31 イリー暦186年 ウルリヒとシャノン
イリー暦186年。
シャノン・ニ・セクアナ若侯が一級騎士となった。
筆記も実技も首席での試験合格、ついでに王と妹姫の長年の“友人”ときては、正面切って皮肉を言う同期もなかなかいない。彼らは見習い期間のあいだ、彼女の冗談みたいな強さ速さ、とことん賢い誠実さを身を持って知っていたから、どちらかと言えば盾となって、旧い世代からのやっかみ口撃を防いでくれる。
ミルドレと出会った頃の騎士間いじめを思い出し、女神も時々シャノンの後ろにくっついて、いやらしい皮肉を言いかける他世代騎士の書類を吹き飛ばしたりしていた。けれどそのうち、別にそういうことをしなくても、シャノンは自力で嫌がらせを跳ね飛ばせると知る。
『おっと、ミルドレ……! 今年もまた市場で、迷子ちゃんが叫んでるわ。ちょっと行って、寄り添ってくるわね』
「はいはい、季節がら多いですね。すぐに見つけてもらえると良いけれど」
ぶーん、と城の上空から東門に向かって飛びかけた女神の目に、展望露台に佇むふたつの長細い人影がうつる。
――あらっ、またしても歴史的瞬間かしら??
上空ちょっと羽をとめたが、思い直す。
――王様と騎士、ふたりのことは、もうふたりで決めるんだものね。わたしは迷子の寄り添い担当、弱者が待ってるわー。
再び羽ばたいて、ぎゃーんと泣いてる女の子の声を目指した。
・ ・ ・ ・ ・
「なあ、シャノン。次の、……俺の“傍らの騎士”、お前がやってくれないか」
騎士ははっとして目を見張る、ほんのちょっとだけ高いところにある翠色の双眸が、やっぱりいっぱいに見開かれて自分を映している。
「俺は、お前がいいと思う」
シャノンは思わず、ありったけの力を込めて左手を握りしめてしまった。胸の奥底から、全く経験のない震動が押し寄せて来たから。
「いだだだだだ、うぁああっ、そうだなごめん!! 違うよなッ」
「はっ……ご、ごめんなさ……」
ウルリヒのひきつる悲鳴に、慌てて左手を放したが、王はめげずにシャノンの両手をとらえた。
「思うとかじゃなくって、俺はお前がいいのッ」
「……」
「だからシャノン、傍らの騎士と一緒に、お妃も引き受けてくれッ」
「……だめなんですよ、私は」
「何でだよッッ」
端正な顔を面白く引きつらせて、ウルリヒは小さく叫ぶ。
「女じゃないんです。お妃はつとまりません」
「はあ――っっっ!? いや冗談だろ? どこからどう見ても男じゃねえよ!?」
「いえ、そうではなくて……、」
たはは、とシャノンは苦く笑ってみせた。
「お月様が来ないんです」
ウルリヒは目を点にした。
「もう七・八年になるんですけどね、月のものが全ー然、来ないんですよ。お医者様には石女と言われてまして……。シャノンはお世継ぎ、産めません」
なかったら、なかったでいいのだ。これまで通り無休で鍛錬に励めるし、男性陣同様に野外巡回も長くこなせるのだから。
「……治んないの? それ」
「どうでしょうねえ」
笑ってみる、我ながら寂しさ満点の笑みだろうとシャノンは思った。
ふうっと目を伏せ、そしてウルリヒはくわッと開眼した!
「俺たちには、エリンちゃんがいるじゃねぇかッッ」
「はい?」
「エリンをどこにも嫁にやんないで、ここテルポシエで永年お姫様やってもらえばいい! で、あの子がぞっこん惚れた男を旦那にお招きしてだ、仲良く甥やら姪やら産んでもらおう! それがお世継ぎで万事解決だぁああ」
「うえぇっ、そ、そんなことは……まさか姫様がっっ」
「心配すんな、シャノン! あいつは見かけ細っこいが、くびれた先のおいどは存外にでかい。侍女の婆ちゃんたちが、安産型とほめたたえているのだッ」
「むちゃくちゃですよ」
「何がだよ。俺様は王様だぞよ? このくらいの主張は、じじい騎士連に通してみせらぁ」
ふんっ、と鼻息をあらくついてから、ウルリヒは改めてシャノンをじっと見つめる。
「という訳でだな、こういう色々をともに乗り越えていけそうな、頭良くて腕っぷしの強いお妃が必要である。俺は基本的にすばらしいが、どうにも間抜けな所がある故、シャノン・ニ・セクアナ若侯以外にそれがつとまる女性はこの世のどこにもいない。傍らの騎士兼奥さん、引き受けてくれ!!」
知らない人が見たら、喧嘩を売っているのかと思える程に気合の入りまくった眼力で、ウルリヒは強く言い放った。
「俺は、お前が好い」