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35 テルポシエ陥落【完】

女神がぶーんとやって来た時、市外壁すなわち北門の外側には、黒蟻の大群のようにエノ傭兵達が群がっていた。


突破された最終第四壁を越えて、湿地側からどんどん黒い兵が集まってきている!


彼らは引いてきた図太い丸太を使って、門扉にぶち当てた。


ずどーん!! いいぞお前ら、もう一丁ーッッ。


ずどーん!! おうらぁッッ!



もう、いっときの猶予もならない。けれどお誂え向きに、きゃつらは密集している!


ぐーん、女神はその上空を垂直に飛んだ。地上から約二愛里に到達、ぐるりっと身構えて遥か下に見えるテルポシエ市、その北門を睨む!



『エノども!!くらえぇえッッ』



ぎゅううううん!


かの女はぐるぐると回りながら急降下を始めた、両の翼にありったけの力を込めて、風を作る。それは鋭い螺旋風となって、黒い集団に向かってゆく。



『たつまきごうふうけーん!!!』



強烈な突風が、密集するエノ軍歩兵集団を直撃し――くだけた。



『えっ』



ずどーん!!丸太の突撃は規則正しく続いている。



『も、もう一度…』



何かの間違いだと思いながら、いま一度女神は急降下を繰り返した。しかし、真っすぐにエノ軍へ向かって行った突風は、彼らの頭上に張り巡らされた見えない壁に砕かれて散ってしまう。


今度は女神は東方へ飛び、そこから自分に作り出せる限りの強風を作って、エノ軍へ横殴りに叩きつけてやった。しかし、誰も何も吹き飛ばない。



『な…何で!?』



瓦解音と歓声とが響く。北門が落ちた、黒い群れはその中へとなだれ込んでいった。


はっ、として黒羽の女神は市外壁を飛び越す、黒い群れと緑の群れが、うすい曙光の中でぶつかり合っている。



『ウルリヒ、…ウルリヒ!!』



すぐに見つけた。市内壁にもたれてへたり込んでいる、左目を左手で覆っている、その右腕には矢羽根が立っている…!


女神は腹を立てた。


すっと混戦の中へ降りたつ、すぐ側で戦斧を振り上げた大きな大きなむさ苦しい奴の背後に手を伸ばした!



『熱をよこしなさいッ』



しかしかの女の手は、すかっとそいつを通り抜ける。


黒羽の女神は愕然とした。どのエノ傭兵にも、文字通りかの女は手を出せなかった。熱をつかみ出せない、心臓を握りつぶすこともできない。翼びんたは空を切って、誰も吹き飛ばせない。



『なんでっ!!何で何でっ…』



泣きながら、かの女は殺戮の場を飛び回った。


仕方なく、体をちぎられ割られて虫の息の緑の騎士から熱をつかみ出し、壁際のウルリヒに押しつけた。



『逃げてウルリヒ、ここから逃げて!!』



少なくとも王は、ぎいん!と右眼に光を灯した。


見えないはず、聞こえないはずの彼はしかし、立ち上がりながら言う。



「逃げねえ」



とととと、ととっ!!


背後から、雹が降り叩くような音が迫ってくる。


はっとして、女神はウルリヒの上空へ飛び、黒い翼をいっぱいに広げる。



『うぁっ…あああああ!!!』



その翼を、十数の矢が突き抜けていった――耐え難い激痛をかの女に与えながら。



「陛下ぁっっ」



同時に、若い騎士が叫びながらウルリヒの身体に覆いかぶさった。ととととっ、と!!


女神の翼をつき抜けた矢は、その騎士の背中に立つ。何本も何本も、何本も。


黒羽の女神は、ぎいっと壊れた北門の方を見た。その向こう側、場違いな毛皮の上衣を着た男――そいつの手にする杖を睨んだ。先端が白く光っている。



『理術士ィィィッ』



ぎりりっ、かの女は小さな顔を怒りに歪めて、歯をむき出した。こいつだ!この男が、エノ軍を理術で守っているのだ…!


怒りのあまり、女神は我を忘れた。飛んで行ってそいつの横っ面に、黒き翼の一撃を見舞ってやろうと振りかぶった――男はひょい、と杖を傾けた。静かに呟く。



「やっぱり何か、妙なのがいる…」



瞬時に、その杖の光の中から放たれた、これまた光る白い網のようなものが、女神の全身にとり絡まった。


どすん!


かの女は墜落して地べたに転がる。身動きすらできない、網目の中でかの女は悔し泣きの咆哮をあげた。“本体”と一緒なら、なみの理術士など何でもない。けれどそこから切り離された“心”だけの今のかの女は、東方の精霊同様、ティルムンの理術に対抗する力を持たなかった。



『わたしの、テルポシエがぁぁ!!』



身をよじってわめきながら、かの女は空を見上げた。このままでは。…このままでは!



『…ミルドレ――――!!!』



♪ ・・・の土地うまれ きれいなあの子を・・・



はっとした。残虐な喧騒の中をぬって、かの女にたどり着いた声が…歌が、かの女に触れた。



♪ 持参金なんざ要らないさ 俺は豊かだ きみがいるなら



白く光る網がきしんだ。


ばりばり、ぱりぱり… ずばっ!


砕けた部分からかの女は腕を振り回し、残りを引き剥がした。



『ミルドレ。ミルドレッッ』



ばふっ!! 黒い翼をまっすぐ空にのばす。


その翼に、虹色に輝く“歌”が触れ、羽毛の上を滑らかに流れてゆく。翼は、虹色の光を帯びた。



♪ イーレにいい土地もってるし ファダンの谷間の両側だって



ばしぃいいん!翼の一撃を喰らって、右の二人が飛んでゆく。



♪ シーエの地主なんだって 信じないかなあ



ばしばしぃいいいん!!今度は左の四人!


