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24 イリー暦181年 料理屋次男坊

 イリー暦181年、花月の初め。


 あと六か月を待てば、ミルドレの待ちに待った定年退職がやってくる。


 余生をどう送るかは、もうだいたい決めてあった。


 広い屋敷は売ってしまって、賑やかな区に小さな住まいを借りて移り住もう。そう、例えば北区の下町なんかはとっても便利だ。毎日おいしいものを食べて、時々旅に出よう!



「生活の水準を、とことん下げるのです!」



 騎士年金がばっちりたっぷりいただけるのだから、先行きは安泰である。



「でもって、不老不死になる方法を研究するんですよ。お城の書庫には何にも手がかりありませんでしたが、各都市の古書店をめぐったり、識者の皆さんと話をしていけば、とっかかりをつかめるでしょう!」



 笑いじわの寄る顔が朗らかに輝いている。不老不死の秘法を、よくある健康法とほぼ同一視している風でもある。しかし騎士は、そうやって前向きに未来を考えることこそが、自分にできる最善策と心得ていた。


 恐らく自分はじきに死ぬ。それはわかり切っている、けれどそのことを嘆いていて、何か得るものがあるだろうか? むしろ黒羽ちゃんに嫌われてしまいそうではないか、いじけた老人だなんて見るからにしみったれている。それならそれで、最後のさよならの瞬間まで、女神と一緒に笑い続けようと思っているのであった。


 草色外套を羽織って、鏡の前でちょっと髪をなでる。イリー人ははげる人が多いけど、ミルドレの長いちりちり髪は分量がやせただけで、あんまり後退もしていない。けれど金と赤の中間色の段々に加えて、白いものがたくさんまじっている。



『雪の中に、虹が出るみたいなの』 と、かの女は笑う。



 そんな奇跡の風景をミルドレは見たことがないけれど、奇跡を起こしてみたいとはいつだって願っている。じっさい四十余年を経て、自分はついにかの女に触れられるようになったではないか? 希望を捨てず、地道に方法を探していれば、もう一つ奇跡を起こせるかもしれない。不撓不屈! 彼の好きな言葉のひとつだ。


 鼻歌をうたいだす、横の女神の黒髪つむじにぶちゅっと接吻する。



「さあ、今日も行きましょっか!」


『行こう行こう!』



 玄関扉を開ける、水色の空から降る透明な陽光!


 騎士は右肘をまるく開ける、そこにするっと小さな手がからまる。


 見上げてくる太陽みたいな笑顔の上、頭のてっぺんに大きな黄色いものが膨らむ。ぱあっと咲いたのはひまわりだった。




・ ・ ・ ・ ・




『なかなか良かったんじゃない? 露台も小さなお庭もきれい、お手洗いは使いやすそうだったし』


「んー、けど壁が薄すぎやしません? お隣の声がまる聞こえだったし、あれじゃ黒羽ちゃんと仲良く話もできません」


『あっ、本当ね! 自分で自分に話してる、独居老人と心配されてしまうわ。あーあ、じゃあ今回もだめかなぁ』



 勤め帰り、下町借家の内見をしてきたのである。手ごろな住まいはなかなか見つからないが、急ぐ必要のないふたりには、これも道楽となりつつあった。



 ますます姿を見せなくなっているオーリフは、酒毒に侵されるいっぽうだ。


 先日などわけのわからないことを言って、正餐の場でエリン姫に絡み出す始末だったから、ちょっと手荒く連れ出した。廊下で王はミルドレにすがって、泣きそぼる。


 一部の……いや大多数の宗主たちが、王は療養のために隠居するべしと主張し出したことも、ミルドレは知っている。ただでさえ東部地域で海賊の動きが活発化して、この頃は首領自ら王を名乗る、不遜な大武装集団まで出没しているのだ。こんな王ではまさかの有事に対応できるとも思えない。オーリフはテルポシエ王室の綻び目、そこを賊につけこまれては一大事である。


 だがしかし、今更ミルドレは動こうとは思わない。女神の声を聞けるにもかかわらず、それに耳を塞ごうとするオーリフには極度に落胆していたし、そういうオーリフに振り回されてばかりで、うだつの上がらないディアドレイにもがっかりしていた。彼女は見えて聞こえる孫を産んではくれなかった。ウルリヒもエリンも良い子だ。しかしかの女が見えない、聞こえない。つまりは普通の人間の子、かわいいだけのよその子――それだけなのである。


