8.頑張ってる人には弱い(2)
シアユンさんが、ついさっきまで廊下で見せてくれてた理知的な表情はどこかに行って、顔全体を赤くしてモジモジと俯いて喋ってる。
大きくなってから初めて直接目にする、女性の胸の先端が視界をかすめて、もうまったく、どう振る舞ったらいいか分からない。
とりあえず、どういうつもりなのか聞かないことには、どうしようもない。
「つ……、つまり、どういうことですか……？」
「お、お背中を流させていただけないかと……」
と、顔を上げたシアユンさんの視線が真っ直ぐで、一瞬、息が詰まった。
まだ、異世界の価値観は理解できてないけど、なにかの使命感か責任感を果たそうと、シアユンさんなりに一生懸命になってる。その想いが突き刺さった。
俺は、頑張ってる人には、……弱い。
昔からそうだ。苦手な数学を頑張る里佳も応援してたし、同級生や友達なんかが頑張ってると、ついつい自分のことのように応援してしまう。出来ることは、なんでもしてあげたくなる。
正直、背中を流してもらうくらいのことなら断る理由も見つからない。ひとりでいると里佳のことばかり考えてしまうのも分かってた。
俺が「いいですよ」と応えると、固かったシアユンさんの表情がパアッと笑顔になった。
――ああ。もうダメだ。その笑顔は反則です。心が応援モードに移行してしまいます。
俺はいよいよ観念して、石鹸の泡立った手拭いをシアユンさんに手渡した。
きっと経験豊富な人から見れば、未経験のお姉さんと未経験の男子が、お互い顔を真っ赤にして風呂場で素っ裸でモジモジし合ってる、とても滑稽な場面に映るんだろう。
けど、まあ、誰に見られてる訳でもない、はず。俺の背中を流すだけで、なにかの足しになるんなら……、そのくらいは……。
シアユンさんは嬉しそうに俺の後ろに回って、背中を流し始める。
小さな驚きがあった。直接肌が触れ合った訳ではないけど、手拭い越しに伝わる、人の手の感触が思いがけず気持ちをホッとさせてくれた。
――俺、張り詰めてたんだな。
これだけ突然に、全部の環境が変わってしまっては、知らない間に気が張り詰めてしまっていても仕方ないと思えた。
シアユンさんの丁寧に丁寧に洗ってくれる手付きから、実直な性格が伝わってくる。
この状況では、里佳にやましいところもない。
フラれたのだから、やましいもやましくないもないのだけど、ついさっきまで『一生、大事にする』と決めていた覚悟は、そうそう解けない。
「あ、いや……」
と、俺が言うと、シアユンさんは俺の体を洗う手を止めた。
「前は……、自分でやりますから……」
「ごめんなさい。夢中になっちゃって……」
――今、『ごめんなさい』は、やめてほしい。
と、思ったけど、シアユンさんから手拭いを受け取って続きを洗い始める。まあ、これでシアユンさんの気が済んだのなら良しとしよう。
いいことをしたと、少し表情を緩めて、ふと横を見ると、シアユンさんも体を洗ってる。あ。そうなんだ。
体を洗い終わって泡を手桶ですくったお湯で流し、湯船に浸かると、シアユンさんも広い湯船に向かい合って浸かった。
シアユンさんの中での『身体を捧げる』の範囲がよく分からなかったものの、「いいですよ」って言ってしまった手前、なんとも言えない。別に問題もないような気もする。ただただ、照れるだけで……。
まあ、今は温かいお風呂で体も気持ちも休めよう。お風呂のある異世界で良かった。絶体絶命でも。
「このお湯って、どうやって沸かしてるんですか？」
と、ふと気になってシアユンさんに尋ねた。初対面のお姉さんと、いきなり混浴ってシチュエーションで沈黙に耐え切れなかったところもある。
「こちらの湯は……」
と、綺麗な指が伸びる手の平ですくった湯を見詰めたシアユンさんが、数瞬、言葉に詰まった。
「リーファ姫の呪術で沸かされています……」
おお！ その話題、詳しく聞きたいですね。呪術。いいですね。異世界の仕組みや文明、文化や技術のレベルなんかは早く知っておくに越したことはない。
「その、呪術ってところを、もう少し詳しく」
という、俺の問いにシアユンさんが淡々と説明し始めてくれた。口調は滑らかで理解しやすい。きっと、とても優秀な方なんだろうな。
今は全裸で年下男子に頬を赤らめてるけども。
