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32 イリー暦188年 エノ軍テルポシエ包囲開始

 続く数か月間、貴族各家の宗主どもは、史上初の女性“傍らの騎士”を認定するかどうかでしょっちゅう論争している。


 シャノン本人は飄々としていつも通り、誰にも礼儀正しく接した。


 毎日の鍛錬で長槍をぶん回し、湿地帯への連絡も足軽い。エリン姫の外出護衛はお任せ、ミルドレとほとんど変わらない目線の高さで笑顔の挨拶。しっぽのようにまとめた後ろ髪を、少しくたびれた紅色てがらが飾っている。



『シャノンが男性だったら、皆こんなにぎゃんぎゃん言わずに、傍らの騎士と認めるのかしら?』


「うーん……」


『わたしは、シャノンが女性だからこそ、これだけ良い騎士だと思うんだけどなあ』


「確かに、こんなに頼りになる人、いませんものね」



 しかしこの議論はやがて、片隅に追いやられる。北方へ繋がる街道に据えた監視拠点が、ひとつまた一つとエノ軍に落とされ始めた。




 イリー暦188年、春。


 ついにエノ軍がテルポシエ領内への侵攻を開始した。街道が東西で分断、封鎖される。大量の傭兵で構成されたエノ軍は、北部・東部の湖沼地帯を中心に次々と中小陣営を設置し、じわじわと包囲を狭めてくる。


 海路は機能していたから、貴族の子女を中心に脱出者が増えた。オーラン、ファダン、ガーティンロー、縁故を頼って皆続々と逃げてゆく。


 黒羽の女神は時々荒野を飛んでいって、対の翼で強風をつくった。がさがさした格好の傭兵達ごと、小さい陣営を吹き飛ばす。でもかの女がへとへとになっても、じきに彼らは戻ってきて、何くわぬ顔で別の陣営を作ってしまう。女神はぞくりとした。



――三百年ぶりに、巨人にならなきゃいけなくなるかも……。エノ軍だって人間のかたまり、できれば殺したくない! 何とか衝突せずに、済ませられないものかしら??



 ミルドレと出会ったばかりの頃は、皆のんきに眠気と戦っていた全体会議も、徐々に緊迫し始める。


 エノ軍は毎夏に起こる潮流弱化に乗じて、海から攻めてくる気なのではないか、と言うものがある。いやいや今冬は四年に一度の冬季弱化の起こりうる年だから、むしろそちらなのだろうという意見もあった。エノ軍の母体は海賊集団なのだから、浜のり船を使って東側のクラグ浜方面から寄せてくるかもしれない……。


 だがどこまで話し合ってみても、執政官たちの観点は“どこをどう守るか”である。



「ファダンとガーティンローの騎士団に援助していただき、オーランから攻めてもらえば、挟み撃って効率よく西側街道を確保できるのではないでしょうか?」



 だからシャノン・ニ・セクアナ若侯がさらっと発言した時は、その場一同がぽかんとした。



「イリー勢を背にすれば、エノ軍を東に押し返す形になります。長期戦になっても、安定して失地回復に集中できると考えます」



 ぷ、と誰かが小さく吹きだした。



「セクアナ若侯、これはテルポシエの戦いですから」



 冷笑を含んだ声で、中年騎士がたしなめる。


 これだから女はなあ……。別の方面からくぐもった声。シャノンはひょいと肩をすくめて、着席した。別に気にしている風もない。


 一番楽に状況を変えられる方法がわかっているのに、あえてそれを使わないのが不思議、そういう顔だった。ミルドレの横で、黒羽の女神も首をひねる。



――そうか……。よく考えれば、同盟諸国に助けてもらっても問題ないのよね。オーランはテルポシエの属国みたいなものなんだし、向こう側から牽制だけしてもらって実質的な戦闘はこちら側とすれば、そこまで恩を着せられることもないと思うんだけどなぁ……?



「野営のエノ軍が、冬季まで包囲を続行するとはとても思えません。市民兵による防衛壁警備を強化し、折を見て騎馬突破するのがよろしい」



 執政官の誰かが取りまとめた。というか毎回、この取りまとめで会議が終わる。



・ ・ ・ ・ ・



『もしも。もしも、よ? 包囲が狭まって、エノ軍と騎士団が正面対決することになったら、ミルドレもそこで戦うことになるの?』



 今年も実った庭の林檎を分けて食べながら、女神はたずねる。



「どうでしょう。やっぱり見かけがこうだから、前にはやられるでしょうね。あるいはウルリヒ陛下と、ずーっと一緒かな……」



 ミルドレも、林檎をばりばり噛みながら言う。



「よく考えたら、私も戦争らしい戦争って初めてなんですよね! 暴動鎮圧は、けっこうこなしてきましたけど」



 そうなのだ。女神は不安である。


 確かに短槍の扱いに秀でたミルドレではあるが、混戦の中で無事でいられるだろうか? 例えば、投擲の打ちどころが悪くて即死でもされたら、いくら後から熱を盛っても、蘇生させることはできない。



『そうなるとやっぱり、数世紀ぶりにわたしの出番ね。大きな体に戻って、どかーんとエノ軍を追い散らしてやるわ』


「黒羽ちゃんが!」


『ええ。ミルドレを東の丘に連れて行くから、わたしの姿が見えて声の聞こえるあなたが、ほんのちょっと血を出してわたしの本当の姿を呼ぶのよ。大きくなってもわたしはわたし、ちゃんとテルポシエの味方でいるから、何にも心配いらないわ。よろしくね』


「ええ、がっちりお手伝いいたしますよ!」



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