばっかりで何のために生きているのか?と思うほど厳しかった)と元の獣医さんに戻した。元の獣医さんはおおらかで治療はちゃんとしてくれるがあまり制限も無く猫ちゃんも飼い主もストレス無く生活出来た。今ではあまり獣医さんにも行かなくなる程良くなって、この時の判断は正しかったと確信している。
ちょうどそんなバタバタが収束した頃、小中学校時代の同窓会があって今でも忘れられないプチ事件が起きた。
-続く-