 けれど、それももうどうでも良かった。女神のために、やれることをやったとは思う。ただ自分はその成果――もう何世代か後に現れるかもしれない成果を、見ることはなかろう。そういう事柄に、振り向ける時間が惜しくなっていたのだった。それよりもかの女とともに、笑い楽しむ瞬間を増やしたい。




「あと、市門に近いっていうのも諸刃の剣ですね……。便利だけれど人通りが多いから、うるさくて……おや?」



 すぐ目の前に迫った北の市門の衛兵詰所で、何かもめているらしかった。巡回役らしき四人の騎士と衛兵が集って、ざわざわ話している。ひょいと近づいて、声をかけた。



「こんばんは、何かあったのですか?」


「あっ、アリエ侯……。あの、実は迷子が出まして」



 振り向いた若い騎士が言う。



「違います、家出少年です」



 渋い顔をした壮年騎士が、訂正する。その騎士に両肩をつかまれる形で、十二歳くらいの少年がしょぼんとうつむいていた。


 一定時刻を過ぎてから、十八歳以下の未成年が通門するのは禁止されている。



「“麗しの黒百合亭”んとこの子なんですよ」


「えっ!」



 貴族の間でよく知られた、南区の高級料理屋だ。



「……でも、ここにいるということは、家出未遂なわけですよね?」


「そうなんですが、家の方にはやはり、とがめの通告をしませんと」



 のほほん笑顔全開で、ミルドレは肩をすくめた。



「私はこちらで、ちょっと訪ねた所があったのですが。たまたま居合わせたこの子に道案内を頼んだつもりが、一緒に迷子になっちゃった! ということにしておきましょう」


「アリエ侯」


「私も自宅が南区ですから、連れてってひとこと言ってきますよ。皆さんお疲れ様。さ、行こうか。君」



 巡回騎士達は、ほっとした顔で頭を下げる。ミルドレは少年の背を押して、歩き出した。



「もうすぐに夏至だね。道がいつまでも明るくって、助かるよ」


「……」


「きみ。どうして家を出ようなんて、思ったの」


「……たまらないんだもの。兄さんのこと」


「いじわるされたのかい?」



 ふるふるっと金髪巻き毛を振って、少年はミルドレを見上げた。ものすごく血色の良い頬、焼きたてぱんのような丸っこい顔をさらにあかくして、少年は悔し涙をぽろっと流した。



「けさ、農家のおばさんが野菜届けに来たんだ。今うちの村は水がなかなか足りなくって、でも一番いいのを選んできたんです、って。受け取り俺だったから、そう聞いたんだ。それなのに兄さん、こんなので和えもの作れるか、って言って……、二十日だいこんぜんぶ、捨てちゃった!」



 歩きながら少年は、両のこぶしでぐいぐい眼をこする。



「あんなにきれいな、赤と白だったのに! すじすじ過ぎて和えものだめなら、煮て汁にすれば食べられるのに。兄さんは、うちでは高くて美味しいものしか作って出したらいけないって言う、食べものにかわいそうな、気のどくなことして全然平気なんだ! 俺、たまらないよ!」



 女神もはらはらして、彼の背中をさすり続ける。



「……きみ。きみは料理つくるの、好きなのかい」


「好きとかじゃないよ! 俺は皆にごはん作るために、生まれてきたんだぁああ」



 少年にしてはこぶしの利きすぎである、変声まえのきんきん声で啖呵をきられた。



「それじゃおじさんに今日、ごはん作ってってくれるかな?」




・ ・ ・ ・ ・



 ちょうど使用人の休みの日だった。内見の後で、どこかの店に食べに行こうかと思っていたところである。



「あるもので、何とかしますッ」



 涙の跡はどこへやら、ミルドレの屋敷の台所に立つと、少年はがぜん張り切り出した。


 そこの卓に座って、騎士と女神は見とれていた。何というそつのない身のこなし、包丁さばきが目で追えない! まさに木っ端微塵切り!!



『す、すごーいっ! いま、平鍋のなかみが空中で四回転半したわ!?』


「できましたァーッッッ」



 目の前で展開されていた、圧倒的疾走感あふれる調理光景に度肝を抜かれていたミルドレは、それではっと我に返る。



「もう一人分、別によそってもらってもいいかな?」


「あ、はいっ」



 少年は何も疑問を挟まず、言われた通りにする。



『ぬおおおおおっっ!! こ、これはッッ』



 玉ねぎしか浮いていない玉ねぎ汁なのに、何と言う深みとこく!?



