184.とてもいい工房(2)
駆けて行くジンリーの背中を目で追いながら、シーシがボソッと呟くように言った。
「ジンリーには身寄りがないのだ。マレビト様も可愛がってやってほしいのだ」
「え？」
「あっ！ 可愛がるとはエロい意味ではないのだ！ あ……、エロい意味でもいいのか。だけど、ボクはそういう意味で言ったのでは……」
「身寄りって、少なくともお父さんはいるよね？」
「なんだ、知ってたのか」
「うん。お父さん本人から教えてもらった」
「あのボンクラを追い出して、お母さんが一人でジンリーを育てたのだ。それで、ボクのところで見習いで頑張ってたんだけど、見込みがあるから正式に採用したばかりだったのだ」
「うん……」
「正式採用になると司空府に部屋が貰えるのだ。お母さんもすごく喜んでくれて、ボクも胸を張って預かったのが、人獣が現れるひと月ほど前だったのだ……」
向こうの方で、図を見ながらカンナを試作しているジンリーの横顔を見た。真剣な表情で材料を選んでいる。
「最終城壁に逃げ込めた人たちの中に、お母さんはいなかったのだ……。ジンリーだけでも助けられたと考えるべきか、２人を離れ離れにしてしまったと考えるべきか、ボクにも分からないのだ」
「そうだったんだ……」
「いずれにしても、あのボンクラがお母さんの側にいなかったことも事実なので、ジンリーもボクもあまり良くは思ってないのだ。ニシシ」
ジンリーの父親である片腕のニイチャンも、逃げ込んでみたら元奥さんがいなかったことに傷付いているんだろう。だけど、それをジンリーやシーシに言っても、きっと伝わらない。
そっと側から見守っていたいニイチャンの邪魔をしないようにしておこう。
「ニシシ。ジンリーのおっぱいもいいのだ。とても、いいのだ」
と、シーシはさっきまで揉んでた手をワキワキさせた。
「なっ……」
「楽しみにしておくのだ～」
と、シーシは笑いながら手を振って作業に戻った。
うん。いつか父娘の関係を修復できるとしても、それは人獣たちを退けた後のことだな。シーシの背中もそう言っているように見える。
気持ちを切り替えて司徒府に向かう。宮城１階中央部分は人が行き交うだけのロビーのようになっている。俺に頭を下げて通り過ぎて行くこの人たちも皆んなそれぞれ事情を抱えてるんだろうなと、ちょっと寂しいような気分になってしまった。
「分かりました。マレビト様にお任せいたします」
と、スイランさんが頭を下げた。やっぱり全く知らないままというのも、立場をなくさせる気がして、シアユンさんとも相談して大夫たちのことを伝えた。
そのまま、備蓄されてる木材の在庫について報告を受けた。２人きりでもミニのワンピスタイルのスイランさんは落ち着いて話が出来る。生足はちょっと眩しいけども。
「やはり、回廊を４つ作るとなると、少し足りない恐れがあります」
「うーん。そうですかぁ……」
「ひとつ考えがあるのですが、第２城壁との間の家屋を解体してはどうでしょう？」
「確かに考えられなくはないですね……」
「もちろん、司空府の職人たちに城壁外で作業してもらうことになりますから、危険を伴いますが……」
「分かりました。今、ひとつ目を試作中です。それが完成したら必要な量が最終的に確定します。どう調達するかは、それからシーシや皆んなと話し合いましょう」
「そうですね。分かりました」
と頷いたスイランさんは、執務室の奥の棚から書類の束を出して来た。
「ズハン殿が残していた書類です」
ジーウォ城の財政のことだろうか。実に丁寧な文字でまとめられている。
「私も財政のことを把握せねばと資料を開いたのですが、とても事細かにまとめていらっしゃいました。まるで、こうなることが分かっていたかのように……」
スイランさんが、ジッと俺の目を見詰めた――。
本日の更新は以上になります。
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