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3 虹の髪

「ええ? じゃ大昔は誰でも黒羽ちゃんを見て、喋ったりできたってことなんですか?」


『そうなのよ! だからいつでもにぎやかだったしね、楽しかったわ。お供えたっぷり、おしゃべりいっぱい。時間が過ぎるのも、とっても早かった』



 雨が吹きつける、ある日の正午。


 騎士はこの頃、昼食持参で訪ねてくるようになった。


 女神は透かし堂を降りて、下にある鐘楼の中に座り込み、ミルドレが木鉢にわけてくれたものを賞味している。


 かの女自身は雨にも風にもへっちゃらなのだけど、ミルドレが濡れるのは嫌だった。ここなら石壁の中、静かにお供えものを食べられる。



『おもしろいわ、今はこんなに小っちゃなお鍋があるのね!』


「本当は旅先で、お湯わかす用なんですよ。でもこれに煮込みよそってもらえば、食堂から運んでくる間に冷めないでしょ?」


『ええ、あったかくっておいしーい。赤宝実、って言うんだっけ? こんなの食べてる人、昔はいなかったわー』


「北部穀倉地帯でしかとれない野菜ですから。イリーで食べるようになったのは、ここ三・四十年くらいじゃないのかな」



 取っ手付きの金属製携帯椀から、自分はじかに木匙で食べながら、ミルドレも頷く。



「あ、白ぱんもありますよ」


『おおっ! こっちは相変わらずなのね、ティルムンの匂いがするぅー』



 騎士は小首を傾げた。



「ティルムンの匂い?」


『ええ、ティルムンから輸入した干しいちじくを使ってるでしょ? なつかしい、からから沙漠の乾いた匂い』



 女神はうっとり目を閉じて、白ぱんの半分をもぐもぐ頬張った。


 ミルドレは自分のぶんの匂いをかいでみる。いちじくの匂いはわからなかった、確かにイリーの白ぱん種には、ティルムンでしかとれない干しいちじくの実が欠かせないということは知っていた。定期通商船で届けられるだけの高級品である。だから庶民むけの黒ぱんには使われていなくて、こちらはぺたんとした食感がする。腹持ちがいいから、実はミルドレは黒ぱんの方が好きだったのだけど。



「なつかしい、ということはティルムンにお住まいだったのですか?」


『ええ、そうよ。ティルムンというか、あの辺をうろうろしていた時代があったの。アイリースやエイリィに会って、皆と一緒にこっちに来たの、その辺のお話は知ってる?』



 ごくッ、ぱんを喉に詰まらせかけて危うい所で飲み込むと、ミルドレはうなづいた。



「知ってるも何も、建国神話じゃないですかぁ」



 そうだった、このお嬢さんは我が国とイリー世界を創りたもうた女神様である!



『ああ良かった、さすがにそこまでは忘れられてなかった』



 かの女は空のお椀を膝にのせて、苦笑する。



『……ほんと、不思議なの。みんな初めは、しっかりわたしのことがわかるのよ。でも何世代か経つと、だんだんわたしの姿が見えなくなって、声も聞こえなくなる。だからわたしはどこでも忘れられちゃって、ひとりぼっちになって、……それで終わりなの。何回も、そんな感じだったわ』



 女神は笑っていたけれど、さみしそうな、哀しい笑顔だった。



 ――? “何回も”って、なにが何回も起こったのだろう? それに、“終わり”って?



 ミルドレは懸命に考えてみるけれど、独白めいた女神の言葉の後半部分は謎でしかない。



『だからとっても驚いたのよ、ミルドレが声かけてくれた時には』


「あ、……ええ」


『どうして、あなたにはわたしが見えるのかしらね? 今の時代、わたしを見られるイリー人なんて、もういないはずなのに。……ね、あなたの家族は遠くから来たりした?』


「いいえ、父も母も両方の祖父母も、皆テルポシエの者です。一人だけ、父方曽祖父の母親って人が、東部系らしいんですけど。ほら、この髪がね」



 ミルドレは肩にかかるちりちり髪をひと房、握ってみせる。



「他の家族は全員、白金髪にみどりの目なんです。典型的なテルポシエ人。けどどういう具合なんだか、私だけ生まれた時からこれなんですよ、目もそうです。その、ひい……ひいおばあさん、かな? その人の先祖返りなんですかね。黒羽ちゃんが見えるのも、彼女がやっぱり見える人だったとか、そういうおかげなのかも」


『東部系の、ひいひいおばあさん……』



 女神は首をかしげた。テルポシエ以東の世界のことは、ほとんど知らない。



「にしても、この髪がね。下町なんかに行くと、皆さん濃かったり明るかったり、色んな髪色しているから誰も何とも思わないみたいだけど。貴族どうしの同年代の中に入ったりすると、ぽっと目立っちゃうんで、まあいじめられましたね」



 ミルドレは苦笑した。過去形で言ったけど、髪以外にも変な所の多い彼への嫌がらせは、実は現在も続いている。若い騎士らの間にいるのがいたたまれなかった。それも、この鐘楼へ通う理由の一つである。


 女神がふうっといきなり眼前に迫った、彼の毛先に小さな手が触れた。



『なかなか素敵な髪だと思うけどねえ……。へえー、金と赤の中間が段々になってる』



 ものすごく真面目にじーっっと凝視されて、ミルドレは口を一直線に引き結んだ。


 かの女の髪は闇夜みたいな真っ黒々、今日はそこに淡い黄色のはりえにしだが、ずらっと咲いている。



『虹みたいなのね!』



 大発見をしたぞ、と言う顔で女神は言い放った。



『わたし、雨のあとの虹がとってもいいの。何百年みても飽きないッ』



 今日もミルドレは困り果てた。こんなに近くで、笑顔で髪を握られては、何をどうしようもない。


 一体いつ、とめた息を再開すれば良いのだろう……?


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