104.雨上がりの微笑み
気が付くと、ツイファさんはいつもの紫色のチャイナ風味のドレス姿に戻っていて、いつもの澄まし顔で微笑んでいた。スリットから薄明りに見える白い太腿が艶めかしい。
部屋の隅には、賊の遺体が3つ並べられていた。
日が昇り明るくなってからの衛士の探索が完了するまで、リーファ姫の寝室に留まるよう言われ、俺は静かに夜明けを待った。
ただ、いつまでも無言でいる緊張感も息苦しく、ユエの側に行って話を聞いた。
ユエの話は要領を得なかったけど、どうやら人獣に襲われた最初の晩、行商人だという父親に見捨てられた。
ユエのことなど構わず逃げようとした父親だけが、人獣にやられたのだと察せられた。
それからも「王都のお家に帰らないと……」とか「お兄ちゃんが……」とか「お母さんに……」とばかり、ユエは繰り返した。
――搾取子か。
両親を極端に怖がり、愛玩子らしき兄も恐れている。兄の役に立たないと、自分に存在価値がないかのように擦り込まれている。
現代日本のような人権意識のない異世界では、恐らく容赦なく非道な扱いを受けてきたことが想像できた。
「でも、シキタリは守らないと、お父さんにもっと怒られる……。でも、お家でお兄ちゃんの……」
と、ユエの話と思考が、堂々巡りを続けるようになった時、薄暗い部屋の中で、ユーフォンさんが後ろからユエを抱き締めたのが分かった。
「ユエは、私の部屋で預かります!」
と、少し鼻声になったユーフォンさんが言った。薄暗くてハッキリとは見えないけど、涙も浮かべているかもしれない。
「ツイファだけルームメイトが出来て、いいな! って思ってたんですよ! 私も若い娘と一緒にキャイキャイしたいです!」
ユーフォンさんが敢えて軽い口調で言っているのが伝わる。確かに、今のままでユエを独りにしておくのは危険な気もする。
「ユエ?」
と、ユーフォンさんが戸惑うユエを抱き締めたままに話しかけた。
「シキタリを守れば、皆に褒めてもらえます!」
「お父さんや、お母さんも?」
「もちろんです! 皆、です。」
「……そうか」
「私の部屋は、大浴場の近くにあります。ユエがシキタリを守るのに、私の部屋に来るのが一番です。そうすれば、皆、褒めてくれて、優しくしてくれます」
「そう……?」
「そうです。ユエがシキタリを果たせば、ユエのお父さんも、お母さんも、お兄さんも、皆、鼻高々になって褒めてくれます。ユエのことを誇りに思ってくれます」
「誇りに……?」
「数百年に一度しか召喚されないマレビト様に純潔の乙女が仕えることは、大切なシキタリです。しかも、純潔の身でマレビト様に巡り合えることなど、祖霊のお導き以外の何物でもありません。ユエがやり遂げたら、皆、鼻高々です。お父さんも、お母さんも、お兄さんも、ユエを皆に自慢してくれます」
「そっか……」
と、ユエが心から嬉しそうな笑みを小さく浮かべるのが見えた。その笑みが、むしろツラい。
「だから、ユエは私の部屋で暮らすのです。マレビト様にお仕え出来る、大浴場の近くの部屋で暮らすのが一番なんです」
「分かりました……。そうします。……お父さんも、お母さんも、本当に褒めてくれますか?」
「もちろんです!」
と、ユーフォンさんが応える頃、窓の外が白み始めるのが分かり、やがて、人獣との戦闘音が止んだ。
早朝の光に照らされたユエが、穏やかな微笑みを浮かべているのが、むしろ胸に迫った。
ユエを抱き締めたままのユーフォンさんは、俺に向けて親指を立て、「任せとけ!」とでも言うかのように、ニヤッと笑った。
雨はいつの間にか上がっていた――。




