86.光明のひっかき傷
「月か――!」
夜の闇についた小さなひっかき傷のように、青白く光る線。見間違いかと思って、目を凝らすと、それは確かに月だった。
微かに光る星々の間を縫うように細く伸びた線が、地球のものとは違って青白い光を放っている。
「もう、そんな時期ですか……」
と、俺の隣に来たシアユンさんが空を見上げた。
異世界に月はないもんだとばかり思い込んでいた俺は、シンプルに……、驚いた。
シアユンさんに説明を求めると、異世界の月は28日間の新月、その後28日間かけて満ちていき、28日間の満月。そしてまた28日間をかけて欠けていく。というものらしい。
【当たり前】とか【先入観】というものは恐ろしい。
異世界の人たちにとっては【当たり前】のことだから、わざわざ俺に説明することはなかった。
俺は闇夜の戦闘に照明が必須と気が付いた日から、ずっと月が出ていなかったから異世界に月はないんだという【先入観】を持っていた。
俺が召喚されてから9日、人獣たちが最初に襲い掛かってきてから19日。新月期間中の闇夜の中で迎え撃ち続けていた……。
俺が抱いていた世界観が、ガラッと入れ替わる気がした。
シアユンさんに異世界の月のことを根掘り葉掘り質問したところによると、地球の月よりは少し暗そうだ。けれど、まったくの闇夜ではなくなる。
これから28日間かけて明るくなり続け、28日間の満月、光量最大の状態が続く。
完全な闇から襲い来る人獣に手を焼いていた中で、好条件が初めて出てきた。俺の主観で、だけど。
激しい戦闘を継続するのにも、遠くから弓矢で狙うにも玉篝火の光は欠かせないだろう。けど、今日から56日間、より人間に有利な状況が生まれる。
いや、欠け始めても最初はそこまで光量が落ちないだろうし、逆に今夜の微かな月明かりも役に立っている訳じゃない。
差し引きして、恐らく都合約60日間は月明かりの下で闘える。
最初に司徒府を訪れた時、スイランさんから教えられた残り時間が耳に蘇る。
――剣士たちの体力を維持できる配給量で、あと80日。
――外城壁の農地で育ちの速い食物を収穫することを考えると、50日で撃退できれば皆を餓えさせない。
この話を聞いてから5日が経った。あと45日以内で撃退できればベスト、75日がリミット。その内の60日間は月明かり。
今のところ、計画なんか立てようがないけど、焦らず一歩ずつ進む。
先が見えてきたら、計画を立てて一気に進める。大丈夫だ。受験勉強で効率的な計画なんか、教科ごとに立てまくった。自信の根拠が薄弱で、思わずニヤッとしてしまったけど、きっと、やれる。
もう一度、夜空のひっかき傷のような月を見上げた。
あの月が地球と同じく衛星なのか、異世界の大地をどういう理屈で照らしてるのか、知的好奇心は掻き立てられるけど、今はそれどころじゃない。
ふと、月が満ちるに従って人獣たちが、より凶暴化したらどうしよう? という考えがよぎった。だって、狼男って満月の晩が相場じゃないか?
けど、それなら新月の内に現われた理由が分からなくなる。どっちにしても、なにも分からない。
――早く丸く大きく膨らんで、人獣たちを明るく暴き出してくれ。
俺は、夜空のひっかき傷を睨むように、見詰め続けた。
本日の更新は以上になります。
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