アメリカン珈琲を1つ、砂糖多めでお願いします
「アメリカン珈琲を1つお願いします」
メニューを指さして、私はお決まりの注文を告げた。
ここは駅近くの喫茶店。
私の通う高校と自宅のちょうど中間に位置しているため、下校時に足しげく通っていた。
……そう、過去形。
最近は学校に行けていないから、久しぶり。
窓から見える空が茜色に染まり始めたこともあり、耳を澄ませばそこら中から学生たちの声が聞こえてくる。
……大丈夫。こんなところにまで、クラスメイトは誰も来ない。
「かしこまりました。お砂糖とミルクはどうされますか?」
「お願いします。その、ふんだんに」
クスリと笑みを浮かべ、ウェイトレスが背を向ける。
私は頬が熱くなるのをごまかすように、文庫本を開いて目線を落とした。
私はアメリカン珈琲に、砂糖とミルクを欠かさずに入れるようにしている。
珈琲を飲み始めたのは、3年前に幼馴染の少年に触発されたことがきっかけだった。
彼――黒川くんは、ブラックが行ける口だった。
中学2年生にして、黒川くんが砂糖もなしに美味しそうに飲む姿が大人びて見えてブラックを試してみたけれど、完敗。
そのままの状態では苦すぎて飲めたものではなくて、砂糖やミルクを入れてようやく平気なくらいになったけど美味しいとは思わなかった。
それでも、黒川くんのまるで微笑ましい子どもを見守るような笑みが悔しくて、我慢して飲み続けていた。
その結果、だんだんとあの甘ったるい味で落ち着くようになっていって、好きになった。
習慣とは不思議なものだなと思う。
……まあ、珈琲を飲むことにやっきになっていたのは、ただ悔しかったからっていうだけじゃないんだけど。
待ち時間まで、数分間といったところだろうか。
掌編小説を読むには、ちょうどいい時間だ。
私は文庫本を取り出して、目を落とし――そのタイミングでカランとベルが鳴った。
「ウケる!」
雑談中だったのだろう、静かな店内に女子の声が響く。
「ミオ、マジやべぇわ」
その名前に、ビクッと肩を揺らしてしまう。
ミオ。
今の私が、一番聞きたくない名前だ。
いいや、まだ決めつけるには早い。
たまたま、同じ名の子が来ただけかもしれないし。
私は、塩田ミオのことを思い返した。
クラスの中心的な人物で、女子のリーダー。
私なんかよりもずっと可愛くて、気も強くて。
2か月ほど前から、私は嫌がらせを受けるようになってしまった。
そして戦う勇気のない私は、すぐに不登校という選択をした。
お願いします、どうか人違いであってください。
私は心の中で、そっと祈った。
だけど。
「でしょ? ほんと、マジでアタシって天才ってゆーか」
さっと血の気が引いていく。
彼女は、私の思い浮かべていた塩田ミオで間違いなかった。
二人は私の座るソファー席の、反対側に着いたようだった。
最悪だ。
このまま逃げ帰ってしまいたい。
でも今席を立つと、見つかる可能性もあるし。
幸いにも、ここは死角になる位置だ。
黙ってやり過ごせば、何事もなく終わるはず。
「つーかさ。その天海ってやつ、ずっと休んだままなんよね?」
はっと息を呑む。
どうやら、私の話をしているらしい。
「あんな奴、辛気臭くなるから、来ないで欲しいわ」
「あはっ! 辛辣ぅ」
「間違ってないでしょ。あんな見た目も地味で、性格も根暗。ウチと話すときはずっとオドオドしてるんだよね」
ミオは私に気づかないまま、私の悪口を捲し立てていく。
このまま耳を塞げばいいものを、体が硬直して動いてくれなかった。
「正直キモイ。マジキモイ。ほんと不登校になってくれて、ありがたいわー」
「ほんと、天海のやつムカつくわ。あんな芋女なんかより、絶対にアタシの方が……」
立て続けに聞こえてくる、私への陰口。
気分が塞ぎこんできて、目には涙も溜まってきていた。
……逃げ出したい。
そう思った時だった。
「アタシの方がなんだって?」
少年の声が、聞こえて来た。
それは、私のよく知る男のこの声で。
「くっ、黒川くん!? なんで、ここに」
「行きつけの店だからな。それより、塩田さあ。やめろよな。こんな場所でさ、大声出して人の悪口で盛り上がるの。マジで、みっともないからさ」
「ちっ、違うの!」
「違うってなにが?」
「だって、しょうがないじゃない! ねえ、なんで私じゃダメなの! 私の方が、あんな奴よりも絶対に」
「そういうところだよ。お前と付き合うのなんか、絶対に嫌だね」
バンッと大きく机を叩く音。
それからミオは逃げるように、店外へと駆けていった。
「ちょっ、ミオ! 会計! あ~、もうっ!」
慌てて清算を済ませると、ドタバタと後を追って出ていった。
黒川くんは、大きくため息を吐く。
そして私の対面へと腰掛けた。
「よお、天海。遅くなって悪い」
「ぜんぜん! ぜんぜん、大丈夫だよ!」
「ははっ、相変わらずのオーバーリアクション。……ごめんな、塩田が来るなんて思わなくて」
「そんな! 黒川くんは何にも悪くないよ!」
「でも、いやな思いしただろう?」
「……それも、本当のことだし。塩田さんに比べたら、私なんて……あいたっ」
デコピン。
ほのかな痛みに、手で押さえる。
「ちょ、黒川くん」
「自分を卑下するのはやめろ。昔からの悪い癖だぞ」
真剣な目つきだった。
吸い寄せられるように、彼の瞳に魅入ってしまう。
恥ずかしいのに目を逸らすことさえも躊躇われる。
そうだ、思い出した。
私は彼の、何にでも真剣なその姿勢に。
「く、黒川くん! そういえば今日の用件っていったい」
「学校のことと、それから……もう一個」
黒川くんは言葉を濁して、頬をかく。
その顔は、なぜか赤く染まっていた。
「長い話になりそうだし、まずは注文しないとな」
黒川くんは手を挙げて、店員さんにオーダーを告げる。
「アメリカン珈琲を1つ、砂糖多めでお願いします」
最後までお読みいただきありがとうございました。