“歌”に護られた翼で傭兵達を吹き飛ばしながら、黒羽の女神はずんずん歩いて行った。


ふと、殺戮の場に静寂が流れた。


聞き慣れたウルリヒの気合が、市内壁前で爆発している。


ぽっかり空いた空間に、ウルリヒともう一人、中年の男が向かい合っている。全身からぎらぎら挑発笑を発して、血だらけのウルリヒは吼えていた。対する男は長い黒髪を微風になびかせ、終始やわらかく答えている。


女神はウルリヒの前に立ち、翼を大きくかざした。


挿絵(By みてみん)



「ではエノ軍総統よ。約を守れ」



大気をびりびり震わすくらいの気迫が、かの女をつき抜けてゆく。



「テルポシエを、俺の国を、その全ての民を、傷付ける事なく統治しろッ」



敵将は笑いじわを消し、冷たい瞳でウルリヒを見る。王のすぐ前に身構えた女神にも、その視線がかぶさった。


何かを呟いてから、彼は右手にさげていた長剣を一閃した。


女神の翼はそれをびしりと受け止める、…かの女は内心で叫んだ、絶叫した。昏すぎる炎のような闇、男の中で燃え立つ闇が、女神の全身を突き抜いて、虹の光を通してさえかの女に激痛をあたえたのだ。


そしてみえない何かに阻まれても、敵将は全くひるまなかった。次の瞬間、彼はするりと太刀をかえし、衝撃におののく女神の翼の脇に、すういと走らせる。


女神は見切れず、受けることはかなわなかった。振り返るかの女の目の前で、前を向いたままのウルリヒの首が、紅い生命と熱を噴き出しながら宙を飛んで行った。


かの女は手を伸ばして、その散り散りに舞う熱をつかんだ。胸の前に、抱いた。


黒い男達はかの女をつき抜けて、市内壁にむけ突進してゆく。


突かれ切られ殴られ刻まれて、死んでゆく緑の騎士たちの声が、かの女に当たっては砕けてゆく。限界だ、耐えられなかった。



かの女は飛び立った。ミルドレのか細い歌はまだ続いていた、涙をこぼしながら細い糸のような歌をたぐる、黒羽の女神はその源へ、東の鐘楼へたどり着いた、かの女に唯一残されたものにしがみついた。



『救えなかった』


「…見てました。あなたの羽音を追ってたら、どうしてだかあなたの視点で、全部見えた」


『…』


「だから戻しちゃって…面目ない、騎士なのに」



血の気の引いた白い顔で、ミルドレは力なく笑いかけてはっとする。



「黒羽ちゃん、その怪我…ああっ、お羽がこんなにぼろぼろに、…何て事だ!!」


『もう、わたしはテルポシエを護れない。でもミルドレだけは、どうにかしてまもりたい。一緒に来て』


「ええ」



よいしょ…と短槍をついて、ミルドレは立ち上がった。



『まずあなたをどこかに逃がして…それからエリンを連れ出すわ。書庫の裏に隠れているんでしょう?』


「黒羽ちゃん。…ヨース侯が言っていた事は、おそらく本当です」


『…?』


「エリン姫は自分の意思で、残る事を選んだのです」


『でも、エノ軍が来るわ』


「エリン姫とシャノンさんなら、隙をついて自分達で“通路”をゆくこともできる。…私たちはもう、必要とされていない」



騎士と女神は、かなしげな視線を交わした。



『わたしを見ず、聞かないテルポシエは…もう、わたしを必要としていないのね』



肩をすくめた。



『…それはわたしも同じ。わたしを見て、聞いて、…ふれてくれるひとのために、わたしは在りたい』



黒羽の女神は、ミルドレの胸をぎゅうと抱いた。鎖鎧がかすかに軋る。



「私は、黒羽ちゃんをひとりにしない、っていうのが使命の騎士ですから」



ミルドレは歌い始めた。花の咲かない黒髪頭に、やさしく手のひらが触れる。


黒い翼を大きく羽ばたかせて、ふたりは飛び立った。


灰白色の冬の朝を、黒羽の女神とミルドレは流れていく。


かの女につかまって、彼は細く長く、歌っていた。


いつものと違う、初めて聞く歌。こんな時に、どうして…思いかけてすぐわかった。かの女の知らない、この言葉の意味するところ…これは、死者を悼む歌。



「私も音でしか憶えていないんです。たぶん、ひいひいおばあさんが持ってきたんでしょうね」



低く呟いて、またミルドレは歌う。


遥か昔、祖父母を失った時に父がうたい、その父をなくした時に自分で小さくうたった歌。その歌をいま彼は、亡びゆく故郷に向かって歌っていた。


丘の向こうへ旅立った人々をいたむ歌、いとおしい人々を忘れないための歌、その別離を乗り越えて生きるための歌。



海の挽歌。



【完】






以上で、「黒羽ちゃんと不滅のお供え騎士」は完結です。


皆様、ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。


黒羽の女神と騎士ミルドレは、本編「海の挽歌」その他にも登場しますので、どうぞふたりの今後の活躍(?)をご覧ください。


また、闇歴史であるこの物語を読んでから、ここまでの本編その他の展開を読んで(読み直して)いただいても、「ああ、そういうことだったんかい」と、思っていただけるかもしれません。


明日からは、「海の挽歌」本編更新が一日二回に戻ります。

https://ncode.syosetu.com/n4906ik/


0時・12時の毎日二回更新ですので、ご注意ください。完結までの、猛ダッシュが始まります!


引き続き、「海の挽歌」の世界をお楽しみいただければ幸いです。


挿絵(By みてみん)


(門戸)

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