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8 血をひろめる

「やっぱり、ここの所のあくどい強盗続きがきいてるんですよ。しかも捕まえた下手人は、再犯ばっかりだし」


『そうよね。お金とられるだけならまだしも、けがをさせられたり、家族を殺されたりしては、そういう風に思うのも自然ななりゆきよね』



 ぽた、ぽたた……。


 控えめな音で、雨が鎧戸よろいどを叩いている。書斎を兼ねた自室の机で、ミルドレは女神あいてに持ち帰ってきた仕事の話をしていた。



「現時点で、極刑制度を導入しているのはイリー諸国内ではフィングラスだけ。制度としてあるだけで、実行例はほとんどありません。以前、キヴァン領との境目で山賊被害がひどくなった時に、採用されました」


『犯罪抑制効果はあったの?』


「ええ。国境はさんで、キヴァン側に山賊市場がひっくり返っただけじゃないのか、って声はありましたが」


『それはともかく、フィングラスで効果があったのなら、それは成功としてみても良いわね。……導入推進派は王とあなた、それにセクアナ老侯か。ターム老侯がばりばり大反対、と』


「私は積極的に奨めるわけではありませんが……、やはりさっき出た抑制効果ねらいです。近郊の強盗騒ぎもひどいけれど、北方街道や東部での賊の活発化が、すごく気になるんですよ。少なくとも、テルポシエ領内での治安悪化は食い止めないと」



 ふんふん、むずかしい顔で女神は頷いた。



『その辺の事情は、すっごくよくわかるわ。でも女神としては、罰であっても人に人の命を奪って欲しくないのよ……。皆、この世に来たときは、まっさらさらの魂だったわけなんだし。そこから何をどうやって、そんなひどいことする人になっちゃうのか、そこんとこの悪しき過程よね、本当に滅すべきなのは』



 机の反対側、ミルドレも難しい表情でふんふん言っている。



『それに、アイリースとエイリィも、もともとは死刑扱いで追放されてるからね……。彼女たちはティルムンの法に準じなかったというだけで、けっして人間としてまちがったことをしたわけではないのよ。そういう彼女たちの子孫であるイリー人のテルポシエが、極刑をあらたに設けるってどうなのかしら、うーん』


「うーん。難しいですね、黒羽ちゃん……」



 こんこん、扉の叩かれる音が響いて、さっとミルドレは立ち上がった。



「ミルドレさん、お香湯こうゆいれましたよ」


「ありがとう、リルハさん」



 人の好さそうな笑顔、青い長衣のリルハが盆を持って、扉の前に立っていた。



「遅くまで、お仕事ごくろうさま。うんうん唸ってらっしゃるのが、聞こえちゃった。お湯のみふたつで、よろしかったのかしら」


「ええ。いつも注文多くって、すみません」


「いいえ! ふたつに注いでおけば、一杯めを飲んでるうちに冷ませるからってご説明、なるほどと思いましたわ。……それじゃ、お先に休ましていただきますね」


「お休みなさい。赤ちゃんによろしくね」


「ええ」



 扉をしめて盆を机に置く。



「あれ? 黒羽ちゃん」



 窓の引き布から、女神が半分だけ顔を出す。ミルドレは不思議そうに首を傾げた。



「どうして、リルハさんが来るといつもかくれちゃうんです? 彼女には見えっこないのに」


『……』


「ほらほら、お香湯をいただきましょう」



 ふわんと浮いて、机の前の腰掛に戻る。ミルドレが急須から、良い匂いのお湯を注ぐ。



「……私にはあの方、とても幸せそうに見えます。気にやまないで」



 林檎に似た香りのかみつれ。香水山薄荷、ちょっとだけういきょう。


 リルハその人みたいな、やさしくて朗らかな香湯だった。


 こちらに来てなぜだか本当によく眠れるようになった、といつもにこにこ笑う人。あんまり育ちが良いから、結婚して指環をはめただけでお腹に赤ちゃんを授かったと信じきっている、純心そのものの若いリルハ。


 かの女はいつもリルハにありったけの祝福をあげている、自分のしていることの対価になるようにと――。


 けれど女神は、自分の良心がいくら叫ぼうがわめこうが、ミルドレから離れようとは思わない。



「全然違う話なんですけどね、黒羽ちゃん」



 騎士どうしの会議で話す時の調子で、ミルドレは言った。



「私があなたを見られる、聞こえると言うのは、やはりひいひいおばあさんの東部の血筋のおかげ、と思うんです」


『?』


「ですから私の血がこう……テルポシエじゅうに、ぶわっと多く広まれば。後世の子孫の中に、あなたを見ることのできる人が出現する確率が、高くなると思いませんか」


『……ええ、まあそうなるのかしら……。でもわからないわよ、そんなこと』



 ミルドレは大まじめな顔をしている。



「他の女性のかたとも、関係を持ってみようと思うのですが、どうでしょう?」



 女神はほかほか湯気の上がる椀を手に、ぽかーんとした。



「黒羽ちゃん、リルハさん以外の方にも、のりうつれますよね?」



 ようやく、ミルドレの言う意味がわかった。かたかたかた、両手のひらが震えだす、香湯がたぷんとはねる。


 机の向こうのミルドレは、全く対照的に冷たく落ち着いている。



「将来的に王統に近付くことを考えると、やはり貴族に限ると思います。お子さんができても不自然でない年代で、既婚のご婦人に絞りましょう。経済的負担のかからないよう、なるべく富裕なお宅がいいでしょうね」


『……ミルドレ。本気で言ってるの』


「本気も本気ですよ。傍から見たら姦通罪ってやつですけど、リルハさん同様に皆さん意識も記憶もなくなるわけだし、向こうは身におぼえなんて残りません。そして私自身が大切に抱くのは黒羽ちゃん、あなただけです。ご婦人方の体だけお借りして、卵を置かせてもらうんです。かっこうみたいに」


『……』



 女神は顔を伏せた。ミルドレが立ち上がって机を回る、かの女のすぐそばにしゃがんで顔を寄せる。



「私はいつか死んでしまうけれど。永遠に生きるあなたを、ひとりぼっちに残していくことは絶ッッ対に、しません。テルポシエ中に私の種を、未来に孵るたまごを残します。あなたがいつまでも、たのしく笑っていられるように」



 こころの核に切り込まれるような、厳しい声だった。かの女の姿を映すあおい瞳も、ぎいんと緊張しながら女神をつらぬいている。そのあまりの厳しさに、黒羽の女神はミルドレが悩み抜いたことを知った。



――そこまで?



 ミルドレの、男の真心が痛い。痛い。痛い。


 かの女はおずおずと右手を上げて、差し出されたミルドレの手にのせた。



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