「正直、ここまで置き食材のないお宅とは思いませんでしたが、しわの寄った玉ねぎがいてくれて助かりました! 皮部分でだしをとったのです!」


「へえー……!!」


「かろうじて柔らかだった内側を汁の実に……、外側のかたい所で、卵とじをつくりました!」


『ふがあああああっ!! あめ色になった玉ねぎが……なんとも甘い、美味しいぃいッッ』



 女神は震えながら身悶えしている。ミルドレも感心した。簡素極まりないけれど、真剣な少年の心がこれでもかと言う程こもっている。食材の力を信じて、最大限うまくなってくれと願う心、とでも言おうか。そして玉ねぎと卵とが、その願いにちゃんと応えている。



「……君のおじいさんも、君のこと誇りにしていると思うよ」


「えっ?」


「私が君くらいの年の頃にね。いいや、も少し小さかったかな? 両親に連れられて、食べに行ったことがあるんだよ。君んちに。その頃は名前が違っていて、“麗しの黒百合亭”じゃなかった。出していたのも、こう……家庭料理だったね」


「……」


「席について、間がなかった。変な格好したでっかい男たちが入って来て、どら声でがなり立てたんだ。皆静かにしろ、女子ども以外すぐに店を出ろ! でなきゃ血祭りだぞ! ってさ。一番近くにいた私は、腕をぐっと掴まれて立たされて、訳がわからず引きずられて……。で、そこに、ばこーん」


「ばこーん?」


『ばこーん?』



 少年と女神は同時に聞き返した。



「腕を掴んでいた男が、前にばったり倒れた。目を上げたら、真っ白い前掛けをつけた、いかついおじさんが立ってたんだ。その人は手にした平鍋で、もう一人のならず者の頭を素早くばこーんとぶっ叩いて、“焼き目ーッッ”って叫んだ」


「……」


『……』


「おじさんは平鍋をぱすっと右から左手に持ちかえて、かるーく翻して、また、ばこん! 裏拳……裏平鍋と言うのかなあ。“ういっ!”って言って、それで終わりさ。三人の賊は平たくのびて、駆けつけた巡回騎士達に引きずられていったよ」



 うなづいて、ミルドレは卵とじの一片をぱくりと口にした。



「私はぼうっとしてしまって。でも気が付いたら、おじさんが私たちの卓子の側で、にこにこ笑って立ってるんだ。手にした平鍋の中いっぱいに、この玉ねぎ卵とじが入ってたよ。……おいしかったね、あれは。夢中で食べちゃった。それと同じ味だよ、久し振りに食べた」


「……俺の、ひいおじいさんです。それ」



 少年は前掛けを握りしめていた。焼きたてぱん顔をまたあかくして、目をきらきらと輝かせている。



「その後もよく行っていたんだけど。そのおじさんが引退してから、店の名前が変わって……路線も変わってからは、個人では行ってないんだ」



 ミルドレはまた、卵とじを口にした。本当においしい。



「大きくなったら、君は君が信じるように料理すればいいと思う。けどお客さんに、よりによった最高級のものを出すべしというお兄さんの料理は、それはそれでテルポシエの人に必要とされているんだ。つらいとは思うけれど、将来お兄さんを越えて……いや、お兄さんのとは全く別のお客さん、君を待つ人たちに向けたごはんを作るためにも、その手の内をとことん学んでみてやれ、とは思わない?」



 少年はうつむいた。いや、頷いたのだ。



「はい」


「私は、君のごはんがばっちり口に合うから。いつか君が新しくお店を出したら、常連になっちゃうよ」


『わたしもわたしも!』



 少年はいま、はちきれんばかりの笑顔になった。



「ほんとですかッッ」


「うん」


「じゃあ……、じゃあ、待ってますッ。店の名前、ひいおじいさんの代のに戻して、“金色きんのひまわり亭”ってつけますから! 来てくださいッ」


「ああ、そうだった、その名前だったね!! 今度は忘れないよ」



 女神はふよよんと飛んでゆく。頭上のひまわりをきらきら光らせて、少年の巻き毛頭にぷちゅうと口づける。



『夢を叶えてね! 焼きたてほかほか、君が太陽みたいよ! ひまわりちゃん!』




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